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2018-06

今年のクリマスパーティは病院で。 - 2014.12.25 Thu

 ずっと昨年までうちでやっていたクリスマスパーティー。12月23日が私が仕事があったのと、ちょっと誤嚥性肺炎の心配があり、今年は21日に病院の4階で家族四人でクリスマスケーキを食べました。

 年越しはうちで過ごそうね。






↑4階もクリスマスの飾り付け。色々なところに手作りっぽい飾りが。

 今日25日はクリスマスですね。
 ハッピークリスマス!



届いた!胃ろう用腹帯! - 2014.12.24 Wed

 待ってました!リュウの胃ろう用腹帯。インターネットで探して注文し、今日届きました。
 明日病院に持って行きます。クリスマスプレゼントになりました。






↑二枚入りです。


病院からクリスマスソングのサプライズ! - 2014.12.24 Wed

 今日、ディスペースで夕食を食べ終えた位に目の前に院長先生が。

 「今から合唱団?が来ます」

 そう言ったのでポカンとしていると、院長先生や事務の人10人くらいがあらわれ輪になり、クリスマスソングを歌い始めました。そう言えば昨年もこうしたサプライズがありました!
 紙を渡してくれ、一緒に歌いました。
 何?と思った患者さんも部屋から出てきていました。

 「テレビから流れていると思ったら何か違うと思って来てみた」

 みなさん、喜んでいました〜。
 歌い終わると上の階へ。




↑時間をみて、みなさんで練習して下さったんですね。嬉しいです。走り回ってお仕事する看護師さんの姿も映っています。





歩行動画テスト投稿です。 - 2014.12.20 Sat


↑10月1日の夫リュウの歩行の様子なのですが、私は見えているのですが、他の方は見えていますか?本人の了承は得ています。

※動画アップしてすぐに、「見えている」と連絡ありました。ありがとうございました。今後、動画アップしていきたいです。



リュウの「エンリョします」 - 2014.12.07 Sun

 11月28日の連絡ノートに嬉しいことが書いてあり、書いてくれたS看護師さんに承諾を得て、ブログ記事に。

 11/28 朝
 スッキリ排便。
 ディルームで介助で食事全量OK。
 TVをみて「京都、来春行くんだけど一緒に行きますか」と聞くと
 「エンリョします」とキッパリ言われました
 夜間良眠です。

 以上のことが書かれていました。これを見て、本当に嬉しかったです。私は旅行に行く時、無理に連れ出していないかな?とどこかで心配しています。本人には何回も行く?と事前に聞いていて、行くと返事があります。それでも心配が残ります。
 でもS看護師さんの書いてくれたものを見て、嫌なものは嫌なんだ、とまた確認することができました。
 S看護師さん、本当にありがとうございます。


↑書いてくれた人の名前がなかったですが、字でわかりました。上のミミズが這ったような字は私です。


↑胃ろうから薬がしっかりと入るからか、手の動きもよくなったような。私が「こう振ると雪が舞うよ」とやって見せてから渡すと自分でもやろうとしていました。12月2日撮影。


↑ディスペースにクリスマスツリーが。ありがとうございます。12月2日撮影。


↑11月19日に胃ろう造設したのですが、傷も落ち着くと夕飯はほぼ完食が続いています。
 言葉も前より少し聞き取りやすくなった印象を受けています。
 写真は夕食後のかっぱえびせんです。自分でつまんで食べ、最後の二個になった時私に「タベナイノ?」と聞いてくれました。私が「気がつかなかった?前半に5個くらい食べたんだよ」と言うと「スゴイネ」と返事が。12月3日撮影。


↑放課後ディサービスのS事業所さんで作っているワタルの12月のカレンダーとクリスマスの飾りのぬり絵。12月6日撮影。

 私は実感が湧かないことがあって、それは朝の残してくれるパンがなくなったことと(またいつか残しておいてね)、薬を口から飲まなくていいと言うことと、水分も無理に(?)気をつけなくていいと言うことです。
 薬ですが8年くらい口から飲んでいて、薬を飲む習慣がなかったのできちんと飲めるようになることへの工夫とか、その時によっては、粒の薬がいいとか粉の薬がいいとかで、病院になければ院外処方にしてもらったり、また私が空のカプセルを買ってきて、粉の薬をカプセルに変えたりとか(これはお医者さんにも相談してくださいね)、オブラートに包んだり、飲むゼリーに混ぜるとか、これはこれで長い物語がありました。
 それらのことがある日を境になくなり、何か変な感じです。

 一昨日は日中リュウの笑顔が見られたよ、と看護師さんが教えてくれました。
 ありがとうございます。



今夜は完食できた。 - 2014.11.26 Wed

 昨夜病院に行くと、目がとろんとしていて眠そう。
 歩くのもままならない感じで車イスでディスペースへ。
 でも口も開けられない位眠そうで、添えてあったゼリー一個のみやっと食べ、あとはほぼ手つかず。
 S看護師さんと思わず目と目を合わせ、しばらく見つめ合ってしまいました。

 今日はどうかな?と病院に行くと、
 目がぱっちり開いていて、自分ではスプーンが運べなかったけど、気持ちがいいくらいの完食。
 嬉しかったです。

「トマトのサラダあるよ!新鮮なやつ。トマトの味がする?」
と聞くと、
「ウン」
と答えました。

 よかった!嬉しいな。

 胃ろうになっても、食べられる時と食べられない時の私の気持ちは変わらないんだと思いました。




完食。嬉しくてパチリ。

 昨日と何が違うんだろ?と考えたら、グルタチオン点滴の日でした。思い切ってここのところ行けてない院内散歩に挑戦。手引きで散歩できました。

 グルタチオン点滴は今日打って今日いい!と思う時もあれば、変わらないと思う時もあります。また二日後や三日後がいい!と思う時もあれば、今週一週間は目立ってよい時がなかった?と思う時も。でもやっぱり、やらないよりやった方がよかったと思います。夫の場合です。



アベヒロシ院長先生に「胃ろう」の手術をしてもらう。 - 2014.11.23 Sun

 いつだったかリュウが「アベヒロシニニテル・・・」と院長先生のことを言ったことがあります。そのセリフがとても印象的で私の中で、「院長先生イコールアベヒロシ」に。

 胃ろうの手術のことは現在のM病院での主治医T先生から「リュウさんの年齢や諸々のことも含め」と最近は提案があったので、「T先生が手術してくださるんですか?」と聞くと、「院長先生」とのこと。
 
