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2018-06

転院の条件 その2 #リュウ47 - 2013.01.14 Mon

 S病院は、うちの徒歩圏内にあるあたまの専門の病院です。
 そのため、S病院に入院中は、私は毎日会社帰りに病院に行くことができました。
 リュウは、私が目の前に登場すると「おかえり」と言い、その瞬間自分はHOMEにいると思うようです。入院してみてわかった私に対するリュウの反応です。そのことを私は嬉しく思いました。
 それと同時に、毎日病院に行くことはリュウの体調を把握できるので、私も毎日様子を見に行きたいと思いました。
 そして、同じように毎日、配偶者や親御さん、そしてお子さんの様子を伺いに病院に通ってくるご家族がいるということも知りました。
 次のところでも会社帰り、毎日病院や施設に行きたいと思いました。



「病院って三ヶ月しか入院出来ないんだってね。その後は治ってなくても退院しなくちゃいけないんだって」

 そういう話しはよく耳にしましたが、それは病院の種類によるものだということは知りませんでした。
 三ヶ月しか入院できないというのは、急性期型病院のことのようです。S病院は、このタイプの病院で、通院時代はそんなことまったく考えたことがありませんでした。
 S病院には4月12日に入院したので、7月の初めには、退院という風になります。
 ほかに療養型病院というタイプの病院があり、ここは基本的に期限がなく入院できるそうです。

 でも、病院の名前にそのタイプが付いているわけでもなく、どこがどのタイプの病院かさっぱりわかりません。
 自宅、会社の近い所から、病院をピックアップし、ここは?ここは?という風に考えても、H先生に、

「そこはうちと同じ急性期医療の病院です。急性期から急性期に転院するということは、主治医がまったく変わるということを意味します。でも急性期から療養型に転院するのは、急性期の主治医は消えません。つながりが持てます」

というようなことを言われました。
 ソーシャルワーカーさんも教えてくれたのですが、療養型病院からまたS病院に入院したり、戻ったりと、そういうつながりを持てるのだそうです。
 それならばやはり、また三ヶ月後に退院しなくてはならなくて、H先生とのつながりも消えてしまう急性期型病院ではなく、S病院とも連携が取れる療養型病院がいいと思いました。

 病院ではなかったらどうか。介護保健施設ということになり、特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)、老人保健施設、介護療養型医療施設の3種類があるそうです。
 病院は医療保険、介護保険施設は介護保険の適用になります。進行性核上性麻痺は特定疾患で公費対象なので、費用の面からは、医療保険が使える療養型病院が家計に優しいと思いました。
 
 最終的に施設より、療養型病院にしようと決めました。

 今度は、どこの療養型病院がいいかということになったのですが、ソーシャルワーカーさんのお話しだと、

 1 S病院で出されていた薬のすべてが、薬の値段等から、出されない病院もある
 2 パット等、持ち込みができないところは、入院費が高い傾向にある
 3 S病院では、毎日3種類のリハビリを受けていたけれども、療養型病院だとリハビリはまったくない病院もあり、週一回あっても多い方である
 4 希望の病院のベッドが埋まっている場合、空き待ちのための転院をする場合もある

ということでした。

 1は、基幹となる薬だけでも、ぜったいに処方してくれる病院がいい
 2は、自分で薬局から買って、持って行きたい
 3は、リハビリがまったくない病院じゃない方がいい

と希望し、これで、会社と家から近い病院などあるのだろうかと、暗澹たる気持ちになりました。

 7月が近くなっていた6月のある日、ソーシャルワーカーさんから連絡があり、医療相談室に行ってみると、条件に合う病院があるということを教えられました。
 私の希望1も2も3もクリアしていて、その上、その病院は私の会社からうちまでの間にあったのです。そのことがわかったときは、本当に嬉しかったです。これでまた毎日、病院に行くことができます。

 その病院を探してくれ、向こうのソーシャルワーカーさんとコンタクトを取ってくれたS病院のソーシャルワーカーさん、ありがとうございました。

 その病院こそ、今現在いるM病院です。
 薬は、ぜんぶそのまま処方してくれました。
 リハビリは、週一回ではなく、もっと多くやってくれています。

 ここの病院は、もっと症状が進むと、入院できない可能性がありますが、とりあえずは、いつまでという期間で区切られることがなく入院できるようです。
 環境が変わると、慣れるまでに体調を崩すので、なるべく変わらない環境で過ごして欲しいです。

 わからないことだらけで、病院のシステム等勘違いして覚えていることとかもあるかもしれませんが、S病院からM病院へ、満床で待つということもなく、7月10日にスムーズに転院することができました。
 その時は安堵しました。
 ありがとうございました。




