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2018-06

映画「僕のうしろに道はできる」30分短縮版無料公開中。 - 2018.01.29 Mon

〜脳幹出血で突然倒れた宮ぷーこと宮田俊也さん。意識も戻らず、一生四肢麻痺と思われましたが、現在は、機械を使っておしゃべりしたり、車椅子に乗って外出したり。奇跡の復活、でも奇跡ではなかった。そこにはあきらめないで、リハビリし続けた宮ぷーがいた〜

3:40 いつか必ず宮ぷーと気持ちを伝え合える日がくる。かっこちゃんは信じています。そのために大切にしていること。
それは、話しかけること。
相手の視界に入るように。
声がしっかり聞こえるように。
顔を近づけて話しかけます。
そしてもう一つは体を起こすこと。
重い障がいを持つ学校の子ども達も、そうすることで著しい回復を見せた数々の経験があるからです。

5:16 倒れた当初宮ぷーは3時間の命と思われました。何とか命は取り留めたものの、出血によって脳幹の大部分が損傷を受けました。そのため、宮ぷーは万に一つも意識は戻らないし、全身も麻痺したままで、一生動かないだろうという、厳しい現実が待っていました。しかし、かっこちゃんは信じました。「大丈夫、きっと治る!」意識がないと言われている時から、宮ぷーに話しかけ続けました。

8:44 気持ちを伝える方法探しが始まりました。

10:48 一生動かないはずの体。損傷を受けた脳の機能を、その周りの脳が肩代わりをし始めたのです。動き出した首でスイッチを押して、レッツチャットという装置が使えるようになりました。ついに、宮ぷーは自分の気持ちを伝えられるようになったのです。

14:48 いい事と悪い事って決められないの簡単には。

19:57 かっこちゃんは決意しました。みんなが気持ちを持っていて伝える手段があること。そして、寝かせきりにせず、リハビリを続けていくことで、植物状態と呼ばれる状態からでも、回復する可能性があることを。

21:25 意識障がいの人が立って歩くとっていうふうに言うと、何かえらくとんでもないことを言う人だっていう風に思われるんですけど、でも、普通の健康な人になってもらう。

24:07 力のないかっこちゃんでも、腰を痛めず介護できる方法など、伝えたいことをたくさん載せました(白雪姫プロジェクトHP

26:47 長らく植物状態だった順子さんのお父さんからのメールです。

『今も心が震えます。順子が僕の呼びかけに応じて、細くかわいい指を動かしたのです。目の前で起きていることに、喜びと深い後悔の思いが広がりました。娘を抱きしめて、あやまり続けています。「指を動かして見せて」ただそれだけのことを、僕達は気づきもせず、してこなかった。ただ「指を動かしてごらん」と声をかけるだけのことを。順子は6年という年月をどんな思いでいたのでしょう。順子はこれまでも表情こそ変えませんが、時おり、大きな目からは、涙が流れていました。順子はそばにいる親にも、何もわかってもらえずに、その優しさゆえにあきらめ、許し続けてくれたのだと思います。山元さん、6年はあまりにも長いです。でも、これからです。僕達には光が差してきました。』

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 私は今まで映画見たことないですが、30分の短縮版の無料公開中で見てみました。この機会にぜひ見てみてくださいね。下の写真をクリックしてください。


↑上の写真をクリックしてください。



鎌状赤血球の話~「1/4の奇跡より」 - 2016.07.31 Sun

 鎌状赤血球のお話は色々考えさせられるので、このタイミングで紹介したいと思います。


 このブログ記事はマキノ出版の「1/4の奇跡(山元加津子ほか著)」という本の内容を中心に書いています。以下本より。

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 人前に出ることも、話すことも苦手な「かっこちゃん」(注:養護学校の先生をしていた山元加津子さん)が、全国を奔走する理由。その原動力になっているのは、難病で亡くなった、一人の少女(雪絵ちゃん)と交わした約束にありました。

 雪絵ちゃんは、多発性硬化症(注:MS)という難病を抱えていました。
 ある日、「何かうれしくなるような話をして」という、入院中の雪絵ちゃんに、山元先生は、前日に見たという興味深い科学番組(注:NHK人体3)の話をしました。
 昔、アフリカのある村で、マラリアという伝染病が猛威をふるい、村は壊滅的な打撃を受けてしまいます。しかし、どんなに伝染病がまん延しても、どんなに絶滅するほどの病死者が出ても、必ず生き残るグループがいました。
 後年、そのメカニズムを調べようと、多くの研究者が、「生存者」本人から、その子孫にいたるまで、徹底的に調査を行いました。すると、一つの事実がわかったのです。
 それは、マラリアが多く発生する地域では、ある一定の割合で、伝染病に強い突然変異遺伝子を持つ人(鎌状赤血球の遺伝子を持つ人)がいる、ということ。そして、伝染病に強い遺伝子を持つ人が生まれるとき、高い確率で、そのきょうだいに重い障がいを持つ人が現れる、ということ。そんなことがわかったのです。その確率は、4分の1。4人の子どもが生まれた場合、必ずそのうち1人は、成人前に亡くなってしまうような、重い障がいを持つことになります。
 つまり、人間がマラリアとの生存競争に勝つには、マラリアに強い遺伝子のほかに、病気や障がいを持つ遺伝子も必要だった、ということです。病気や障がいを「引き受ける人」がいなければ、その村は絶滅していたことになります。

 山元先生が、雪絵ちゃんにその話をすると、雪絵ちゃんはしばらく考え込んだ後、こう言いました。「私たちだけで、こんなにいい話を知っているのはもったいないよ。病気や障がいがとても大切だ、ということ。みんながすばらしい役割を持っていること。それが、科学的に証明されていること。すべての人が、この宇宙から必要とされていること。そんなことを、世界中の人があたりまえに知っている世の中に、かっこちゃんがしてほしい」 

 そんなの無理だよ、と山元先生が言おうとしたとき、それをさえぎるようにして雪絵ちゃんは嘆願しました。
「何も言わないで約束して。かっこちゃん、お願い——」

「その約束が、毎日、私の心を揺さぶり続けてくれるんです」と山元先生は言います。
 かっこちゃんが、障がいを持つ子供たちから日々教えてもらっていること。それは、なぜ私はここに存在するんだろう、生きるってどういうことなんだろう、大好きって何なのだろう、そんな問いに対する答え(=本当のこと)なのだと言います。



 次に鎌状赤血球症の治療と新薬の開発に20年以上取り組んでこられたUCLA大学医学部教授・新原豊さんのお話を紹介します。このお話もこの本より。

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「鎌状赤血球症は、とても悲惨な病気です。発作が起こると、激しい腹痛、全身の骨の痛み、吐き気にたびたびおそわれます。その症状が進むと、脾臓の萎縮による激痛発作にみまわれ、骨の壊死や、脳梗塞や,心筋梗塞による神経症の損傷で、死にいたってしまうのです」
「発作はいつ起こるかわかりません。当然、学業や仕事に支障をきたすことになります。そのため、患者は病気と闘うだけではなく、社会的に阻害され、心理的、経済的な面でも大変はご苦労をかかえてしまうのです。発作のために、仕事を続けることができず、経済的にも困窮し、心も体もぼろぼろになった多くの患者が私のもとに訪れてきます」

「なぜ私だけがこんな苦しい思いをするのか、周りはこの痛みを理解してくれず、私をじゃま者扱いする。私がこの世に存在している意味がわからないとなげくのです。その嘆きに触れたとき、私は、生涯をかけて、鎌状赤血球の新薬を開発しようと決心したのです」