 胃ろうですが、今年4月に主治医がMドクターからT先生になってすぐにT先生からお話があったのですが、本人の意思が確認できませんでした。その後も何回かあり、10月に本人がT先生の前で「ウン」と言い、その後は否定しなくなりました。
 S病院から鼻からのくだをしたままM病院に移ってきた時にすでにH医師、Mドクターに胃ろうを勧められていたので、その時点から丸二年は経ちました。その間本人の意思はノーでした。
 今現在転院時から8〜9キロは減っていて、40キロを切ることもあります。何割りかしか食べられない時もあり、今後も体重減少は続くでしょう。身長は背中を真っすぐ伸ばしたら、160センチ以上あります。血液検査の結果は特に問題ありませんが、栄養状態が悪くなるといざ胃ろうを造ろうとなってもできないこともあるそうです。本人が「ウン」と言うのは、自分でもこれ以上体重が減ったら大変だと感じているからではないでしょうか。


 数日前の手術の具体的な説明は院長先生。私の隣りにはリュウ。手術中、手術後の起こるかもしれないというリスクも説明を受けました。そして私は三枚の書類に署名を。
 私の中では院長先生はなんとなく、明るくて前向きなイメージがあります。院長先生を見ていると深刻な感じがしないのです。
 それで、先日の手術前の説明を聞いていても、今日(11/19)、手術室で待機していた院長先生に私が挨拶をし言葉を交わしても、手術後私が手術室に入って院長先生から説明を受けても、なんか全然大丈夫じゃ?という感じが自分の中でしてきました。悲壮感から遠いのです。悪い意味ではなく。患者さんのどの状況でもイメージが一定している感じがして、患者家族は非常に心強いことだと思います。

 院長先生、リュウの胃ろうの手術、本当にありがとうございました。

 T先生も今日(11/19)病室に手術前、手術後来て下さり、昨日の手術前の検査の結果や、手術後の説明や私の疑問質問に丁寧に答えて下さり、本当にありがとうございました。お風呂も入れるし、食事もできるそう。
 S看護師さんも昨日の手術前検査でも立ち会ってくださったり、今日も日勤でリュウを手術室に運んでくれ、病室に戻ったリュウと私の前に姿を見せて下さったりで、本当にありがとうございました。

 手術は2時半からでした。病室に戻ったのは3時過ぎで、6時半くらいに私がナースコールを押して、そこで痛み止めの筋肉注射をしてもらいました。麻酔が切れてくると、痛そう〜〜〜。せっかく入れた胃ろうのチューブを抜いてしまわないように、胃ろうの上にガーゼ、テーブ、腹帯をしています。

 T先生、S看護師さん、それぞれから聞いたのですが、順調にいったらの話ですが、食事の再開は明後日(11/21)。

 リュウ、ワタルも成人していないし、ここのところ落ち着きなくて学校でもディサービスでもショートスティでも問題行動目立ったりで、悩みどころだからまた一緒に考えてね。私一人じゃ、対応しきれないわ。それにイブキも色々あるよ。

 私へのパンも、また残しておいてね。

 そしてまた家族四人で出かけよう!バリアフリーなお出かけさ。またイクラ丼食べよ。

 S病院H医師も気にして下さりありがとうございました。院長先生、T先生、スタッフのみなさんにも先生のメッセージお伝えしました。



 胃ろうのことですが、河野先生のブログで知った長尾クリニックの長尾和宏院長先生が、婦人公論2014年10月号で、『「胃ろう」という選択を迫られたら』という記事を書いています。私は早速買って読みました。ハッピーな胃ろう、アンハッピーな胃ろうのことも書かれています。私も一概には言えなくて、その人や家族のケースバイケースで色々な選択があっていいという風に思います。手元にありますが、長尾先生のブログにその記事が読めるリンクが貼っていて、そこで読むことができます。長尾先生のブログ名は「Dr.和の町医者日記」で、婦人公論の記事が読めるリンクが貼ってあるブログ記事のタイトルは、『「婦人公論」今月号に胃ろうの話』(2014年10月15日UP)で、その記事を読むにはここをクリックしてください


↑写真は手術後二日経った金曜日の夕食。その日お昼ご飯から食事が再開になり、昼食夕食とも半分以上食べられました。



入院や福祉施設入所中の方の選挙。知的障がいの方の選挙。認知症の方の選挙。 - 2014.11.22 Sat

 今日(11/21)仕事帰り病院に行くと、ベッドに横になっていたリュウの表情が苦しそうではなくて、ホッとしました。手術から二日経ちました。お昼から予定通りご飯が再開されたのこと、6割くらい食べられたとのこと。半分以上食べられてよかった。
 食べた場所はベッド上かな?と思ったら、車イスのままだけど、いつものディスペースとのこと。うわ、嬉しい。じゃあ夕食も車イスでディスペースに行こうねとベッドから車イスに移動してもらいました。
 車イスへの移動は私一人ではできなくて、看護師さんも手伝ってくれました。色々な姿勢をしても痛そうに顔をゆがめることもないように見えました。
 そうしてテレビのニュースを見ながらおかゆと刻み食のご飯を私の手助けで摂ってもらっていると、安倍首相のアップが。任期を二年残して衆議院を今日解散、来月12月14日が総選挙とのこと。

「今は手術後まだ傷も塞がってない体。解散総選挙。何だか、解散を簡単にしているように見えるけど、投票する人の中には常に大変な思いをして投票している人もいる・・・。本当に必要な解散なのか・・・」