転院の条件 その1 #リュウ46 - 2013.01.14 Mon

 平成24年4月9日に自宅の外で転倒骨折し整形外科のA病院に入院手術となりました。骨折は右の股関節で、人工の骨頭を入れる手術となりました。
 整形外科のA病院の院長先生は、だいたい入院は一ヶ月くらいであり、今は人工の骨頭は進んでいて、元と同じまで歩けるようになると、リュウと私に説明してくれ、励ましてくれました。
 しかし、術後本人の精神的混乱もあり、私も強く希望し、10日の手術後すぐに主治医のいるS病院に転院することになりました。転院日は4月12日です。

 その日リュウは、A病院からS病院に救急車で運ばれました。リュウが救急車に乗るのは、この日が初めてです。私はS病院の救急車が運ばれてくる入り口で待っていました。13時に救急車が到着しました。リュウのほかに、付き添いでA病院の師長さんが乗っていました。
 師長さんは、手紙を持っていて、それをS病院の人に渡しました。そして、私に向かって、リュウではなく私への気遣いの言葉をかけてくれました。
 そのことも忘れられません。有り難うございました。

 その後リュウは、ストレッチャーで4階の個室に運ばれ、私は色々な手続きをしたり、看護師さんから入院の説明を受けた後、15時に4階の面談室で、リュウの主治医の神経内科医のH先生から、お話しを聞くことになりました。そのお部屋には、H先生と私とほかに4階の看護師長さんが同席していました。

 平成18年からずっと診ていただいている女医のH先生。リュウのからだのことはまず私が一番にわかっていて、二番目にわかっているのはH先生です。
 そのH先生が迷いもなく、淡々と話し始めました。

 「この転び方は、危険を危険と判断出来ない認知症状から来るものです。今後自宅に戻ってもまた転ぶでしょう。同じことの繰り返しです。なので、S病院の次は自宅ではなく、病院か施設になります。もうおうちには帰れません。当病院のソーシャルワーカーと相談し、次のところを検討しましょう」

と言いました。
 それを突然聞いて、私は頭が真っ白になりました。リュウの日常生活にまさかドクターストップがかかることがあるなんて、思ってもいなかったのです。
 4月9日の朝まで家族一緒に過ごしていた何気ないごくありふれた日常がもう永遠にない?その衝撃と言ったら、言葉で言い表せません。
 私はあまりのショックに頭が真っ白になり、そして後から後から涙が出てきました。

 家に帰ってからもショックから立ち直れなくて、色々な人に連絡をしました。

 「そんなこと言われたの・・・(絶句)」

 「そんなことないのでは?」

 「泣いている場合ではない」

 私は、リュウの病気の進行をリュウと一緒に体験していて、現在を生きるのに精一杯で、この先どうなっていくのかまではわかりませんでした。でも、H先生は神経内科医であり、色々な人の診察していて、病気に対する知識も経験もずっとずっと豊富です。それと、リュウの年齢、家族構成を加味しての判断でした。



(私たち家族にとっていい次のところ、ゆっくり考えよう)




転院の日 #リュウ13 - 2012.07.16 Mon

 今日(7月10日)はS病院から、M病院への転院の日。

 前日に看護師さんから、9時半から女医で主治医H先生の病状説明があり、10時にS病院のワゴン車でM病院に向かうと、説明がありました。
 その日、親戚のT夫妻も手助けに来てくれました。看護師さんに呼ばれたので、9時半すぎにT夫妻と別室に入りました。そこにはH先生がいました。リュウは病室で待機していました。

 H先生、平成18年の最初の受診から今日までずっと、リュウの主治医をしてくれました。私は、「お医者さんに何でもお任せした方がいい」と当初思っていて、あえて、自分から情報は収集しないで、病気の知識も身につけないで、先生の指示に、従っていました。
 そのうち、私の中で、だんだんと先生に疑問や不信を感じるようになってしまい、ある日、「旅に出ます」と受け付け窓口に手紙を置き、S病院を離れてしまいました。でも、旅には出ましたが、結局、S病院に戻ってくることになりました。
 その時、「疑問質問は伝えよう、病気や薬のこともある程度調べよう」と決心しました。
 それからは、最初はリュウは一人で通院していたので、連絡ノートを作り、リュウの一ヶ月の様子を記し、リュウに持っていってもらいました。薬も処方されなくなった薬があったら、どうしてなくなったのかと、ノートに書きました。これをこの量、飲ませると調子が悪い、とか、以前飲んでいたこの薬を復活させて欲しいとか、思っていることを書きました。
 先生もひとつひとつ対応してくださり、だんだんと私が先生を信頼するようになっていきました。
 今思うと、不信に思うようになった原因は、私が質問をしなかったり、自分の考えや要望を言わなかったことだと思います。病気になって受診する際、ある程度の病気や薬に対する知識を持ち、疑問に思うことがあったら、伝えた方がいいと感じました。
 H先生は、いつも同じ態度でリュウに接してくれていました。リュウに、ゆっくりとはっきりと話してくれ、「前より今の方がいいですね」とリュウに外来診察室で言ってくれます。そう言われるとリュウは嬉しそうな顔をします。
 入院中の回診の時に、今現在のリュウにも、きっとそういう風に、リュウに言ってくれていたのだろうと思います。私はリュウに時々質問していました。
「H先生に回診で会った?」と。でも、「会わなかった」と言ったり、「それが、気が付いたら、どこにでも登場していて、びっくりするんだよ」と言ったりしていました。「どこでもって、リハビリの時とか?」「そう、リハビリの時」とリュウが答えました。