「それは鎌状赤血球が、正常な赤血球に比べてグルタミンの消費量が高いという発見でした」「グルタミンは体のあらゆる組織や器官にとってとても重要な物質です。しかし、鎌状赤血球は、正常な赤血球に比べて、血中のグルタミンを早めに使い果たしてしまうため、酸化に弱く、細胞がダメージを受けやすいのです」
「驚いたことに、鎌状赤血球症の患者がグルタミンを服用したところ、赤血球の酸化が大幅に減少。そして鎌形をした赤血球が、正常な形にちかづいたのです」「患者の症状がみるみるよくなり、鎮痛剤も使わずに済むようになりました。これは想像以上の結果でした」




 新薬はもうできたのでしょうか。
 以上は「1/4の奇跡」という本に書かれていたことなのですが、本の帯に「あなたの病気を、受け取った人がいる。」とありました。もしも私に雪絵ちゃんのような重い障がいがあり、このことを伝えられたら、いい話と思うかそうと思わない話だと思うかわからないです。
 でも雪絵ちゃんは「病気や障がいがとても大切だということ、みんなが素晴らしい役割を担っていること、すべての人が必要とされていること、いい話だから広めて」と言いました。
 そして病気を持った人はリスクが多くて不幸で、そうでない人は幸福かと言うと、雪絵ちゃんは「MSを敵にせずに。とにかくMSの雪絵をそのまま、まるごと愛しています。MSになったからこそ、今、周りにいる人に出会えた。」「別の人では、嫌。今、周りにいる人がいい。先生(注:山元加津子さん)がいい」「実は、これまで負け惜しみをいっぱい言ってきた。病気でもこんなに楽しいんだよ、とか。全然平気、とか。でもね、本当なの。健康な人と同じくらい悩みごとがあって、みんなと同じくらい楽しいこともあるんだよ。こんなこと言わなくても先生にはわかってもらえるよね。」「とにかく、私はどんな体になっても、歩けず、見えず、手を使えず、話せなくなっても、きっとMSの雪絵を愛していくと思います」「私は私で、大成功!」と山元加津子さんに伝えています。

 それから、どのような状況でも患者さんの悩み等を真剣に考えてくださっている人たちの存在も本当に有難いです。痛がっている人を目の前にしたら、私はおろおろするだけかもしれませんが、よしこの方のために薬を開発しようと思って行動してしまうなんてすごいなぁと思います。歯がなくなったら、入れ歯を作ってくれる人がいるし、義手や義足も作ってくれる人もいるし、嚥下機能が落ちてきて刻み食になって元もお料理がわからなくなったと思ったら、元の形のまま食べられる技術を開発してくださったり、コミュニケーションの道具として、文字盤を作ってくださったり、目の動きだけで意思を伝えられる装置を作ってくださったり。パーキンソンの震戦を軽減するスプーンを作ってくださったり。こういうのも「あなたの病気や障がいを受け取った人がいる」という見方もできるかもしれません。

 障がいの有無に関係なく、目の見える形やそうでなくても、「自分は支え、支えられるひとり」であるんだなと思います。
 
 あと私にたしなめるようにリュウがよく言うセリフも思い出されました。そのセリフは、

「その人が幸せか不幸か、その人じゃないとわからないことだ」

というものです。

 最後になりましたが、亡くなった雪絵ちゃん、貴重なメッセージありがとうございました。その後、「1/4の奇跡」という映画もでき、本も出版されたんですよ。
 
 ご冥福をお祈りします。




「天使のような、おそうじのおばちゃん」 今日の白雪姫プロジェクトのメールマガジンより - 2014.01.16 Thu

はじめまして。今日はどうしてもかっこちゃんにお礼を言いたくてメールをさせてもらいました。主人が脳出血のために倒れたのは11月17日でした。ドクターからは、残念ながら、意識が戻ることはまずないと言われました。「一生このままですか?」とさらに重ねて家族で尋ねたところ、「はい、そのつもりで、今後どのようにしていくか決めてください」と。私たちは、どうしてよいかもわからずに、主人の枕元で泣き続ける日々が続きました。今思ってもどん底の日々。

そんなときに、病室の掃除のおばちゃんが、主人の顔をのぞいては、毎日話しかけてくれました。「何もわからないようになってしまって」と私が言ったときに、おばちゃんが言ってくれた言葉は「奥さん、それは違うよ。ご主人は聞こえていますよ。わかっていますよ。伝える方法がわからないだけやから」でした。私は涙が止まらなくて、私が「ドクターがあきらめてください。意識は戻らないと言われたのです」と話すと、おばちゃんは「先生には立場があるから、言えないかもしれないけど、おばちゃんはわかってるよ。」そしておばちゃんは、「携帯を持っている」と私に尋ね、「今すぐ白雪姫プロジェクトという言葉調べて」と言いました。あまりのおばちゃんの迫力に、私は、おばちゃんの言葉のままに、白雪姫プロジェクトを検索しました。

おばちゃんは「そこに意識を取り戻す方法が書いてあるからね。ほら、斜め向かいの人は、誰にもわからんかもしれんけど、私が毎朝、掃除に来たよというと、必ず返事するよ。ちょっと来てみて」そして、おばちゃんが話しかけると、本当におばちゃんを目で追い、返事をしているように見え、ものすごく感動しました。それからかっこちゃんの本も読み、メルマガも読ませていただいて、私自身も主人が必ずわかっているし、回復するという明るい気持ちがわいてきました。リハビリもはじめました。

私も気がついたことがたくさんあります。看護師さん、介護士さん、みなさん、家族には話しかけるけれど、本人には話しかけないし、家族がいなければ、職員同士の話をしています。掃除のおばちゃんは、いつも本人に話しかけている。おばちゃんはすごい人です。私は今は「おばちゃん、おばちゃん」と呼んで頼りにして何でも教えてもらっています。おばちゃんは本人の目を見るのが大切だと教えてくれました。本当にすごい人です。そして、12月の終わり、主人に私が話しかけると返事をしてくれるようになり、びっくりして、他の部屋の掃除をしているおばちゃんに報告に行きました。おばちゃんは涙を流して喜んでくれて、私たち抱き合って泣きました。おばちゃんのおかげというと、おばちゃんは「私は、自分ができることをしているだけ」と言いました。

主人は日ごとにしっかりと返事をしてくれるようになっています。かっこちゃんにお礼を言いたくてメールをしたいと考えていたのですが、おばちゃんが、「出してみたらいいよ」と言うし、たくさんのメールが届いているだろうから、ご迷惑かもと思いましたが。
長いメールをすみません。読んでくださってありがとうございます。おばちゃんは、毎日いろいろな病室で、患者さんに話しかけています。私も4人部屋なので,他の患者さんにおばちゃんのように話しかけるようにしています。主人の未来をあきらめません。必ず宮ぷーのように回復して行きます。かっこちゃんがんばってください。私たちにとって、おばちゃんとかっこちゃんの出会いは、誰よりも大切です。



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サッカー少年まーくん・白雪姫プロジェクト - 2013.10.24 Thu

 植物状態と言われる人の回復サイト、白雪姫プロジェクトをこの間知って、ブログで紹介しました。さっそくメルマガも登録したら、サッカー少年まーくんの講演内容が。みなさんにご紹介したいと思い、転載します。少々(?)だいぶ(?)長いですが、最後に私の説明があります。またブログに、「白雪姫プロジェクト」のカテゴリも作りました。

 第1536号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                    2013年10月19日現在 参加者人数6321人
 「10/19昨日の宮ぷー」      
このメルマガを初めて読まれる方へ 
メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html

今日から三日間、岐阜羽島でのまーくんの言葉をお伝えします。とても長いので三日間に分けて載せさせてくださいね。映画「僕のうしろに道はできる」にも出ておられるサッカー少年まーくんの言葉です。仙台のしげちゃんが文字起こしをしてくださいました。