 でももう決まったことなのでリュウはまた三回目の病院での不在者投票をすることと思います。ただ、認知症の方も進んでいるので自分の意思をどこまで出せるかなぁ。

 入院中の選挙は今まで二回あり、どういう風に投票したのか、二つの過去記事をここに記します。


 一つ目は『病院で、不在者投票をする(#リュウ35)。』というタイトルで、2012年12月16日にこのブログに書いたものです。

 「病院に入院中の人は、選挙の投票はどうするんだろう?」と、疑問に思っていました。
 小学校の体育館などの投票場所まで、院外外出をして、行かなくてはないのかな?と思っていたら、看護師長さんがひとりひとりに、
「選挙はどうしますか?」
と、聞いてまわっていました。リュウと私のところにも来て、
「選挙はどうしますか?」
と聞いてくれました。
「どこで、投票するんですか?」
 私が聞くと、
「ここの病院で、投票箱に投票用紙を入れてもらいます」
 看護師長さんが言いました。
「病院でできるんですか?」
「はい。12月12日に不在者投票を、病院でします」
 そうなんだ!でも、大きな問題があります。リュウは、字が書けないのです(正確には字を書くことが非常に困難)。
「あの~、夫は、字が書けませんが、それでも投票できますか?」
と聞くと、
「指差しで結構です」
と答えてくれました。
 字が書けない人は、担当の人に字を書いてもらう代理投票という制度があるんですね。これなら、リュウも投票できます。
「よかったね!リュウ」
と私が言うと、リュウは、コクンとうなづきました。
 その日の連絡ノートを見ると、投票箱に自分で投票用紙を入れ,無事に投票できたと書かれてあり、リュウにも確認しました。
 よかったです。

 今日は、選挙の日。私も投票してきます。


 二つ目は『入院中の選挙について。』というタイトルで、2013年7月10日にこのブログに書いたものです。病院で二回目の選挙の時です。


 リュウは、入院前までは、私と投票所に行き、何とか何とか字を書いて、投票していました。でも、その頃から、今後字が書くことがもっと困難になったらどうやって投票するんだろう?と疑問に思っていました。
 まず昨年病院で投票しわかったことですが、都道府県の選挙管理委員会が指定した病院あるいは介護福祉施設などに入院入所中の方は、そこで不在者投票ができ、字が書くのが困難な場合、代理投票という制度を利用して、投票することができます。病院内でも投票所でも、自分の意思を係の人に伝え、代わりに記入してもらい、投票します。
 昨日、看護師長さんとお話しました。看護師長さんが一昨日リュウに投票するかどうか聞いたら、「する」、とのことで、リュウも病院内の一室で、不在者投票をすることになったとのことです。
 病院に入院中、介護福祉施設などに入所中の方は、不在者投票できる病院、施設であるかどうか、まずは職員の方に聞いてみてください。



写真は、リュウに届いた今回の選挙をお知らせするハガキ。去年は病院で投票する際必要かと思い、病院にもって行きましたが、とくに必要ではなかったので、今回は持って行かないかなと思っています。

追記(7/13):指定病院での不在者投票の流れですが、個人に選挙の意思を確認し、選挙をする人の名前を病院長が、名簿登録地の市区町村の選挙管理委員会に、直接または郵便等で投票用紙を請求し、交付してもらいます。ですから、このハガキを持って、選挙当日投票所に行っても、できないそうです。




 次に「知的障がいの方」や「認知症の方」の選挙についてですが、昨年「成年被後見人は選挙権を有しないとする公職選挙法の規定は違憲とする勝訴判決が下りました」の裁判のことがニュースになっていました(次のリンク「娘をもう一度、主権者に 成年被後見人の選挙権回復から1年を迎えて」に詳しく載っています。ここをクリックしてください)。
 成年後見制度を申請すると、選挙のハガキが送られてこなかったのが、昨年から送られてくるようになりました。上記リンク先の匠さん、そして運動されていたみなさん良かったです!

 成年後見制度とは、認知症、知的障害、精神障害などの理由で判断能力の不十分な方々は,不動産や預貯金などの財産を管理したり,身のまわりの世話のために介護などのサービスや施設への入所に関する契約を結んだり,遺産分割の協議をしたりする必要があっても,自分でこれらのことをするのが難しい場合があります。また,自分に不利益な契約であってもよく判断ができずに契約を結んでしまい,悪徳商法の被害にあうおそれもあります。このような判断能力の不十分な方々を保護し,支援するのが成年後見制度です。
 ↑
 法務省の「成年後見制度~成年後見登記制度~」のページより引用

 二十歳になったら、みなさんに選挙のハガキが届きます(ただし受刑者の方は日本では選挙権がありません。それから戸籍がない方にも送られてきません)。

 札幌市手をつなぐ育成会では今年9月、選挙管理委員会の方も参加した本物そっくりの模擬選挙体験会があり、新聞で報道されていました。知的障がいがある方のための選挙の練習です。その様子は、札幌市手をつなぐ育成会のホームページの『「せんきょを学ぶ会」開催しました』に載っていますので、ここをクリックしてくださいね。私たちは行っていませんが、当日はお友達親子も参加していた記憶があります。

 私自身は、地域の小学校の体育館に行って投票するというのしか経験したことがないのですが、上記入院入所内での不在者投票の他にもいろいろな投票の仕方があります。「点字投票」「代理投票」「郵便等による不在者投票」など(愛知県のホームページの「いろいろな投票方法」がわかりやすいです。ここをクリックしてください)。
 「郵便等による不在者投票」は「身体に重度の障がいのある方で一定の要件に該当する方又は介護保険の被保険者証に要介護5と記載されている方」。
 「代理投票」は「病気やけがなどで自書することができない方は、代理投票ができます。代理投票をしたいことを申し出ると二人の補助者が選任されます。そのうちの一人の立ち会いのもとで、他の一人が代理投票を申し出た選挙人の指示により投票用紙に記載し、投票箱に入れます」ということで、夫リュウは、地域の公共施設ではなく、病院で代理投票の不在者投票をしています。

 ただ夫の認知症状が進んだ場合、病院で聞かれる始めの質問「選挙しますか?」に「はい」と意思表示できるか、「する」と答えて代理投票で「指差し」できるかどうかわかりません。その場合は選挙は棄権になるのではないでしょうか。今後認知症の方が増えて行く可能性があるので、何かいいサポートがあったらと思います。

 知的障がいの方や認知症の方に向けというだけではなく(必要がないという方もいますので)、選挙の争点のマル、バツを一覧表にしたわかりやすいものを必要な方のために用意するとか。私も欲しいです。NPO法人「地球村」で昨年参議院選挙の一覧表のチラシ作っていました。今回も作って欲しいですが、選挙管理委員会で作って欲しいです。


↑2013年参議院選挙の選挙の争点の各政党の一覧表。NPO法人「地球村」制作。HPの但し書きで、「※上記チラシは、特定の政党や候補者を応援するものではありません」とあります。



無事に手術終わりました。 - 2014.11.21 Fri

 水曜日の午後に院長先生に胃ろうの手術をしていただき、傷の経過も順調で、今日のお昼からおかゆが食べられるそう。
 また後日詳しくお伝えしたいです。

 先生方看護師さんスタッフの方、みなさん、ありがとうございました。





リュウさん、お誕生日おめでとう3。病院にて。 - 2014.11.16 Sun

 今日11月16日はリュウの57回目のバースデイです。
 午前中にピンポンと呼び鈴が鳴り、なんとケーキが届きました!
 伝票を見てみると、リュウの一番上のお兄さんからです。

 ヤッター!ケーキが届いた!