 転院の日の病状説明の冒頭で、「今日で佐藤リュウさんは私の手を離れますが」とH先生は言いました。
 まさに、その通りでした。今までの受診の際の色々なシーンが頭の中をめぐります。
 トーマスやトイストーリー、ドラえもんのそれぞれの映画のリュウの理解度を先生に真剣に伝えると、いつもと変わらぬ態度で、先生の意見を伝えてくれました。
 リュウの主治医がH先生でよかったと思いました。

 病状説明が終わり、リュウを迎えに病室に行き、病室から出ると、H先生がいました。
 H先生は、リュウにニッコリと笑い、「佐藤さんお元気でね」と声をかけてくれました。
 そして、自ら、エレベーターの前まで私たちを導いてくれ、エレベーターのボタンを押してくれました。
 そして、エレベーターのドアがあき、私たちが乗り込むと、リュウに「さようなら、お元気でね」と車イスに乗っているリュウの目の高さで笑顔で挨拶してくれました。
 外来診察が終わって、最後に先生が挨拶する、私たちが見慣れたいつもの笑顔です。

 H先生、リュウを一生懸命診察して下さり、私にも対応して下さり、ありがとうございました。
 感謝の気持ちでいっぱいです。

 それから、リュウにかかわったS病院の看護師さん、介護福祉士さん、作業療法士さん、理学療法士さん、言語療法士さん、スタッフの方々、そしてソーシャルワーカーさん、ありがとうございました。

 転院先のM病院は、S病院と連携しているので、また、お世話になる時があるかと思いますが、それぞれのプロの方たちが自分の使命を遂行している姿は、素敵でした。




明日転院します #リュウ12 - 2012.07.16 Mon

 S病院の3階での食事の際の食堂のテーブルは、大きい一つのテーブルで、そこにぐるっと患者さんが囲みます。
 そのまわりを看護師さんや付き添いの家族の方が食事の手助けをするので、結構にぎやかです。
 私は仕事が終わってから、毎日リュウの夕食の手助けに行っていました。
 私が行く頃には、もう食事が始まっています。
 毎日行くので、患者さんも付き添いの家族の方も、顔見知りになってきました。

「ホラ!奥さん来たよ〜!よかったね〜!」

と女性の患者さん。私が行くと、いつも大声でリュウに教えてくれます。
 年配の患者さんCさんの奥さんと思われる女性も毎日のように、旦那さんの食事の手助けに来ていました。
 ある日、Cさんの奥さんが、その大きなテーブル越しに私に向かって、

「あんた毎日、親孝行だね〜!」

と言いました。私は、

「ハイ」

と言いましたが、リュウは父ではなく、夫なので、私を娘と間違っているんだなと思いました。
 リュウと私はちょっと歳が離れていて、今までも医療関係の人や福祉関係の人に、「お嫁さん」「娘さん」と呼ばれることがたまにあったので、慣れています。
 リュウより年上に見られた場合だけ本当のことを言おうと思っていて、特に否定もしませんでした。
 そのCさんの奥さんが私のすぐ後ろにあった台所に寄りたいらしく、向かいから歩いてきました。そして、私にまた何か話しかけて来たので、間近で対面すると、

「あっ!」

と目を大きくして言い、そしてすぐ、

「あんた!この人はご主人かい?」

と大きな声で言ってきました。
 私は、遠目だと「娘」で、間近だと「奥さん」って、それってどういうことだろうとぼんやり考えながら、「ハイそうです」と答えました。

「そっかい、お父さんだと思っていたら、旦那さんかい?まあ、大変だねぇ〜!うちもね、主人なんだけどね」

と年配のCさんの奥さんは、色々なことをしゃべりはじめ、最後は「まぁお互いがんばりましょうね!」と言いました。

もう一人、年配の患者さんの奥さんが、やはり、毎日のように旦那さんの夕食の手助けに来ていていました。

 リュウのM病院への転院が決まった最後の夕食のあと、私はCさんの奥さんに「明日転院します」と告げました。Cさんの奥さんは、ちょっと驚きながら、

「あ〜そうかい火曜日?うちも木曜日にK市のJ病院に転院するの。どこに転院するの?そうかいそうかい、K市のAスーパーで娘と買い物してるから、会ったら声かけてね!くれぐれもお大事にね」