<引用ここから>・・・・・

まあくん:
僕がうまく書けなかったけれど、僕が本当に書きたかったことは、これから通訳は先生にお願いいたしますが、その前に書きたかったことで、時間がなくなってしまったので、お母さんのやり方で書いたことを、もう一回お母さんが読み上げてください。

まあくんのお母さん:
苦しんでいる人のことを考えると、僕のことを話したらいいと思う。いつも考えているのは、みんなよくなるということです。もういいよ。(と書きました。)

まあくん:
変わって速くやらないと時間が確かになくなるので(笑)お母さんと指だけで少し話してみます。

(お母さんの通訳で)(指談の方法をここで教えてもらったのです:かつこ)
このやり方は楽にできるので、みんなにやってもらえばいいと思うので紹介します。
(拍手)

(柴田先生の通訳で)
それと、このやり方について、お母さんの筆談で説明させたかったんですが、うまくいかなかったんで、このまま話しますが、このやり方は普通の人にはできないかもしれないですが、先生ができるので、僕はこのやり方で話をさせていただきたいと思います。なぜならこのやり方のほうがたくさん話せるからですが、誰も信じられないのではないかと思いますが、これは僕の心の声ですが、べつに先生は心を読んでいるわけではなくて、一生懸命音を探したり、予想をしたりして、話しているだけですので安心してください。(笑)違うときは僕は違うと言いますし、先生も違うか違わないかのあたりを丁寧に確かめているので、大丈夫・・今も先生は「確認」と予測したのに、「確認」ではないとわかって、「確かめる」にしましたから、だいたい大丈夫ですが、(笑)ときどき先生が止まりそうになるところが逆に正しさを表しているのでよろしくお願いします。

それではここから、僕が話をさせていただきますが、どうぞみなさん元の席にお戻りください。(爆笑)
ここからは楽に聴けると思うので、どうぞ席でお聴きになったら大丈夫だと思います。ここからは、僕の声もしないし、ひたすら先生の声だけが聞こえると思いますが、これは僕の声ですからよろしくお願いします。
ところで、今日の母の話はやはり幸せ物語というよりは、(お母さんの華ちゃんが、講演されたあとだったのです。:かつこ)これまでの悲しい物語に聞こえてしまったのではないかと心配していますが、僕にとっては、こういうことがあって、今日の僕がいるので、か、欠かすことのできない話ですが、(何か「か」から間がありました。:かつこ)いま少し先生が困ったのは、僕も困ったからでしたが、欠かすことができないという言葉を少し時間がかかったから、先生も時間がかかったので、そういうことだと思ってください。

僕の母さんは、とても強い女だと思う(笑)のですが、僕の母さんは昔はとても優しくて、楽しい母さんだったのに、僕が倒れてから、とても強くなったので、僕は少し申し訳ないと思っているのは、昔は、うちは楽しい母と、面白い父と、和気あいあいとやっていたのに、最近は母はとても強くなってしまったので、(笑)家族のバランスがくずれそうで、(笑)はらはらしているところですが、幸い僕にとっては、良い家族のまま?っていうので、安心していますが、最近妹もだいぶ大人になってきたので、昔のただのかわいいだけの妹はもうどこにもいなくなって、(笑)母に似たのか、父に似たのかわからないけれど、最近はとても強くなってきたので、妹の前ではたじたじになることが(笑)多いですが、妹に一番申し訳ないのは、僕のために自分の人生を変えてしまったのではないかということですが、(妹さんが看護師さんを目指しておられることについて:かつこ)

それも妹は一番言われたくないことのようで、これは私が選んだのだから、僕のせいではないとあっちこっちで言いふらしているみたいなので、僕もそれは、もうそういうことにしたほうがいいかと思っていますが、妹は、僕がいなかったらきっと、もっと違うことをやっていたのは間違いがないので、妹には申し訳ないけれど、妹は兄ちゃんのおかげでとてもいい道が選べたと思っているみたいなので、今のところはそうしておきますが、もしかしたら、あと何十年かたって、妹からあのときやっぱり生意気なことを考えてしまったけれど、本当はほかのことがしたかったと、言われるのではないかと心配です。

ところで妹は、すくすく育ったので、僕がこうなっても全くぐれたりしなかったけれど、ときには僕みたいな兄が生まれてしまったら、ぐれてしまう子もいるのではないかと、途中でとても心配したけれど、むしろ家族が僕のために一丸となったような気がしたので、僕はそれはそれでとてもよかったと思っていますが、今日の話を聴くと、やっぱり改めてとても大変なことが起こったのだなと思いました。僕は自分が張本人なので、大変といっても、どうしようもなかったのですが、両親や妹がおろおろするのを見ると、とても胸がいたんでいました。僕にとっては、生きるか、死ぬかということなのですが、不思議なもので、本人は死ぬということはありえないという感覚があって、絶対に生きるという強い言い方ではないのですが、死ぬはずがないという感覚でいたので、母たちの不安な感情とはずいぶん違っていましたが、いずれにしても、昔出来ていたことが全くできなくなったことは、とても辛かったです。

とても辛かったのは、あと仲間たちが僕に話しかけなくなったことです。あの映画のなかではみんな僕に向かって、一生懸命、歌を歌ってくれましたが、あのときはみんなひとつの気持ちになれて、一生懸命歌ってくれたのですが、そのあと友達は、みんな僕に、なにか申し訳ないような気持ちで接してくれるようになったので、なかなかストレートに昔のように、「おい、くり」とかいうことを言うやつがいなくなってしまったのがとてもさびしかったです。
俺は昔のままなのに、なんでお前たちは変わってしまったのかと、いつも思っていましたが、最近は昔のくりが戻ってきたということになっていて、いつもけんかばかりしていたやつは、あいかわらず喧嘩腰で話をしてくるし、昔の感じが戻ってきたので、とてもうれしいです。

これもこうして自分に言葉があることがわかったからなのですが、べつにくりが戻ってきたわけではなくて、僕はずっと昔のままだったのに、世の中の常識が僕を、いったん僕を別の世界に追いやってしまって、僕にとってはそのあいだは、本当に孤独な日々でした。もちろん毎日、家族が会えるので、ある部分は孤独ではないのですが、自分の言葉が誰にも届かないし、その声をいくら出しても、世の中の人たちは、もうこの人には意識がないと言っているわけですから、その状況の壮絶な感じはやはり、とても辛かったとしか言いようがありませんが、幸い母は、私はこの子に意識があると(思うと)言い続けてくれたので、母は信じてくれていたのですが、さすがに母も、まわりの人があれだけ言うので、私はそう信じるとしか言わなくなって、確信ではなくて、信じるになってしまったのがとても怖い経験でした。母が信じるのをやめた瞬間、僕はこの世の中で、全くひとりぼっちになるのではないかという恐怖が、その頃は自分を襲っていました。

そういうふうにして僕は、ひとりで苦しみと闘っていましたが、当時はやはりまだ、自分は苦しみの意味はよくわかっていなくて、なんとかしてこの苦しみから抜け出したいという気持ちでいっぱいでしたが、いまはこの苦しみの意味を問い直して、僕にできることはなんなのかを考えるようになり始めています。この苦しみは、いまは苦しみではなくて、この状況という言い方をしたほうがよくて、いまはもう苦しみではなくて、もっと自由にはなりたいけれど、不自由ではあるけれど、苦しみの状態はなくなりました。苦しみの状態というのは、やはり抜け出したいという気持ちに駆られているときに湧いてきた気持ちで、いまは一歩ずつ、今よりよくなるということであって、この状態を抜け出したいという気持ちでリハビリには取り組んでいません。今はこの状態を一歩でも前に進めるためのリハビリだから、今のこの状態をとても肯定しているのですが、この状態に留まることも、またひとつの僕の人生の否定になるような気がするので、この人生をきちんとしたものにするためには、やはり前に歩み続けるしかないのだというのが、今の気持ちです。