 私は喜び、午後にイブキ、ワタルと三人で病院へ。
 四人で4階の談話コーナーに行き、小樽のホテルに引き続き、リュウのお誕生日お祝いをさせていただきました。


↑「リュウさん、おたんじょうびおめでとう」のチョコのプレート。長いロウソクが五本。短いロウソクが7本。


↑札幌市白石区の「きのとや」のケーキ。この時も私の手助けで、パクパク食べられました。よかった。

 昨日に引き続き、ケーキ食べられるなんて・・・。感無量。



↑夕食前にまた病院に行くと、S看護師さんからのリュウの顔写真入りのプレートがリュウのベッドの上にぶら下がっていました。「11月16日(日)57歳おめでとう~~ね」と書いてあります。またまた感激。


 4階の談話コーナーでのこと。リュウに、「リュウのお誕生日お祝いにイブキ、ワタルもまた来たよ」と言うと、

「・・・ナニヨリダ・・・」

とのリュウのセリフが。

 リュウ、57歳のお誕生日おめでとう。

 またまたたくさん、いい時間を過ごそうね。




リュウさん、お誕生日おめでとう2。S田さんと。 - 2014.11.16 Sun

 昨日、リュウの友人S田さんがお見舞いに来てくれました。毎回おいしいケーキを運んで来てくれます。前回は、6月1日に来てくれ(ブログにはアップし損ねていました)、それ以来です。

 午後、三人でまた4階の談話コーナーへ移動しました。

「ケーキありがとうございます。実は明日がリュウさんのお誕生日なの」
と私。
「え?そうなの?」
とS田さん。

「うん。だからこれはお誕生日ケーキだね」
「そうだね。プレゼントも持って来たから、これはお誕生日プレゼントだ」

「そうなの?S田さん、ありがとう」
「そう言えば、リュウさん、6月以来だけど、・・・痩せた???」

 S田さんが驚きを隠せないと言う感じでしょうか。

「うん。たしかに痩せたわ。そしてね、一番ピークに痩せてる時だわ」
「???」

「来週、胃ろうの手術するの」
「胃ろう???」

「うん、胃に穴を開けて、そこから栄養を入れられるようにするの」
「そうなの?」

「うん、胃ろうはこの病院に転院する時に初めて言われてるからもう、何年経つかな?とっくにつくっててよかったの」
「・・・」

「でもね、お食事はちゃんと出るから、食べられない分を足す感じ」
「そうなの!」

「うん。ずっと本人イヤだって言ってたんだけど、ここのところイヤだって言わなくなって、ウンって」

 その話のあと、8月の藻岩山のアルバムと、先週の小樽のホテル一泊のアルバムをS田さんに見てもらいました。

 多分「胃ろう」のことを書くと、どなたもびっくりされるかと思いますが、S病院H医師、現病院Mドクター、現病院T先生の勧めもあり、私ももう何年も考え続けたことで、でも本人が嫌がるうちはやらないと決めていたことです。食べられる時と食べられない時があり、体重減少は進んでいてもう、今はとってもほっそ〜〜〜いのです。40キロを切る時もあり、リュウ本人もどこかでもう限界の体重だと感じているのではないでしょうか。

 「胃ろう」は色々な意見があり、また別の機会に触れますね。


↑こちらは今回の札幌市中央区の「Dread Naught BAKE SHOP」の美味しいケーキ!いつも子ども達の分も。ありがとうございます。


↑左がリュウの。右が私の。私の手助けで、パクパク食べられました。よかった。


↑S田さんのプレゼント。アウトドアの靴下。とても暖かいそう。なんと私の分も。感激。


↑こちらは、アップし損ねていた6月にS田さんが持って来てくれた札幌市中央区「Buono Buono」のケーキ。ここはチーズケーキ専門店で色んなチーズケーキが!S田さん、ありがと。

 S田さんは今年も夏山登山もこなし、数年前から始めた空手も続け、これからのシーズンは山岳スキーをするそうです。また、写真写したら私たちに見せて下さいね。
 
 S田さん、昨日はありがとうございました。本人もとても喜んでいました。




無事にお誕生日お祝い終わり、帰って来ました。 - 2014.11.12 Wed

 亡くなってしまったリュウのお父さんは小樽出身。やはり亡くなってしまった叔母さんも朝里に住んでいました。リュウが小さい頃は、叔母さんの住む朝里で海水浴も。リュウにとって小樽は第二のふる里です。
 私たち夫婦もイブキワタルを連れて、海水浴は小樽の海へ行っていました。

 小樽にバリアフリーのお部屋があるホテルがあり、それも小樽の海のすぐそばに建っていると知って、リュウのお誕生日お祝いの一泊の計画を。
 リュウは一日目の夕食(ホテルレストラン)、二日目の朝食(ホテルレストラン)、昼食(びっくりドンキー小樽運河店)、私の手助けでパクパク食べ、お腹もいっぱいに。
 お部屋のお風呂も無事に入れました。

 ワタルの提案で、ホテルのすぐ近くにある小樽水族館へも行きました。小樽水族館は、札幌円山動物園、旭川の旭山動物園とともに、家族で何回か訪れた場所です。

 イブキは車イスの出し入れや車イスを押してくれました。ワタルは「楽しかった!」を連発しています。

 リュウ本人も「タノシカッタ」とのこと。

 今回の一泊旅行の許可を出して下さったT先生ありがとうございました。あと、看護師さんが痰の吸引の機械を貸してくれたりでありがとうございました。吸引は寝る前に一回やってみたけど、その時はゴロゴロしていなかったので、必要なかったのかな。


↑二日目の小樽水族館。大型の水槽を見るリュウ。


↑触れるコーナーが出来ていて、リュウにヒトデを触らせようとしているイブキ。


↑「お誕生おめでとう」のプレート。一日目の夕食のデザートに添えられてありました。ノイシュロス小樽さん、ありがとうございました。


↑第二のふる里の小樽の海。ホテルのお部屋の窓からの眺め。

 本当の誕生日は数日後だけど、

 リュウ、お誕生日おめでとう!