と言ってくれました。

 そして、もう一人の年配の患者さんの奥さんにも挨拶しました。顔見知りですが、会話するのは初めてです。すると、

「娘さんかい?」

と質問系で聞いてきたので、この時は「違う」と言いました。それからまた、お互いに話しをし、最後は「お大事に」と別れました。

 私は、「明日転院します」と、素直に口から出てくる相手は、やはり、自分と同じ立場の人に何だなと思いました。




友人Sさんのお見舞い2ー登山 #リュウ11 - 2012.07.16 Mon

 Sさんとは、若かりし頃、私も含めて、登山やキャンプをしたことがあります。

「・・・登山で遭難しかかったことあった・・・」

か細い声で、リュウが言いました。

「え?」

と、Sさんと私。

 私は記憶をたどっていきました。すると、Sさんが計画した男女6人の日帰りの縦走登山で、途中濃霧に遭遇し、道がわからなくなり、下山時間が何時間も遅くなったことを思い出しました。
 ドライバーとして待機していた友だちが、私たちの到着があまりに遅くて心配になり、入り口に戻っているのではないかと、その日の縦走登山の入り口と出口までを車で行ったり来たりしていたのです。携帯電話もない時代でした。そしてついに警察に通報しようとしていたその時に、私たちが無事、下山してきたのです。心配のあまり、いら立っていた友だちに、私たちは一生懸命理由を話し、あやまりました。友だちもわかってくれ、やっとひと息つけます。

 それから、下山場所近くにある露天風呂に、缶ビールを持ってみんなで入りました。
 その温泉施設のまわりには、何にもなく、大自然の中で、みんなで露天風呂に入りました。
 もう日が暮れていて、真上には、たくさんの星があります。最高です。

 今思うと、登山した後の露天風呂、その組み合わせは、計画を立てたSさんのみんなへのさりげない心遣いでした。年数が経つほど、その気持ちが強くなります。その組み合わせだけでも印象的なのに、濃霧で遭難しかかったというハプニングもあり、私も強く印象に残っています。

「あ!霧で道がわからなくなった!」

と私がすぐ思い出して、言いました。

「うん・・・、露天風呂も入った・・・」

「そういうこともあったな〜」

と笑顔のSさん。

「・・・キャンプもした・・・」

「うん、そうだったね」

とSさんと私。

「あの頃が一番楽しかったなぁ」

とSさん。

「うん」

とリュウと私。

「・・・また、キャンプ行きたい・・・」

とリュウ。

Sさんと私は、ちょっと返答に困りました。

「いきなりは、キャンプは無理だよ、リュウ。まずは、昨日みたいに公園にお散歩とかからだよ。あとはさ、お花見とか。それくらいから始めよう。病院から外出許可もらって」

私が言いました。

「・・・そうだな」

とリュウ。

 他にもたくさん、むかし話しをしました。
 しばし三人は、時間を共有し、独身時代にタイムスリップしました。

 楽しいことで同じ体験をすることって、後で思い出しても楽しい。
 楽しみをその時共有できるのはその場にいた人たちで、後から思い出しても語ることもできるのも、その時一緒に体験した人なんですね。
 若い時の記憶って、最後まで残っているそうだし、若い時に、うんとたくさん経験することって、大切だな〜と思いました。
 それも楽しいこと!
 「遊ぶ」ってこと!




友人Sさんのお見舞い1ーケーキ #リュウ10 - 2012.07.16 Mon

 8日の日曜日、リュウの古い友人Sさんがお見舞いに来てくれました。
 会うのは、約15年ぶりです。ケーキとプリンを持参してくれていましたので、さっそく食堂で三人でいただきながら、むかし話をしようと思い、三人で病室を出て、食堂に移動しました。
 リュウを真ん中にして、三人がテーブルに並んで座り、リュウの目の前で、ケーキの箱を明けると、種類の違う四つのケーキがあらわれました。その中の一つ、私がちょっぴり苦手で、リュウが好きなモンブランのケーキがありました。他の三つのケーキは、私は好きです。私はリュウに、

「あ!リュウ!モンブランあるよ!モンブランいただく?」

と言いましたが、しばらく待ってもリュウは「うん」とも言わないし、首をたてにもふりません。根気よく質問を繰り返し、どのケーキがいいのか決めてもらおうと、また、リュウに質問しました。

「リュウ!モンブランだよ!モンブランいただく?」

やはり、今回も無反応です。しつこく、三回目です。

「リュウ?モンブランだよっ!」

目の前の箱の中のケーキをじっと見つめているのですが、反応がありません。

(もしかしたら、違うケーキが食べたいのかな?でも、うん、と言われたらイヤだ)