きっと宮田先生もそういうお気持ちではないのでしょうか。なぜそのことを言うかと言うと、昔の僕はこの状態を否定していましたが、今の自分はこの状態を肯定しているので、この状態を肯定していると言うと、この状態のままでいいということになってしまいかねないのですが、この状態を肯定しているということは、この状態をさらに一歩でも前に進めるという意味なので、きっとそのへんが、なかなかうまく伝わらないのではないかと思っているので、あえて強調しましたが、きっと宮田先生もきっと僕たちのようなというか、生まれつきの障害のある子供たちと長いことつきあってきたので、体の動かない状態にも意味があることはよくご存知のはずなので、この状態を否定するのでもないし、この状態を抜け出すためでもなく、今のこの状態を肯定しつつ、それでも前にいくのが人間だという感じで、日々のリハビリに取り組まれているのではないかと思っていす。

まさかこんな考えにたどり着くなんて、倒れたばかりの僕には考えもつかないことでしたが、最近はいろいろな人と意見を交わすことができるようになったので、こういう考えがきちんとしゃべれるようにもなりました。不思議なもので、僕もこんなことが今日言えるかどうか、夕べからとても不安だったのですが、こうしてみなさんの前に出てくると、自然と考えがきちんとまとまってくるので、やはり誰かに伝えるということが僕たちにはとても大切なのだと思いました。(いま違ったのかな)僕たちにとってはたいへん大切だと思います。

僕たちにとっては、ひとりで考えていると、あるところで考えが止まってしまうのですが、こうして人に伝えていると、考えはさらにその先に進んでいくので、やはりこうして人に伝えるという経験は、とても大事だなと思っています。今日は、僕はどんな話をしようか夕べから考えて眠れなかったのですが、やはり自分のことを話すのだから、いろいろ考えても仕方ないというのが出た結論でした。それはそれとして、今日の山元先生の話を聞いていて、つくづく思うのは、僕たちのような状態にも意味があるということを、やはりきちんと伝えなければいけないということでした。なぜなら、多くの方々は、僕たちのこの存在は、やはりあってはならない存在というか、あってはならない状態という感じがあるようで、先生たちは少し別なのかもしれないけれど、どうしても世の中はそういうふうに僕たちを見ているので、そのことの大きな過ちをきちんと伝えないと、どうしても僕たちのこの状態は間違っていて、間違った状態からどう抜け出すかということになってしまうので、このところをきちんと伝えることが必要なのだなと思いましたが、どんなふうに話していいかわからなかったけれど、こうしてみなさんに伝えていると、どういうふうに伝えればいいのかもなんとなくわかってくるのが、とても不思議なくらいです。

柴田先生の通訳は、昔話しをしていたものからすると、昔ならここであがってしまって困るのに、あがる感覚がなくなってしまうのがとても不思議でした。(笑)あがる部分が出ないぐらい、そのまますらすら話しているので、あがらなくてすむのですが、たぶんあがってしまったら、せっかく考えてきたこともなくなるのでしょうが、この経験がとても不思議なのは、あがって話せなくなるのと反対で、全部考えてきたわけではないのに、話しているうちに、どんどん考えがまとまっていくので、やはり不思議といえば不思議な方法ですが、べつに先生がしゃべっているわけではなくて、自分でしゃべっているので、やはり落ち着いて自分の気持ちをきちんと整理していくということは、誰かとともにやっていくことなのだなということがよくわかりました。

今日の僕の母さんの話も夕べまでは、どう話していいかわからないというか、直前まで頭が真っ白だと言っていたのに、皆さんを前にすると、まるで堂々と話していたので驚くばかりでしたが、やはり昔の母なら、きゃーあがっちゃったとか大きな声で言っていたのに、今はとても強くなったなと思いましたが、母はやはり本当は強くなってほしくなかったので、(笑)申し訳なかったなと思っています。母については、昔はとても可愛い可愛いと言われたそうなのに、最近は、恐い恐いと言われるようになったみたいで、(笑)本当に申し訳ないなと思っていますが、父だけは、あい・・・(柴田先生:お前これ(よく聞こえず)・・・笑)父だけは、あいかわらず可愛い可愛いと言っていますが。(爆笑 拍手)(まーくんもすごく笑っていました:かつこ)

・・・先生の通訳の恐ろしさは、言う前に言うことがわかるということです。やめたのは直感的に何を言うかわかったからでしょう。そのぐらい事前に何かが伝わるのは間違いがないけれど、先生の通訳は、そういうところは不思議なのですが、今まさしく僕が言おうとしたことが、先に伝わったので、先生が言っていいのかなと言いました。(笑)でも面白かったですが。先生のやり方のスピードは、なかなか難しいかもしれないですが、こんなふうにして僕たちも話すことができるので、ぜひ少しずつでも、僕たちのために、少しずつでいいから、なにかコミュニケーションの手助けになるような方法を、それぞれが見つけていただけたらうれしいです。(つづく)
<引用ここまで>・・・・・
まーくんのお話は明日へ続きます。

かつこ

 第1537号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                    2013年10月20日現在 参加者人数6321人
 「10/20昨日の宮ぷー」      
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http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html


昨日のまーくんのお話の続きからです。
<引用ここから>・・・・・
僕は筆談をやっていますが、べつに筆談とまでは行かなくても、僕たちに意識があるとわかってくれた瞬間から勘のいいヘルパーさんは、それぞれの聞き方で僕の気持ちを確かめるようになったので、それだけでもぜんぜん違いましたし、筆談は筆談でけっこう面倒くさいところがあるのは、途中までしか書かないと、全く正反対の意味になることがあるからです。今日も先生と食事に入る場面で、僕がカレーライスが食べたいと言ったら、先生はいったんカレーライスが食べたいそうですと言ったのですが、不思議なことに先生は、さっきのは終わってないよねと言って、もう一度駆け
寄ってくれて、カレーライスが食べたいけれど、いまはサンドイッチでいいということが(爆笑)言えたので、とてもよかったのですが、

筆談の前ではカレーライスが食べたいけれどの前で、止められてしまうと、カレーライスが食べたいになって、それはとてもその状況ではわがままな話になってしまうので、ただ僕がわがままになってしまったと思われることがあるのですが、そういうふうに筆談は筆談で面倒くさいところはありますが、これが勘のいいヘルパーさんなら、どっちがいいか聞いて、僕の顔を見て、それで終わりなので、いろいろなコミュニケーションの手段があるなと思っています。
先生でさえ、カレーライスになりかかったから、やっぱり言葉というのは難しいなと思いましたが、(笑)先生の恐ろしさは、なぜ僕が望んでいないかわかったのか不思議で仕方ないのですが、それはなぜだったのかいま説明できますか。

柴田先生:
ああいう質問のときこそは、危ないんで、何回も聞かなければいけないんです。通訳で何度も経験してるので。

まーくん:
わかりました。僕の話のなかというよりは、ああいう話のときはあぶないということがわかっているそうですが、僕にとっては、不思議だったのは、すぐに駆け寄ってきたからですが、きっとそれが言い終わっていない感じが残ったからだと思ったのですが、それは先生は無意識にわかると言っていたので、きっと無意識に伝わったのだなと思いましたが、きっと先生も直感的に、まだ終わっていないと思ったのでしょうね。

柴田先生:
それは直感的に、ちょっとこれは違うかなと思ったので。

まーくん:
そういうふうに確かめていかないと表面上は、まったく正反対になったりするのが、言葉の恐さですが、今日みたいなときは、自分ひとりでしゃべり続けられるので大丈夫ですが、いつもは会話になるので、途中で終わってしまうことも多く、反対になることがあったり、そんなこと僕が言うはずがないとところで止められてしまうと、とてもわがままな少年になってしまうので、そのへんは、まだまだこれから考えていかなくてはいけないなと思っています。