 また、楽しい思い出ができたね!



小樽のホテルでリュウのお誕生日お祝いで一泊。 - 2014.11.08 Sat

今年のリュウのお誕生日は、小樽のホテル、ノイシュロス小樽のバリアフリールームを予約し、家族四人で来ました。
無事に部屋に付いているお風呂に入ることができました。
これから、レストランで夕食です。
また写真をたくさん写しているので、旅行記書きたいですが、まずは、この旅行が無事に終わりますことを。
応援してくださる皆さん、ありがと。


↑部屋のドアは引き戸でお部屋はバリアフリー。車椅子のまま入れました。


↑お部屋のお風呂。備え付けのシャワーチェアー。
イスの高さ以下にしゃがむことがないので、しゃがむ姿勢が困難でしたが、無事に入れました。
窓の外は、日本海。


↑今日病院に行くと、「バニラさんがよかったら、持って行かない?」と看護師さんが。「最近、寝る前と深夜に痰の吸引をしているとのこと」。ナースステーションで使い方を教えてもらい、持ってきました。本人の負担がなくなるのなら、頑張ってやってみます~!
ありがとうございます。

ワタルは今、ひとりでホテルの温泉へ。普段ヘルパーさんと訓練しているので、大丈夫でしょう。

あっ、無事に帰ってきました。



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「それがわしの名か?」 - 2014.10.31 Fri

 ディスペースでの食事のメンバーは移り変わりがあります。
 Kさん(仮名)は一ヶ月くらい一緒でもう退院されました。
 Kさんとのエピソードです。

 今月のある日、夕食時いつものように私がディスペースに行くと、その時のメンバーがもう座っていました。4人くらいです。
 食事が始まりましたが、オレンジのいつものお手拭きが見当たりません。私がそのことに気がついた瞬間、

「あれっ、オレンジのお手拭きがない」

と小さくもない声を出しました。まわりをキョロキョロすると、他の人には配られいてリュウにだけありませんでした。すぐにもらいに行こうと私が立ち上がると、隣りにの方にいたKさんが、

「わしのをどうぞ」

とオレンジのお手拭きを差し出してくれました。そういうわけにはいかず、

「いえいえそれはKさんのですのでお使いください。いま、もらってきますから」

と私は言い、何歩か歩き出した時また、

「いえいえ、私はいつもこのお手拭きは使っていませんので、どうぞお使いください」

と困っていた私の気持ちに入り込むようにKさんが。私はKさんと目と目を合わせ、そこまでおっしゃるのならと、そのお言葉に甘えさせてもらおうと思い、

「そうですか、それでは有り難く使わせていただきます、ありがとうございます」

と私が言い、使わせていただくことにしました。

 Kさんは何歳くらいでしょうか、80歳前後と思われる男性の方で、リュウよりも表情も良いように見え、もちろん姿勢もいいし、私にはどこが悪いのかわかりません。

 リュウの食事が始まり、しばらくして何かの拍子に私が立ち上がり、Kさんの視界に入ったと思われる時のことです。Kさんが私に向かって言った台詞に、私は凍り付いてしまいました。

「わしの目の前のコップになんて書いてある?」

と言うので、

「え?◯◯ ◯◯さんって書いてありますけど」

と私が不思議そうに言うと(自分の持ち物には名前が書いてあります)、

「それがわしの名か」

と言いました。それも悲壮感は感じらず、あっけらかんとした感じです。まるで、初めて見る物の名前を聞いている風です。例えば、「緑のトウモロコシ」があったとします。これは見たことがないので、「これは何?なんて言う名前?」とまわりの人に聞いている感じなのです。その質問に悲壮感もなにもないのがわかると思います。

 私はショックを受けてしまいました。実はこのようなショックは、M病院の前のS病院の時から少なからずあったことです。

 リュウとはまたちがう認知症で、認知症にもいろいろあるんだ。

 そして心配なことが。
 もしもKさんが、街に出て迷子になり、まわりの人に名前を聞かれても答えられないでしょう。


 Kさん、オレンジのお手拭き、ありがとうございました。助かりましたよ。これからもKさんらしさを失わず、お元気でお過ごしください。





再会できた患者さんご家族。 - 2014.10.09 Thu

 今日(10月7日)から三週間前、リュウの隣りに夕食の介助で座っていると、ある女性の方が私のところに。私のいずみのエッセイ朗読の前日にです。

「明日母が転院するので、テレビの朗読ここでは見られないんだけど、転院先でぜったいに見ますね。あなたのエッセイ」

と有り難くも言って下さった方がいました。

 私はもうお会いできないと思っていたのすが、思いがけず今日またこの病院で再会。嬉しい(?)再会でした。

「母がね、足の手術のため、急性期病院に転院したんだけど、今日またここ(療養タイプのM病院)に戻ってきたの。あの日の夜(9月16日)、病室でテレビ見ましたよ。髙橋恵子さんの朗読。素敵なお話で・・・」

「見てくれたんですか!ありがとうございます。それにまたお会いできるとは思っていなくて、嬉しい(?)ですけど、お母さんの足大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ」

「そうですか!よかったですね。え~と、あとは大丈夫ですか?」

とお聞きすると、

「認知症の方があるの、それでこの病院のT先生にクスリ変えてもらって、向こうでもその薬だったんだけど、効いたの!今まではいつも眠たくって、ベッドに向かってばかりいたんだけど、目がね、こうぱーーっと開いて、起きていられるようになったの!久しぶりにこちらの看護師さんにもお会いできたんだけど、良くなっているってびっくりされたわ。T先生って、いい先生だわ!」

「そうですか!うちもT先生なんです。え~と、ちなみにサプリメントは?」

「いえ、パッチだけです」

「そうですか!よくなって良かったですね」

「あなたのエッセイ素敵でしたよ、またいいお話し聞かせて下さいね」

「ありがとうございます」

と言って、今日はおわかれしました。どのような治療法でも1ミリでもよくなったら家族は嬉しいです。

 ヤッター!