と思いましたが、聞こうと思いました。そしてリュウの視線の先にあるようにも見えたモンブランの奥にあるケーキをすすめてみました。

「リュウ!イチゴのケーキもあるよ!イチゴのケーキいただく?」

と指をさして聞きましたが、うんと言われては困ると思い、すぐ、

「それともやっぱり、リュウの好きなモンブラン?」

と、質問し直しました。でも、やっぱり、反応がありません。私は、ちょっと困ってしまいました。そして、

「イチゴのケーキ?」

と質問した後、今度はしばらく待ってみました。すると、

「うん」

とリュウがコクンとうなずき、言いました。

(あ、イチゴのケーキが食べたかったんだ)

と思いました。
 ここで、「これは私が食べる」とケンカするわけにもいかないと思い、リュウにイチゴのケーキをお皿に取ってあげました。Sさんも私もそれぞれケーキをお皿に取りました。
 そして、ケーキを、私がリュウの口にフォークで運んであげながら、三人で、むかし話しをし始めました。

 私が「暑いね」と言って、窓を開けると、七月のさわやかな風が、三人しかいない食堂に流れ込んで来ました。




病院で冷蔵庫を借りていなくて、持ち帰ったモンブラン。プリンはSさんの奥さんから。持って行ってリュウに食べてもらいました。ありがとうございました。




手をしばるヒモとふんどし #リュウ9 - 2012.07.16 Mon

 入院の時、生命の危険を回避するためにからだを拘束することがあるという説明があり、了承しました。家族が面会に来た時は、外していいそうです。
 リュウは、鼻からくだを付けていて、流動食をする時は、かならず、白いヒモで手がベッドに固定されていました。誤ってくだをさわってしまって、肺に流動食が流れたら、肺炎になってしまいます。肺炎を治療しているのに、本末転倒です。
 入院して最初の二ヶ月くらい、私が会社帰り、お見舞いに行くと、ちょうど夕飯の流動食の時間で、白いヒモで固定されているので、行くとすぐ外しました。
 部屋に看護師さんがいても、構わず黙々と外します。ちょっと複雑なしばり方で、しばるのに時間がかかっていて、今しばったばかりかもしれませんが、病室に入って行ったら、黙々と外しました。
 納得していても、自分の家族が、白いヒモで固定されている姿を見て、喜ぶ人はいないのではないかと思いました。
 でも、看護する人は、家族に嫌と思われようが、生命の危険から患者を守らなければなりません。
 白いヒモをめぐって、家族と看護する側に、見えないわだかまりがあるように、感じました。
 ある日、いつものように病室に入って行って、いつものように黙々とヒモを外していると、病室にいた看護師さんが、私の行動に気づいて、

「あ、外していただいて、ありがとうございます!」

と、明るい口調で、感謝されました。

(あれ?感謝されちゃった)

と、ちょっと驚き、黙礼をしました。

 そして、なぜ感謝されたのだろうと考えました。
 行き着いたところは、病院側は、患者の家族の気持ちは、もうじゅうにぶんにわかっているということです。
 1対1で看ているわけにもいかないし、他に方法はないし、その上でしばらなくてはならない。しばらなくてもいい状況であればしばらいでいてあげたい、ということ。
 そして、いつも、そういう気持ちで、患者や家族に、接しているということです。
 その看護師さんに明るく感謝されたことに、私はまたひとつ、気づかされたような気持ちがしました。

 さて、リュウは、3階に移ってからというもの、3食食堂で食べてるし、白いヒモのお世話になることはありませんでした。ある日、病室にいると、リュウのテレビ台の上に、4階で見た手をしばる白いヒモが乗っているではありませんか。私は、

「あれ!どうしてここに、このヒモがあるんだろう!」

と、びっくりして、手に持ち、リュウにも見せました。リュウは、何も言いません。

「このヒモ、なにかわかる?リュウ?」

と、リュウの顔の前に持って行って、あらためて聞くと、

「・・・。ふんどしにみえる・・・」

と、言いました。私は、それを聞いて、急にからだの力が抜け、可笑しくなりました。

「フンドシ?リュウ、真面目に言ってるの?」

「・・・うん・・・」

 4階での大部屋で、必要な患者がみな手をしばられてる光景が目に浮かび、あれは、実はフンドシだったかと思うと、可笑しくて笑いました。
 あまりに可笑しくて、この時リュウの表情が、キョトンとしていたのか、ほほ笑んでいたのか、確認できませんでした。
 でも、次に、そういう時があっても、リュウのせりふを思い出し、心が軽くなることは、間違いありません。
 ありがとう、リュウ。