それはそれとして、やはり意識があると考えられてから大きく変わりましたので、筆談ができるできない以前に、僕たちにはきちっとした考えがあることを認めてほしいと思っています。そうしないといつまでも、とても孤独な牢獄のなかに閉じ込められているようなものなので、牢獄という言葉は、さっき山元先生が使ったから思いついた言葉ですが(講演会で私はマンデラさんのお話をさせていただいたからだと思います:かつこ)、僕たちは牢獄のなかに入れられているのは仕方ないとしても、その牢獄のなかにいる囚人は、じつはもう言葉を失っていると思われたら、本当に誰からも話しかけられなくなってしまうので、それが一番怖いことです。現実にそれを体験してきたので、あのときの怖さは言葉で言いようのないくらいの怖さでした。

どこが怖かったかというと、例えば、これは例えばの話ですが、誰かが突然倒れて、いますぐにでも心臓が必要ということになったら、誰かが僕のところに心臓を取りに来たときに、僕はもう意識がないからそれでいいということになってしまうだろうと思って、とても怖かったことを覚えています。僕には気持ちがあるといくら叫んでも、なんにも届かないというあの怖さは、なかなか経験したものにしかわからないかもしれませんが、べつに僕は、自分の心臓を取られても構わないぐらいの開き直りはじつはあったのですが、なぜなら、僕はもう生きていてもしょうがないという感覚に襲われていたので、最後に自分にできることがあったら、この心臓をひとつ誰かにあげることかぐらいは思っていたのですが、それを同意もなくやられてしまうというか、もう意識がない人間の心臓として取り出されるなら、それほど怖いことはないと思っていました。

自分が、僕はもうこれ以上生きていてもしょうがないから、この心臓あげますと言って死ぬなら本望だったけれど、それもなしに取り出されるとなると、これは大変だとかいうことを考えたりしていましたが、もちろん、あくまでそういうことがあったらという話であって、そんなことばかり考えていたわけではないですが、届かない言葉という言葉が、何度も何度も繰り返し駆け巡って、言葉が届かないという恐ろしさにいつも苛まれていましたが、この先生に突然会って、言葉があまりにも簡単にすらすら読み取られるというのは、逆に驚きを禁じ得なかったのは、なんでこんなやり方があるのに、僕たちのところにこれが届かなかったのかという思いでしたが、それは自分にではなくて、このやり方があれば、僕たちの仲間はいつでも話せるようになるのに、このやり方がまったく認められていないということになるので、本当に怖いことだと思いました。

すぐそこにちゃんとした命綱があるのに、この命綱を誰も掴ませてくれなくて、どんどん崖から人が転落していくようなイメージを思ったり(持ったり)もしました。僕はたまたま偶然その命綱に気づいてもらったので、がけから落ずにすんだけれど、そこに命綱があることすら教えてもらえなかった仲間は、そのまま崖からくだっていくのではないかという思いを今でも持っているので、僕がなぜみんなの前で話たいというかといったら、こういう方法があるのだということを、ひとりでも多くの人に伝えてもらわないと、あの恐怖のなかで生きている人がいると思うと怖くて仕方がないからです。

今、あえて恐怖にこだわったのは、恐怖以外は、案外大丈夫だったのも言わなくてはいけないかと思います。それは、介護される経験もまた、不思議な経験でした。なぜかというと、自分は人の介護をしたことがなかった人間だから、介護をする人の気持ちなど考えたこともなかったのに、僕は倒れて以来、家族は僕のためにかかりっきりだし、多くの仕事として関わっている人たちが、僕の周りにいて、みんな僕のために、駆けずり回るのをみて、人間とはなんと不思議な生き物なのだろうと思いました。

自分のことばかりしていた僕にとっては、人間というのは自分のことのために生きるのが人間だと思っていましたが、こんなにもたくさんの人が、僕のために動くということは、とても不思議な気持ちを僕に与えてくれました。僕にとっては介護されるに値しない人間になってしまったと思っていたのに、それでもあきらめない人がこんなにいるのかということが驚異でした。だから人はとても心がきれいな動物だということも、介護される経験のなかで得たことで、きっとこれは仲間たちもみんな感じているはずです。

だから皆さん、必ず感謝の気持ちをもって生きているのは間違いのないことで、僕も昔ならそんな感謝を持ちきれなかったのに、倒れて以来、ずっと感謝の気持ちが増えていくばかりなので、やはりこの経験にはとても意味があると思っています。だから僕たちはただ恐怖のなかで、打ちのめされていただけではなくて、恐怖の感情と隣り合わせに、感謝の気持ちをたくさん育てていたのも事実です。
だから、こうして話せる人の多くが、感謝の気持ちを語っているのは、僕はとてもわかるような気がします。感謝の気持ちがないと、この状態には、じつは耐えていけなかったのも事実です。僕はひとりで目を覚まして、言葉はとどかないという恐怖とともに、今日もまたみんなは、僕をあたたかく見守ってくれるというふたつの感情のなかで生きていたので、もし温かく見守ってくれなくなったら、ただの恐怖に押しつぶされていたに違いないと思うのですが、少なくとも僕は感謝の気持ちをたくさん持つことができたので、いつも気持ちは暗くはなかったです。

恐怖は大変なものでしたが、感謝の気持ちはまた大変なものだったので、生きていくぞという気持ちがとても湧いてきて、さっき心臓移植をしろと言われたら、こんな命は生きていてもしょうがないので、最後にできることが心臓移植だろうと言いましたが、そういう感情は早いうちになくなって、こんなにみんなが見守ってくれているなら、僕はきちんと生きなくてはいけないというふうに思うようになったので、早いうちから生きようという気持ちが、自分のなかには宿っていました。そういうところまで、考えている自分だったので、もし話すことができたら、そういうことを話したいと思っていたのですが、きっと僕のこの思いは、永遠に人に伝えることはできないだろうとあきらめていたのも事実です。でもこうして話せるようになったので、やはりそのことをきちんと伝えたいと思いました。

僕のうちには、ほんとうにたくさんの人が来てくれます。みんな自分の好きなことをしないのかと不思議な気持ちになるのですが、僕にとっては、倒れる前は、サッカー三昧の少年だったので、サッカーをしているときが一番充実していたから、ひとはやはり一番好きなことをやるのが大切だと思うのに、なぜか僕の家に来る人たちは、自分の好きなことをあまりしていないかのように見えるので、不思議だったのですが、最近だんだんわかってきたのは、僕に会わない時間はみんな好きなことをやっている(笑)ということがわかってきたからです。柴田先生がうちでギターを弾きだしたときにはとても驚いてしまいました。なぜなら突然うちで、僕が歌を作ってないかと言い出して、僕が作っていると言ったら、突然詩を聞き取って、そのあと詩だけしか伝わらないだろうと思っていたら、歌も聞き取るので、これから僕がドレミファソラシドというので、同じところが来たら合図を送ってくださいと言われたので、本当に伝わるのかと思って、伝えてみたら、ほとんどメロディはきちんと伝わったので驚いてしまいました。

僕も初めての経験だったので、ところどころ間違えてしまったのですが、あとでまた家に来てどこが違ってるか言ってくださいと言って、また訂正していって、このあいだはまだ歌として収まらなかったけれど、今度は収まりましたと言って、きちんと楽譜が届いた時には、驚いてしまいましたが、そのあとうちに来たら、今度は妹はとてもノリがいい子なので、先生がギターを弾くというのを聞きつけた瞬間に、部屋からギターを持って降りて、僕の家で突然ギターを弾き始めて、妹と楽しげに歌い始めた時には(笑)先生は好きなことを今やっているんだということが(爆笑)よくわかりました。