S看護師さんも人の子。 - 2014.10.09 Thu

 O夫人から、Iさんが亡くなったことを聞いた次の日のことです。

 夕食の手助けをしていると、目の前にS看護師さんが。
 今日はリュウの日中の様子をノートに書いてくれていたので日勤だと思い、

「あれ?まだ帰らないの?」

と私。

「もう帰るよ、というか、これから病院に行くんだけどね。母が入院してるから。ほぼ毎日行っているんだよね。これからじゃ夕食には間に合わないけど」

とS看護師さん。そして、ノートにも書いてくれたリュウの日中の様子をわざわざ口頭でも伝えてくれました。
 ありがとうございます。

 昨日の今日だったので、私は心の中で、

 あぁ〜、S看護師さんも人の子だった。私は白衣を着ている姿だけを切り取って見ていて、S看護師さんは、お父さんお母さんがいてこの世に生まれたということとか、家族親戚がいるだろうということとか、考えられなかった。白衣を脱いでこれから病院に行くというS看護師さんは、今の私のようだ。同じ人間だった。S看護師さんも人の子だった。人の子だった。

と繰り返し思いました。



Iさんとのお別れ。 - 2014.10.08 Wed

 リュウがいまお世話になっているM病院に入院してから、入退院を繰り返しているIさんの奥さんと自然と言葉を交わすようになりました。I夫妻はご高齢と思われました。患者ご本人のIさんは会話は困難なようです。Iさんが入院中は奥さんも毎日のように旦那さんの食事の介助で病院に来ていました。

 毎日のように病院に通ってくるご家族同士は、目には見えませんが、何となく連帯感を抱いているように思います。ご家族の方とは配偶者さん、娘さん、息子さん、そして親御さんです。私は妻の立場なので、この中でも、同じ立場の方はまた特別な感じが。

 以下は私の7月6日に書いたブログ記事の抜粋です。


 私は夕食時、I夫人はお昼に来るのですれ違いです。ところがここのところI夫人が夕食時に来るように。食事のためディスペースに車いすに乗ったIさんを連れて来ています。

「どうしたの?」

と私。

「なんかね、ここのところ食べられなくて、昼も夜も来てるの」

と奥さん。

「心配だね・・・」

 今日もディスペースで 一緒でした。

「どうだった?食べられた?」

と私。

「今日はね、何とか半分くらい食べられたよ、旦那さんは?」

と嬉しそうに奥さん。

「半分食べられたんだ、よかったね~!うち?今日は完食できたの!自分ではスプーンで運べなかったけど。昨日、昼も夜もほとんど食べられなかったから、よかったわ~」

と私。

「そうなんだよね・・・。食べられなかったら、病院から歩いて帰る時も気分もどんよりでね、食べられたら帰り道も気分もいいんだよね。気分が全然ちがうの」

と奥さん。


 ブログ記事抜粋は以上です。このことがあった後くらいから、か、奥さんの姿を見かけなくなりました。Iさんもです。転院?それとも?私はずっと気にしていたのですが、看護師さんに聞くに聞けずにいました。
 すると一昨日、もう一人やっぱり入退院を繰り返している旦那さんの付き添いで病院に来るOさんが、リュウの隣りに座っている私のところに来ました。そして、

「久しぶりだね、うちはまた入院になったんだよ」

と話し始めましたが、私の口から出てきた言葉は、それを遮るように、

「Iさんを見かけない」

というものでした。
 しかし、O夫人はまるで私の言葉が聞こえなかったように、話を続けました。
 私もウンウンとうなづきながら、ほぼ上の空で聞いていると、しばらくしてからO夫人の声のトーンが微妙に変わり、

「Iさんも奥さんも見かけないでしょ?・・・Iさん、亡くなったんだよ」

とO夫人。
 それを聞いて私は、何となく抱いていた悪い予感が当たってしまったと思いました。

「もう何ヶ月か前になるよ、奥さんは今もしょげてて、家から出ないから、うちに遊びにおいでって言ったりしてるんだけどね・・・、奥さんもご高齢でね・・・」

と心配そうに教えてくれました。


 亡くなったIさんは認知症もあり、奥さんは、

「私のことわからないの」

とちょっと寂しそうに言いながら、食事の介助をしていた時がありました。
 でもそう言われないと私は気がつきませんでした。だって、奥さんの口調、それに反応する旦那さんは、遠目で見ると長年連れ添った夫婦以外の何ものにも見えませんでしたから。

 こんなこともありました。
 私が温泉一泊に行ってきたと言うと、

「旦那の前は親で、ずっと介護でしょ、旅行に行くなんてことは・・・、思い浮かびもしないの」

と奥さん。

 私はI夫妻を見かけると嬉しく思っていました。
 奥さんは物腰が柔らかですが、自分の気持ちを旦那さんに素直に伝えていました。内容はきついとも思われるのですが、やんわりふんわりと旦那さんに伝えるのです。
 旦那さんも自分の気持ちを伝えられませんが、奥さんの台詞に自分の気持ちを主張しているような、何となく呼応しているようにも見えました。

 私が手を握って旦那さんに挨拶をすると、つむっていた目を開けてくれ、私の目を見て「ウン」と答えてくれたことも何回もありました。
 奥さんの介助で、Iさんは私たちの前でディスペースで何回も食事を一緒にしました。リュウが入院してから毎日ではありませんが、ずっとです。

 ご縁があり、ご一緒できて嬉しかったです。
 ありがとうございました。


 Iさんのご冥福をお祈りします。

 Iさんの奥さん、ゆっくりでいいですからまた笑顔を。



車イスで札幌藻岩山山頂(標高531m)へ行けました。#リュウ95 - 2014.08.03 Sun

藻岩山,車イス,車椅子
↑今日の最高の一枚。「札幌の街並みが見える?」と聞くと、「ウン」とリュウが。


 今日は、前々から家族四人で出かける用事があり、病院に外出届けを出していました。
 午前中に病院に行くとリュウは楽しみにしていて、靴を履きベッドに座っていました。私服に着替えてもらった後、病院にお借りした車イスを車の後ろに積み、リュウは助手席、イブキとワタルは後部座席に座り、さぁ出発。

 用事も無事に終わり、四人でハンバーグレストラン「びっくりドンキー」へ。
 びっくりドンキーは、バリアフリーの対応がしてあり(店舗によりそのサービスも少し異なります)、比較的行きやすいです。
 すごく混んでいる時があるから注意!