怪獣マリンコング #リュウ8 - 2012.07.16 Mon

 入院して最初二ヶ月ぐらい三食とも流動食で、私が会社帰りに行ったとき、食事の手助けをするわけでもないので、時間がありました。
 その時は、新聞に週に一回、掲載されているクロスワードを持っていって、一緒に解いたり、新聞を持っていって、最近のニュースや出来事を新聞を見せながら、話したりもしました。
 5月20日の金環日食の写真や、5月22日のスカイツリーオープンの写真も見てもらいました。
 ある時ふと、iPhonの「You Tube」で、何か見たい動画はないか?と訪ねたことがあります。
 すると、リュウは、

「・・・かいじゅう、まりん・・・こんぐ」

と答えました。

「かいじゅうまりんこんぐ?私、知らない」

と言いました。
 そして、リュウのベッドを起こし、ベッドに引っ掛けるテーブルをセットして、100円ショップで買ったiPhone専用スタンドを置き、映像を見てもらいました。私も一緒に見ました。
「怪獣マリンコング」は、初めてリュウの口から聞いたように思えます。見てみると、白黒の映像で、うなり声をあげながら、怪獣が手足を動かして、暴れていました。その映像は、ストーリーはなく、ただひたすら、怪獣が暴れている、という風に見えました。
 リュウは、その怪獣を、「・・・コワイ、コワイ」と言いながら見ていました。
 私は、「大丈夫?夜、出てくるんじゃない?」と言いました。
 夜が怖いと言っていたのに、こんな恐ろしい怪獣の動画を見たら、余計怖くなるんじゃないかと思ったのです。
 そう言って、リュウの横顔を見てみると、怖いと言いながらも、目が生き生きとしていて、楽しそうでした。

(リュウって、怪獣マリンコングも好きだったんだ〜)

まだまだ、リュウの知らない一面がある、と思いました。




初めての院外散歩 #リュウ7 - 2012.07.07 Sat

 昨日、入院して初めての院外散歩に行きました。
 S病院の近くの公園まで、車イスに乗って行き、そこで、遊んできました。
 病院のレクリエーションのイベントで、患者さん15人に、それぞれ看護師さんと家族の人が付き添いました。
 リュウが外の風に当たったり、地面に咲いているお花をま間近に見るのは、約三ヶ月ぶりです。リュウも車イスで公園まで行き、そこでは看護師さんや私に付き添われながら、歩いて、散策しました。

「気持ちがいい〜」

と言い、入院して以来のリュウの一番の笑顔を見ることができました。
 他の患者さんもみんな笑顔で、その笑顔を見た家族やフタッフの人もみんな笑顔になりました。

 このイベント、年に一回しか企画されないそうで、それも急性期病院という短い入院期間中に、偶然参加できたことに、感謝しました。 






介護福祉士さんとたわむれる #リュウ6 - 2012.07.07 Sat

 6月15日、いつものように仕事帰りお見舞いに行くと、リュウはなんか、ごちそうを食べているところでした。
 私は、お盆に一緒に乗せてあった「祭りのはっぴの紙でできた飾り物」を見て、あ、と気がつきました。
 今日は、市内最大のお祭りの日です。
 病室にいると、季節も窓の中からしか感じることができませんが、こういう風に市民の行事に少しでも触れることができる機会を作ってくれたことに、私はちょっぴり感激しました。
 病室にいた介護福祉士さんは、声も体も大きく、おおらかで明るい感じの女性の人なのですが、今日はより一層元気に働いているように見えました。

「○○さん!いいね〜!今日はお祭りでごちそうだね!お刺身に、お稲荷さんに太巻きもあるね〜!私も頼めばよかった〜、あっはっは」

 まわりの患者さんに、元気な明るい大きな声で話しかけてくれています。
 リュウは刻み食なので、小さくカットされたお刺身と重湯です。
 その介護福祉士さんは、私が病室に入って来たことに気づくと、

「佐藤リュウさんったら、私がこのはっぴ、着てもいいかい?って聞いたら、何て言ったと思いますか?着れるものなら着てみな!って言ったんですよ〜!ひどいよね!ね、さっきそう言ったものね?」

と私に、お盆の横にある「祭り」の紙のちっちゃいはっぴを指差しながらそう言い、大声で笑いました。

 私は、「まあ!」と驚いた表情を見せながら、リュウの反応を見てみると、一生懸命夕飯と格闘中で、聞こえていない風でした。

(そういうこと言ったんだ、リュウ。何か嬉しいな)

 私はそう思いました。




4階の大部屋での6月15日の食事に添えられていた飾り物のはっぴ。アップ写真ですが、実物は、5センチくらいです。

またちがう日の4階での食事。患者さんひとりひとりみな違い、合わせて作られています。感謝。
 



クッキーの家づくり #リュウ5 - 2012.07.06 Fri


 今週ワタルは、学校の体験学習で、白い恋人パークのチョコレートファクトリーで、クッキーの家を作ってきました。

 チョコレートファクトリーの体験工房の利用は、小学校の時、養護学校と特別支援学級の親御さん、ボランティアの先生方と大学の福祉科の学生のみなさんで企画準備したサマースクール(夏期イベント)でのクッキーづくり以来です。