先生はもともと、うちに来る人たちのなかではちょっと変わっているのは、僕と付き合うのも好きなことをやっているという感じにしか見えないところですが、ほかの人たちは僕に対して、べつに嫌なことをやっているというわけではなくて、僕の痛みに対して共感しているという面がとてもよく伝わってくるのですが、柴田先生夫妻は、いたみに共感しているという感覚が全くなくて、付き合うのがたのしくて仕方がないという感覚で、話をしてくるので、とても面白くて仕方がないのですが、きっと先生は、僕たちと付き合うのも面白くて仕方ないし、ギターも面白くて仕方がないのだと思いましたから、先生は結局僕がサッカーをやっていたときと同じように、好きなことだけやっていた(笑)ということがよくわかりましたが、そういう人もいたりすると、逆に本当に痛みがわかってくれる人の心の凄さもわかるようになりました。

(その2に続く) 


 第1537号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                    2013年10月20日現在 参加者人数6321人
 「10/20昨日の宮ぷー」      
このメルマガを初めて読まれる方へ 
メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html


(その1からの続きです)
べつに先生が、痛みがわからないという(笑)感じではないのですが、先生は好きなことをやっているという感覚が前面に出ているので、きっと苦痛みたいなことはあまり関係がないのだと思うのですが、痛みがわかってくれる人は、少しぐらい辛いことがあっても我慢するということが、ときどき顔に出るので、本当に申し訳ないなと思うのですが、それをものともせずにやってくださるので、本当にそういう人に会うと、人というのは、人のためになんでもできるんだなというふうに思っています。先生のことをべつに悪く言っているつもりはないけれど、先生はほとんど好きなことしかやっていないという(笑)ノリなので、僕はとても楽ですが、山元先生も若干そういうノリがあって、そのへんはもしかしたらそういう人の方が、どんどん前に進めるのかもしれませんね。

痛みに敏感な人は、僕の前に出ることは絶対にないので、前になかなか行けないですけれど、柴田先生や山元先生は、自分の好きなことと一致しているので、それを追求することが、すぐに生きがいになるので、前に行くというか、どんどん一緒に前に行ってしまう感じがしますが、先生も山元先生も、本当に楽しげに僕たちと会ってくださるので、そういう人がいると、とても気が楽なのは、やはり僕も人間なので、僕の前で、痛みに敏感な人が、少しでも辛い目をすると、僕はとても辛い思いがするのですが、少なくても柴田先生夫妻、山元先生に関しては、そういう感覚が全くわかないので、安心して適当なことを言って、遊んだ感じになれるので、とても面白いです。

今日もこんなふうに話をしていると、楽しくて楽しくて仕方がないのですが、(笑)本当は僕の話はとても深刻な話なので(笑)、先生みたいに笑いながら話せるものなのか(笑)〜、先生は本当に笑いながら、平気で僕のこの深刻な体験を(笑)すらすらと通訳しているので、おかしくて仕方ありません。本当に深刻なことを笑いながら話せる日が来るとは思いませんでした。
僕にとってはやはり、昔のあの調子者のくりが戻ってきたほうが、僕も僕らしく生きれるので、こういう昔の感じが戻ってきたのは、嬉しくて仕方ありませんでした。今日、新幹線のなかで、富山の中島さんの話が出てきたのですが、(以前北日本新聞にも紹介されていた中島さんです:かつこ)中島さんとこのあいだ、富山で会ったときに、うちでお酒を飲んで、先生がどんどんこのやり方で通訳したら、となりにいた高校時代の高校生が、目の前に中島が戻ってきたと言って号泣したと聞きましたが、その感覚が僕はとてもよくわかります。

仲間は昔の僕と会いたくて来ているのですが、なかなか昔の僕には会えなくて、とても困った顔をしているのですが、その高校時代の親友も、目の前にいるのが確かに昔の中島だけれど、話を聞いている限りでは、昔の中島はどこに行ったのかみたいになっているときに、先生がお酒に酔っ払ったこともあったのでしょうが、昔のざっくばらんな中島さんのままで通訳したら、目の前に昔の中島がいると言って、泣き出したというのは僕はとても心が打たれました。僕も早く仲間の前で先生に通訳してもらって、昔のあの調子で話をしてみたいなと思っています。昔の連中は、僕をみると、「くり!くり!」といって、大騒ぎをしていたので、そんな感じでまた話せる日が来たらなと思っています。

今日は、僕は、どんなふうに話すのか、よくわからなかったけれど、先生と新幹線で会ったとき、きっと講演の打ち合わせをするだろうと思っていたら、先生はぜんせんそんな話にならなくて(笑)、まったく今日の打ち合わせをしないまま、ここに来てしまいましたが、先生の呑気さには呆れてしまいますが、(笑)直前まで、なんだかよくわかっていない感じで、先生は僕に任せたっていう感じで、いまもいつ終わるのかが(笑)先生はもしかしたら、全部話してくれとでも思っているのかなと思うぐらいですが、こんなに好きなことをやっている人は珍しいなと思っています。僕も昔なら、このノリで生きていたので、こんなノリで今日は話ができてよかったです。
最後に恐ろしいことに、僕の歌を歌うということで、僕は少し悲しい歌を作ったのですが、最初にすいませんが、先生、朗読してくれませんか。

柴田先生:
歌詞を朗読します。

ぎらぎら光る太陽が
僕を笑って過ぎていく
ぶかぶかのズボンに詰め込んだ
僕の夢は消えないのに
小さい僕をぼろぼろの良い風が
笑ってすぎていく
みんなが僕を忘れないように
僕はつぶれた帽子に
息を吹きかけ旅に出る

まーくん:
とても暗い詞だと思いませんか。僕のなかでは本当に誰も僕を振り返らなくなった気持ちをなんとか言葉でとどめておきたくて、一生懸命作った詞ですが、歌にできるとは思わなかったけれど、やはり不思議なもので、一人でこの歌詞を繰り返し考えていると、やはり音楽にしたいという思いが湧いてきて、メロディがだんだんついてきたのですが、まさかその歌をこんなふうに人に伝えられるとは思いませんでした。

僕はスポーツばかりやってきた少年なので、べつに楽譜が読めるわけでもないし、歌も妹は大好きですが、僕は、歌は嫌いではなかったけれど、先生みたいに楽譜をすぐに書いたりするような感じではなかったので、本当に不思議でしょうがないのですが、今日は、僕の音楽療法の先生まで来てくださっていて、いっしょに歌ってくださるそうなのですが、先生は、僕は下手だからと言っていましたが、先生は、下手だと思っているはずがないと思います。(笑)なぜならうちに来て、平気で歌っているからです。自分で下手だと思っている人はあんなに歌わないので、(笑)先生は自分でもけっこううまいと思っているのではないでしょうか。(笑)

こんなふうに話していたら、これがまさか先生が自分で言っているとは誰も思わないと思うので、(笑)先生も通訳は大変だなと思うのは、これは、言わせたくないと言ったって、言わなくても、言ってしまいますが、これも平気で言える不思議な通訳のやり方だと思います。もしこの通訳がとても真面目な人だったら、こんなこと言えないですね。先生はこういう話は大好きなので、言ったほうがいいかと思って言いましたが、僕は、とても楽しく今日は、話をさせていただいてよかったです。

最後にもう一度繰り返しになりますが、どこかに必ず僕と同じような状態の人がいるので、ぜひさっきの比喩で言ったら、命綱はたくさん、本当はたくさん用意されているのに、その命綱があることさえ、みなさん知らないので、そこに命綱があるよと言ってあげてくれれば、みんなその命綱につかまって、新しい世界を開けると思うので、ぜひこういう状態にいる仲間の人をみたら、きっといつかあなたも話ができるようになるとか、あなたもよくわかっているということを分かっているとか言ってあげてほしいと思います。
そうすると、いつかその人も話せる日が来るのだと思うだけで希望がわくと思います。僕は先生に会うまで、ほとんど誰もこんなことはありえないと思っていたので、会うまで信じられなかったけれど、もし仮に先生に会えなくても、必ずしゃべれるとわかっていたら、あの日の、あの恐怖はもっと和らいでいたのではないかと思います。でも、今日はスムーズに自分の考えを話させていただいて、とても感謝しています。