 店員さんに案内され、車イスでテーブルへ。
 リュウもメニューを見て、私に勧められたものと、オレンジジュースを。
 なかなか自分で食べるのは難しく、私の介助で食べました。



 食べ終わると、店内の車イス対応のトイレへ。


↑「びっくりドンキー」のホームページの各店舗のバリアフリー情報の一覧です。助かります。


 お店の外に出ると、あれ?まだ時間がある、病院に戻る予定時間まで時間があるね、どうしよう、このまま帰ろうか、ドライブするか。リュウに聞いてみました。
 なかなかなかなか、言葉がはっきりしなくて、かなり時間がかかりましたが、ドライブするとのこと。

 じゃあ、車を走らせよう。

 でも、どこに行こうか?高速道路に乗って小樽の海見に行く?

 いや、私が適当にスマートフォンで検索しました。施設名と車イストイレがセットです。

 そうだ!藻岩山に行ってみようか、確か、車で上までのぼれるはず(これは後からわかったのですが、私の思い違い、いや認識不足でした)。
 検索したら山頂の施設に車イストイレもあるわ、との確認ができ、藻岩山の有料観光道路入り口を目指しました。

 今日の札幌も暑いです。

 いざ料金所に到着すると、どこにも「手帳をお持ちの方は」との張り紙が見当たらなく、言われたままのお金を払ったあと不安になり、車イスで山頂まで行けますか?と聞くと、あれ!手帳お持ちですか?と向こうからも聞かれました。あると言い手帳を見せると、有料道路の料金が半額になりますとのことで、そうなんですか!と答えると、お金を返してくれました。

 それから、これから乗る「もーりすカー」は手帳よりも市民かどうかの方が安いと言われ、その時初めて、車で山頂まで行けないと気が付きました。
 いっそう不安になり、そのもーりすカーとやらは、車イス対応ですか?と聞くと、大丈夫ですと元気に即答してくれました。そこで安心してもーりすカー乗り場がある藻岩山中腹まで行きました。

 山を登るようにして車を走らせると「もいわ中腹駅」が見えてきました。建物の真ん前に身障者用の駐車スペースが。そこに車を停めさせてもらい、建物の中に入りチケットを買い、並んでいると、前に並んでいた人が後ろにまわってくれました。
 なんだろう?と思うと、「車イスの方は優先される場合があります」の張り紙が目の前に。


↑もいわ中腹駅の建物と、身障者用駐車スペースに停めた車。


↑もいわ中腹駅のもーりすカー乗り場のドア。

 時刻表通りにもうりすカーが来ると、段差がなく車内へスムーズに入れました。ドアが両方あり、降りる時は反対のドアが開くので、車イスで真っ直ぐ入ってくださいと係員さんが。車イスの方向転換をしなくていいので、助かります。


↑入り口に段差がなく、前に前進して入るとそちら側が降り口に。写真はもーりすカー内。これから出発するところ。


↑手前がホーム側。奥がもーりすカー側。フラットになる工夫が。


 なんだか親切だなぁ???と思って山頂へ。

 あれ?建物が新しい!そう言えば、新聞で何年か前に載っていたっけ?建て替えたって。

 山頂の施設(もいわ山頂駅)は地上二階建てで、一階から屋上までエレベーターがあり、スマートフォンで調べたように、広々とした車イス対応のトイレもありました(もいわ中腹駅にもありました)。


↑もいわ山頂駅の「だれでもトイレ」の表示。




↑上二枚は、もいわ中腹駅の「だれでもトイレ」の写真。

 ただ、屋上の展望台の柵がやや高くて(と言っても標準の高さ)、車イスに乗ったままだと、柵の間から下を見下ろす格好になり、下を見下ろしづらいです(と思いました)。そこでリュウに立ってもらい、札幌の街並みを見てもらいました。



 リュウが藻岩山の山頂に立ち、自分が生まれ育った札幌の街並みを見ることができましたよ!

 嬉しい、嬉しい、よかったね、リュウ。

 帰りももーりすカーの列に並んでいると今度は係員さんが私たちのところに寄ってきて、列の一番前にどうぞと案内してくれました。

 ありがとうございます。
 他のみなさんもホントありがと。

 一番前に並んでいたので待ち時間に、その係員さんに、もーりすカーは中腹からだけど、ふもとから中腹までのロープウェイは車イス対応ですか?と聞くと、大丈夫ですよ!藻岩山の施設はすべてバリアフリーで作られてます、との力強いお返事が。

 みなさん対応がしっかりしているなぁと思い、帰ってから、藻岩山のホームページ等を見てみると、それまでは車イス対応ではなかったけれど、2011年12月にリニューアルオープンした際、すべて車イス対応にしたとなっていました。

 そうだったんだ。


↑山頂までのアクセス。写真はパンフレットより。
「ロープウェイ」も「もーりすカー」も車イス対応とのこと。


 今日は思いがけず、藻岩山の山頂に家族四人で行くことができ、札幌の街並みを眺めることができ、良かったです。
 ちょっと値段的に高かったけど、そこで四人で食べたソフトクリームの味は格別でした。

 病院到着時間も過ぎてしまい、病院に電話。到着すると、良かったねと看護師さんが言ってくださいました。

 思いがけず、素敵な最高の一日でした。

 イブキも積極的に車イスを押してくれたりで、ありがとう。ワタルも喜んでました。


↑山頂展望台にある「幸せの鐘」を鳴らすワタル。
 

※今回の藻岩山は私の認識不足で行ってしまい、それでもうまくいって良かったですが、事前に十分な計画を。

※追記(8/5)2011年の藻岩山施設リニューアルの際、それまで行けた車での山頂乗り入れを環境の面からも中腹駅までとしたそう。



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食事の形態が変わる #リュウ94 - 2014.07.21 Mon

 先週の土曜日、リュウのお昼の食事に時にT先生とお話ししていると、私たちの会話を聞こうと一人の看護師さんが(あとから気がついたのですが、昨年フェルガードで効果が出たと私が思っている時、そのこと気付いてくれた看護師さんの一人です)。コウノメソッドのT先生と私のお話しをじっと聞いていました。終わりかけのとき、ちょっと提案なんですがと言い、次のことを話してくれました。

「リュウさんですが、食後にお菓子食べているとき、自分でつまんで口に運んでいるし、その時は咀嚼もしています。お粥ではなくて、自分でつまめる小さいおにぎりはどうですか?おかずもなるべく噛めるように、もう少し大きくして」