 わたるが持ち帰った箱を開けると、丁寧に作られたクッキーの家が登場してびっくりしました。飾り付けもかわいいです。
 早速、こわして食べようかと思いましたが、連絡帳を見てみると、

「お父さんにも見てもらってから!」

と書かれてあり、我に返ることができ、思いとどまることができました。

 次の日、病室に持って行き、リュウにも見てもらい、飾り付けのハートのクッキーをはがして、食べてもらいました。私もひとつはがして、一緒に食べました。

「中はどうなっているんだろうね?」

とリュウに言うと、

「人が住んでいるんじゃないか?」

とクッキーの家から目をそらさず、そう言いました。

「ちっちゃい人が?」

「うん」

リュウの横顔が、楽しそうに微笑んでいました。




おやゆび相撲 #リュウ4 - 2012.07.04 Wed

 今入院中のS病院は4階建てで4階が病気の症状が重い人で、3階がそれより軽い人が入院しています。
 リュウは、4月12日に4階に入院しました。それも最初は個室でした。それから4月20日に4階の大部屋に移り、6月20日に今いる3階の二人部屋に移動になりました。
 3階に移動してから、調子があまりよくなかったように思います。
 3階は、回復病棟と言って、日常生活を送っているようなスケジュールで、一日を過ごします。
 朝は私服に着替えてからみんなが一カ所に集まり、一時間くらいかけての体操もあります。リハビリは4階でもあったのですが、作業療法、言語療法、理学療法とあり、それぞれ一日の中で決められた時間に、こなさなくてはなりません。
 あと3階では、レクリエーションみたいなものもあり、食事は食堂でみんなで食べます。
 環境が変わり、一日のうちにやることが増えたせいか、3階に移ってから、手の動きも会話も理解力も、そして食欲も今一つだったように思います。
 でも、慣れてきたら、少しずつ良くなるかな?と思っていたら、やっぱり、だんだん調子が戻ってきました。
 話す言葉も不明瞭でしたが、それでも、聞き取れる言葉が増えてきました。

 私は毎日会社が終わってから5時半くらいに病院に行き、もう食堂で食事が始まっているリュウの食事の手助けをしてから、病室に戻り、ちょっと会話をしてから帰宅します。
 昨日食事が終わり病室に戻り、私が手伝いながらベッドに横になってもらいました。
 それからリュウが、

「鼻のくだを取って欲しい、かえってあぶないから」

と、言いました。はっきりとした意思表示で鼻のくだを取って欲しいと要求するのは珍しいことだなと思いました。

「わかった、ノートに書いておくね」

と、言いました。ノートとは、先生や看護師さんリハビリの先生あてに私が作った連絡帳です。リュウのベッドサイドのテレビ台の引き出しに入れてあります。そこに私が色々なことを書いて、置いておくと、みなさんが読んで下さっているのです。私はほぼ毎日書いています。「かえってあぶない」の意味がよくわかりませんでしたが、リュウの言葉、そのまま書きました。

 それから思い立って、おやゆび相撲をしました。
 おやゆび相撲は、入院してから、私が思い出して、たまにします。

「リュウ、おやゆび相撲しよう!」

 そう言って、左手と左手を組み合わせると同時に、私がさっとリュウのおやゆびを私のおやゆびではさんで倒し、3秒くらいのすごいスピードで「いちにさんしごろくしちはちきゅうじゅっ!」と10を数えました。私は、病人だからと言って、決して手加減はしません。4階の時もそうでした。当然私が勝ちます。でも昨日は、10数える前に、リュウがさっとおやゆびを抜きます。変だな?と思い、何回やっても同じです。リュウも一生懸命勝負に挑んでいます。

(何か反応もいいし、動きも素早いし、顔の表情もいい・・・)

 私は、おやゆび相撲やっていて、嬉しくなってきました。
 病院のみなさんの努力のおかげもあるのかな?そういう風に思ったら、その私の気持ちもノートに書きます。

 でも、おやゆび相撲は、決して負けてあげたりとかはしません。勝負の世界は厳しいです。




一家勢ぞろい #リュウ3 - 2012.07.01 Sun


今日は、チーズケーキを買って、午後から、病室へ。
一家勢ぞろいで、チーズケーキ、食べました。
リュウは、手の動きが今ひとつで、私が介助しながら、です。
もともとリュウは、好き嫌いはなく、なんでも食べます。