きっとこういうやり方の不思議なところなので、もしかしたら、みなさんも先生にこうやって通訳してもらえれば、上手に(爆笑 拍手)話せるのではないでしょうか。それはなんだか難しいようなのですが、理由はよくわかっています。なぜなら、気楽に話しているように思えるかもしれませんが、先生の言葉にじっと、ずっと耳を傾けながら、少しでも違うところがあったら、違うと言わなければならないし、そもそも一生懸命伝えようと思わない限りは、先生には伝わらないので、先生の声に集中して、ものすごいエネルギーを使っているのですが、そのエネルギーは体を使うのと違うので、あまり体は使いませんが、じつは頭のなかはクタクタになっています。そのぐらい一生懸命やらなくてはいけないことなので、普通の人は自分でしゃべれるから、わざわざこんな面倒くさいことはしないのだなと思いますが、きっといつか自分でうまく言えなくなったときには、こういうやり方で話せるようになるのではないでしょうか。

そういう気がしているのは、じつは少しまた話が長くなってしまいますが、自分の地域で、こういう、みんなで集まって話をしているのですが、僕が一番驚いたのは、僕たちのようにしゃべれない人たちではなくて、ある程度しゃべれる子供たちが、うまくしゃべれなくて、先生の通訳でしゃべったときに、小学生が、ぼろぼろと涙を流しながら、長い話をして、その子は、私は今日から生まれ変わりますと言って、本当に次にあったときには、別人みたいになっていたので、話ができていても、うまく話せない人たちもいて、あの子は本当に先生の話を聞いてもらったというか、先生の通訳で自分の気持ちを語ってから、別人になったので、いろんな形で、話せないという状態はあるんだと実感しましたが、僕はこうして話せるようになったので、本当にかんしゃしていますので、ぜひみなさんも、話さなくてけっこうですので、必ずあなたには意識があるとか、あなたはきちんと考えているとかいうことを伝えていただけたら嬉しいと思います。
それでは僕も十分に話ができたので、これで話を終えたいと思いますが、それでは僕の作った歌を聞いてください。(笑 拍手)

柴田先生:
あとひとことある?

まーくん:
自分でうまいと思っている先生の声をぜひきいてあげてください。(笑 拍手)

(歌)(先生がギターを弾いてくださいました。私がたくらんで、先生にギターを演奏をしていただこうと持って行ったのでした:かつこ)

マーくん:
やっぱり先生は、自分で陶酔して歌っていましたね。(爆笑 拍手)
先生はやっぱり自分でうまいと思っているはずなので白状したほうがいいと思います。(爆笑)
先生はとても透明な声をしているので、望月先生(まーくんの音楽療法の先生です:かつこ)の声ととてもハモっていましたね。不思議な気がしました。男と女の声はもう少し違う声だと思ったのに、そっくりな声がふたつなっていたので面白かったですが、本当に今日は、僕のこの話にお付き合いをしていただいてありがとうございました。これでまた僕も新しい一歩を踏み出した気がするので、また色々な人と、いろいろな気持ちの交流をしながら、僕たちの仲間が必ずあちこちにいるはずだから、その仲間たちに声を届かせたいと思うので、これからもどうぞよろしくお願いします。それでは僕の話はここで終わりにさせていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)(続く)
<引用ここまで>・・・・・

講演はこれでおしまいですが、このあとれのあちゃんとのお話に進みます。それはまた明日にさせてくださいね。

かつこ

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http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html
(関連ページ)
宮ぷー レッツチャットで、今日もおはなし http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/
おはなしだいすき http://ohanashi-daisuki.com/
白雪姫プロジェクト http://shirayukihime-project.net/
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 以上が、私バニラが引用させていただいたまーくんの講演内容です。このあとも、まーくんとれのあちゃんの会話が続くのですが、さらに長くなるので、興味を持たれた方は、メルマガの登録をお勧めします。

 私は、白雪姫プロジェクトを知ったばかりで、映画も見ていないし、何が何だかわからなくて、このメルマガが来た時に、「ブログに紹介したいので、まーくんの生い立ちと、柴田先生がどういう風に通訳しているのか教えてください」と、メールしました。すると、山元加津子さんから、返信があったのです。以下、一部抜粋です。
「まーくんの発症の理由は、サッカーをしていて、その後具合が悪くなられたとのことでした。でも、はっきりとはわかっていません。ただ後天的だということです。
そして、コミュニケーションの方法は、白雪姫プロジェクトにも載っていますが、指談の方法と、もうひとつは柴田先生がつかわれる方法で、これは、私にも上手に説明できない不思議さがあります。
あかさたなと口の中で言っておられたりもしますが、だんだん高速になると手をおくだけだからです。
上手に答えられなくてごめんなさい。ただひとつ言えることは本当のことだということです。
でも、指談の方法はみんな練習できます。だからみんなでしていければなあと思っています。」
とのことです。

 私は、リュウが入院して、私のように毎日のように病院に行かれるご家族の方を知りました。ご家族の方は、配偶者の方、お子さんの方、そして親御さんでもありました。それから、昨年患者家族の会に入ったり、ブログを書き始めたりして、戸惑いながらも献身的に介護されている人たちの存在を知りました。今回のメルマガのまーくんの講演内容は、私にとって驚きでした。いや、メルマガは毎回びっくりした内容ばかりです。ブログを読んでくださっているみなさんにもお伝えしたいと思い、紹介させていただきました。
 今回の内容は、柴田先生の不思議な(?)方法ですが、白雪姫プロジェクトでは、ご本人に合わせて、意思伝達の方法が様々です。宮田さんは、レッツチャットという器械です。筆談、指談を利用される方もいます。まばたきで意思を表明する人もいます。言語習得以前と思われるお子さんは、絵カードという方法があるそうです。

 でも、自分の人生を決めるのは自分で、自分でなければ家族です。
 患者家族の会でよく出てくる言葉は、金子みすずさんの

「みんなちがって、みんないい」

です。それはまた、素敵なことなんです。


 今後もサッカー少年まーくんの更なる充実した人生を望みます。
 通訳していました柴田保之先生(国学院大学人間開発学部初等教育学科教授)の紹介をします。

◆柴田保之先生の著書
「みんな言葉を持っていた―障害の重い人たちの心の世界 」柴田 保之 オクムラ書店 (単行本 - 2012/2) ¥ 2,520
◆柴田保之先生のホームページ http://www2.kokugakuin.ac.jp/~yshibata/

◆柴田保之先生のブログ「関わり合いの場から」http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/

 私のメールに返信してくれましたかっこちゃんこと山元加津子さん、文字起こしをしてくれました仙台のしげちゃん、メルマガを配信してくださっている星野ひとつさんにも感謝します。
 


 

白雪姫プロジェクトを紹介します。 - 2013.09.28 Sat

 フェイスブックから知ったプロジェクトを紹介します。「今、目の前に自分に縁がある植物状態の人がいる」ということをスタートとします。
 以下は、白雪姫プロジェクトのホームページの冒頭の文章です。