病院の夜のおばけ #リュウ2 - 2012.06.24 Sun

 お見舞いに行くと、私の質問はだいたい決まっています。

「今日の体調はどうだったか」「リハビリのプリンやゼリーは食べれたか?」「夜は眠れたか?」「歩行訓練でどれくらい歩けたか」

です。
 ある時、ふと、

「夜の病院って、こわくない?」

と、聞きました。すると、リュウは、

「コワイ・・・」

と、返事しました。

「もしかしたら、おばけでる?」

と、私。

「・・・うん」

と、リュウ。私は急に緊張してきました。

「え!やっぱりでるの?どんなおばけ!?」

「・・・ウトウトしてて、ふと目が覚めたら・・・、目の前に女の人の顔が・・・・」

(もしかして、生首が!)

「・・・で、明かりで・・・、ボーーーっと、照らされている・・・度々あって、コワイ・・」

(ん?女の人の顔が明かりで照らされていて、度々ある?それって・・・)

「リュウ・・・、それって、もしかしたら、看護師さんの夜の巡回なんじゃないの?」

そう私が言うと、「え!」とびっくした顔になり、それはひどいことを言ったという表情になりました。

「でもコワイんでしょ?巡回だとしても、眠ってて、ふと目が覚めたら、目の前にボーーっと、明かりに照らされた看護師さんの顔があったら」

「・・・うん、コワイ・・・」

「わかった!リュウを守ってあげられるのは、私しかいないから、リュウは患者だから、言ってあげる!看護師さんに。もう一回聞くけど、どうしてもコワいんだよね?」

「・・・うん・・・」

 私は、リュウにそう約束したけど、看護師さんにどういう風に言おうか悩みました。
 でも、家族と離れ、怪我と病気でひとりで病院に入院しているリュウの心細い気持ちを救ってあげられるのは、私しかいないと思いました。それも初めての入院生活です。体験することも初めてのことばかりです。「目が覚めたら家」という感覚は、染み付いていることなので、半分夢の中という状態で、自分の状況を把握するのは、難しいことなのかもしれません。
 私は、数いる看護師さんの中で、たまたま病室に入ってきた看護師さんを呼び止めました。

「スミマセン、あの~、夫が、夜見回にくる看護師さんの明かりで照らされた覗き込む顔が、コワいって言うんですけど・・・、何とかなりませんか?」

「・・・・・・、わかりました。ご本人様には、わからないように遠くから確認するようにします」

 看護師さん、ごめんなさい。




私はHOME #リュウ1 - 2012.06.23 Sat

 平成24年4月に入院して以来、夫のところへ、毎日お見舞いに行っています。
 私は、月曜日から金曜日まで、フルタイムで仕事をしているので、行けるのは平日だと6時くらいです。
 ある時、私が病室に入ると、

「おかえり」

と、リュウが言いました。私は、一瞬、(あれ?)と思いましたが、合わせようと思い、

「ただいま」

と、言いました。

 また、違う日に、

「問題は、朝、どうやって、病院に来るか、なんだ」

と、言いました。自分は今、病院に入院しているのに、何を話しているのだろうと思いました。でも、あ!と気がつきました。リュウは、私が目の前にあらわれると、自分はわが家にいると思っているんだ!だから「おかえり」って言うんだ!リュウにとって、私は、HOMEなんだ、ということをです。

「なに言ってるの?リュウ!まわりを見て。ここは、S病院だよ」
「あっ、そっか・・・」

と言って、リュウが笑いました。








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プロフィール

vanilla

Author:vanilla
「やさしいまなざし」は「Vanilla Web Site」の日記の部分です。

登場人物(平成28年11月現在)
 
佐藤リュウ(59歳)←夫
佐藤バニラ(永遠の20歳)←私
佐藤イブキ(社会人)←長男
佐藤ワタル(福祉施設通所)←次男

 夫佐藤リュウは、平成17年頃(48歳)より、物が二重に見える、手に力が入らない、全身が重苦しく感じる症状があり、会社勤務ができなくなりました。
 若年性のパーキンソン病の疑いとのことで、平成18年(49歳)より神経内科に通院し、平成19年にはパーキンソン病関連疾患と診断名が付きました。
 その後、平成22年 (52歳)、診断名が若年性の「進行性核上性麻痺」に変わりました。
 ずっと自宅より通院していましたが、平成24年4月に自宅外で転倒骨折し、手術入院となってしまいました。入院時、誤嚥性と思われる肺炎も併発していて、現在も入院中です。平成26年11月19日に胃瘻造設しました。
 夫が仕事ができなくなった平成17年時、上の子が小学校6年生、下の子が小学校2年生(多動と自閉で特別支援学級在籍)でした。
 私は、平成19年より、平日フルタイムで仕事しています。たくさんの方のお力をお借りし、生活しています。
 北海道在住です。

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