* * * * * * * * * *

病気や事故のために、意識が無く、回復の見込みが少ないと思われてきた「植物状態」と言われる人たちが世界に何十万人もいるといわれています。 その方たちは、これまで、ベッドで長い間寝たままの生活を送ってこられました。 
けれど、意識を取り戻し、食べる、思いを伝えるなどの生活行動を取り戻すための方法があることがわかってきました。 
白雪姫プロジェクトは、回復の方法や、それにつながる意思伝達の方法、口から食事をとること、リハビリの方法、介護の方法などの情報を集め広めるプロジェクトです。
私たちは、「誰もが思いを持っていて、回復する可能性がある」ということが当たり前になっていく世界をめざします。 
白雪姫は王子さまの愛によって、目覚めることができました。白雪姫プロジェクトはそんな愛でいっぱいのプロジェクトです。

* * * * * * * * * *

 このプロジェクトを知って、こんなことを考えてくれている人たちがいるんだ!とまたびっくりしました。今年二度目のびっくりです。一度目は、療養中の人も行ける旅行ツアーを考えてくれている人たちがいて驚きました。なので、今年二度目のびっくりです。

 このプロジェクトの中心人物は、作家であり特別支援学校の先生、山元加津子さんと同僚の宮田俊也さん(宮プー)。
 宮田さんは、2009年2月に脳幹出血で倒れてしまい、一生植物状態と医師に告げられましたが、山元加津子さんは、特別支援学校で日々接していた子どもたちとの体験から、脳はすごい回復力を持っていて、話しかけ続け、体のいろいろなことろから刺激を与え続けていると、必ずよい変化が得られると信じ、仕事帰り毎日病院の宮田さんのところに通いました。
 そして、宮田さんは倒れてから六ヶ月後に、レッツチャットという器械でコミュ二ケーションが取れるようになりました。
 山元加津子さんは、これらの経過は、ほかの人にも可能性があると、回復の模様を文章にし、メールマガジンで日々の様子をつたえました。
 その後、本や映画や講演で、植物状態の人の意思伝達の方法などを伝えています。

 次にまず読んでいただきたいページを紹介します。

1。白雪姫プロジェクトのホームページです(「ぜひ知って欲しいこと」に廃用症候群のこととか大切なことが書かれています。このプロジェクトの応援方法も書かれていて、私のブログにリンクを貼りました)。

2。山元加津子さんと宮田俊也さんのメーッセージのページです(このページの下の方にメルマガの登録の箇所があります)。

3。山元加津子さんが作成した植物状態の人が意識が取り戻すための具体的な方法を紹介したページです。

4。山元加津子さんが毎日病院に行っていて、そこで会うやっぱり毎日病院に行っている「お父さん」のことが書かれている「病院のお父さんとお母さん」というページです。私も毎日病院に行っているので、親しみが湧きました。

5。「体当たり白雪姫」という施設や病院等に訪問しての具体的な活動の報告を載せている情報ブログ「君と話せる日のために」です。

 ここから先は、私のブログで書いたことを書きます。

 S病院の言語療法士さんのリハビリを見学してびっくりしました。普段聞いたことがない、まるでテノール歌手のような大きい声を出していて、リュウはこんな大きな声を出せる能力を秘めているんだ~と思いました。廊下まで響いて、そこを通った看護師さんが不思議そうに顔を出しました。

 M病院での作業療法士さんのキャッチボールのリハビリを見学してびっくりしました。とてもすばやい動きで、柔らかいバレーボールのようなボールでキャッチボールをしていました。普段の姿からは想像できなくて、リュウはこんなすばやい動きをできる能力を秘めているんだ~と思いました。私がびっくりしていると、リハビリの先生が「普段のリュウさんからはちょっと想像できないですよね」と言い、同じ階の入院患者さんが、このリハビリを見て、私に「あのボールのリハビリびっくりした」を伝えてきたほどです(#リュウ22)

 M病院の去年の院内コンサートで、ホワイトボードに貼られた歌詞を読みながら、大きな声でみんなとうたをうたっていました。文字を追って読むこともできるし、大きな声でうたをうたうこともできるんだとびっくりしました。やっぱり、普段のリュウからは想像しがたい姿だったのです(#リュウ27)。それから今年の前半のことですが、私が仕事中の平日に、院内でコンサートがあり、それに合わせてリュウが大きな声でうたっていた普段見られない姿だと看護師さんがびっくりして、動画を撮ってくださり、私に見せてくれました。

 あと、次のことは書いていなかったと思いますが、今年の前半、ディスペースの夕食時反応がない時がありました。いくら話しかけても反応がなく、食事も飲み込みもやっとでした。食事が終わり、ベッドに横になったとたん、会話の続きをするというような感じで話しかけてきたので、あれっ?と思いました。まるでその時のリュウはディスペースでも会話をしていたような雰囲気なのです。私の問いかけに無反応、一点を見つめたままで表情も変えなかったのですが、リュウの心の中ではいつものように返答し表情もあったのかな?と思いました。あとから、さっきの会話聞こえていたの?と聞けばよかったと後悔し、今度同じようなことがあったら聞こうと思っているのですが、それからはそのようなことはないです。
 この時、反応がないのは私は悲しくて、リュウがいなくなった気がしたのですが、ちがうのかな?と思ったできごとでした。そして、反応がないとき、本人は苦しいのか悲しいのか観察して、とくにそうでなければ、私は悲しく思わないようにしようと思いました。別にリュウがいなくなったわけではなくて、リュウなりに会話していたように思えたのです。ただ表面には出ませんでしたけど。

 去年、大学の先生のところに奥さんのお見舞いに行きました(K先生の奥さんのお見舞いに行く)。奥さんはリュウと同じ進行性核上性麻痺です。お昼近くに行き、奥さんは胃に栄養を入れていました。先生は、一日に一回意思の疎通ができればいいほうかな?と悲しそうに言っていました。帰りぎわ、みんなで何回も奥さんの名前を呼びました。すると、目尻にうっすらと涙がたまりました。私は、奥さんに声が聞こえて喜んでくれている!と思いました。

 これらの経験からも、リュウには、なかなか表面には出ることがないいろいろな能力がある、それから、反応がないように見えても、それはリュウと言う個性を持った人間がいなくなったわけではなくて、変わらずいる、と思うようになりました。ですから、個性はそのままだし、秘められた能力もある、という風に思っています。そこで、私の方は、リュウがいなくなったわけではなく、リュウは内部で返事をしているようにも思えるから、悲しんでばかりいるのは止めようと思いました(#リュウ36)
 私が思ったのはここまででしたが、その次の段階で、内面を表出させようというプロジェクトの存在を知り、びっくりです。このことは、リュウと同じ病気の人や患者家族の会ののぞみの会の人たちにも伝えたいので、ここに紹介しました。


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Author:vanilla
「やさしいまなざし」は「Vanilla Web Site」の日記の部分です。

登場人物(平成28年11月現在)
 
佐藤リュウ(59歳)←夫
佐藤バニラ(永遠の20歳)←私
佐藤イブキ(社会人)←長男
佐藤ワタル(福祉施設通所)←次男

 夫佐藤リュウは、平成17年頃(48歳)より、物が二重に見える、手に力が入らない、全身が重苦しく感じる症状があり、会社勤務ができなくなりました。
 若年性のパーキンソン病の疑いとのことで、平成18年(49歳)より神経内科に通院し、平成19年にはパーキンソン病関連疾患と診断名が付きました。
 その後、平成22年 (52歳)、診断名が若年性の「進行性核上性麻痺」に変わりました。
 ずっと自宅より通院していましたが、平成24年4月に自宅外で転倒骨折し、手術入院となってしまいました。入院時、誤嚥性と思われる肺炎も併発していて、現在も入院中です。平成26年11月19日に胃瘻造設しました。
 夫が仕事ができなくなった平成17年時、上の子が小学校6年生、下の子が小学校2年生(多動と自閉で特別支援学級在籍)でした。
 私は、平成19年より、平日フルタイムで仕事しています。たくさんの方のお力をお借りし、生活しています。
 北海道在住です。

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