と。
 あ~、私もぼんやり同じことを。飲み込みが悪い時は、噛まなくてもいいお粥を口に入れても、もぐもぐしなくていいからか、そのまま口の中に入れたまま。でも、少し形があるおかずを口に入れると、自然ともぐもぐしてごっくんしています(それもしない時もありますが)。またお粥にすると口に入れたまま。こういう時は、自分でスプーンは運べません。
 食後は何とか完食できた時は、かっぱえびせんなどをお皿に出すと、スムーズではありませんが自分でつまんで口に運んでもぐもぐしています。

 ある程度、形があって噛める方がもぐもぐするし飲み込みができるのかな?とぼんやり思っていました。すると先生が、

「噛むことはすごく大事です。噛むとだ液だとかが出て、飲み込む準備をするからです」

と言いました。その日の夜から、ちょっと大きめにカットされたおかずと小さめのおにぎりが出たようです。普通は、だんだん小さくしていって、刻みの次はペースト食なのですが、リュウは「刻み食」から小さめの「ひと口大」の食事形態に。様子をみてまたすぐ変わるかもしれませんが、チャレンジです。
 MR看護師さん提案してくださって、ありがとうございました。







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リュウ、思い出し笑いで顔がくクシャクシャに。#リュウ93 - 2014.07.07 Mon

 夕食後のひと通りのやるべきことを二人でやり、リュウは、さぁベッドに横になってもらいました。
 起きている時と横になった時で、また表情が違うので、私も確認するようにしています。

 今日は、あれ?横になったと思ったら、顔じゅうの笑顔に。なんかあったっけ?

「どうしたの?」

「・・・ナイテイル・・・ギイン・・・」

「あ、さっきご飯食べている時に流れた、あの号泣している議員さんのニュース?」

と私が言うと、ウンとうなづきました。

 あのシーンが頭に浮かんで笑ってるの?
 そう言えば、思い出し笑いって、入院してからあったかな。
 それほど印象に残ったんだね~。

 嬉しい~嬉しい~!

 笑顔が嬉しい~!

 本当に嬉しい。




今日のパン。黒糖パン。甘くて美味しいです。


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父の日おめでとう。#リュウ92 - 2014.06.15 Sun

 今日は日中用事があり、夕食時にイブキとワタルと三人で病院へ。
 父の日のケーキを持って行きました。
 リュウの夕食後、四人で四階の談話コーナーへ。
 そこの飾りがに父の日に因んだものになっていて、感激!
 この飾りを見て、嬉しい気持ちになっている人が他にもいるはず。この飾り嬉しい~。
 ケーキを四等分し、私が手助けをして食べてもらってる時ふと、

「イブキがお父さんの介助してみて!」

と言うと、イブキもすすんで代わってくれました。
 食事の介助は比較的簡単だと思っていた私は、イブキの様子をみて、そうじゃなかったんだと知りました。イブキも、

「難しい~!」

と。
 口に運ぶタイミングや、ちゃんと飲み込めたか、スプーンの先は見れてるか、美味しそうにしているか、何を食べているのかわかっているか、など気を付けなければいけないことがたくさん。特に、待ってあげることが要求されていて、

「お母さんはすごい」

とイブキに言ってもらえました。

 嬉しい~!

 ワタルに、

「今日は父の日、お父さんの日だよ~」

と言うと、

「お父さんが始まった日?」

との返事。

 そ、そうだね。ワタルのセリフは深くてドキッとするよ。

 四人で美味しいケーキ食べました。
 食後の薬もイブキが挑戦。オブラートに包んだものです。これまた四苦八苦。

 四人で父の日お祝いできてよかった~。


↑四階の飾りスペースの飾り。「お父さんありがとう」。

↑拡大。写っていませんが、左側にも同じような飾りが。

↑父の日のケーキ。「大黒柱ロール」という名前でした。

↑「今日のパン」。



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出世は幸福?の私の問いに。#リュウ91 - 2014.06.14 Sat

 友だちが送ってくれた伊勢の「太閤出世餅」。
 賞味期限は11日で、今日がその11日です。
 リュウは、飲み込みができなくて食べられない日もありましたが、今日は大丈夫そう。よかったです~。
 私が、箱に入っていたこのお餅の由来が書かれた紙を見ながら、

「出世って書いてあるけど、出世イコール幸福とはちがうよね?豊臣秀吉は幸せだったかな?」

と私が言うと、

「ソンナコト、トヨトミヒデヨシジャナイト、ワカラナイ」

とリュウが。

 あ~!そうだった!その人の人生が幸せだったかどうか、その人じゃないとわからないことだった。
 リュウは病気になる前からずっとそういう風に言う人だった。私はまたこんなこと言ってしまった。リュウも変わらなければ、私も変わらないね。
 でも、病気が進行してもリュウらしさが不変だということまた再認識できた。嬉しい。

 ほかにも例えば、病気や障がいイコール不幸かどうかということは、その人じゃないとわからないことだし、その人が決めることだった。

 あ~!リュウ、再確認させてくれてホントありがとね。
 またきっと私は、同じような質問するはずだよ。
 その時また答えてね。きっとだよ。


 幸福か不幸かとかは、その人じゃないとわからないって。




↑ブログアップは、14日朝なので、12日と13日のパンも。


↑11日の様子。私が手で四分の一にちぎったお餅(ボロボロですみません)をつまんで口に運べました。飲み込みができづらい日は、このような動作もできません。


↑上の写真。イクセロンパッチ(リバスタッチ)9ミリ。500円玉くらいの大きさの貼るタイプの認知症の薬です。T先生が「グルタチオン、この病気で北海道で初めてかもしれない」と言っていましたが、リバスタッチもそうじゃないかな?と私は思ったり。先月末からレミニールからリバスタッチに変わりました。最初は4.5ミリからでした。
 下の写真。私の血圧。薬を飲んでます。11日の写真。


↑10日と9日のパン。
 パソコン表示で左上の「夫が残してくれたパンのきっかけ」をクリックしてくれて、昨年5月の北海道新聞のいずみ投稿を読んでくれて、涙を流してくれている人が今現在でもいるよ~。
 リュウ、パンいつもありがとう。



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Mドクターのさよなら。#リュウ90 - 2014.06.10 Tue

 いつものようにリュウの横に座っていると、今日Mドクターが私たちの目の前に。

「M病院の主治医、私MドクターからコウノメソッドのT先生にかわります。そのこと、先日の受診のときS病院のH医師にもお手紙でお伝えし了承いただきました。この病院内にはいますが」

「えっ!、・・・、先生、頼りにしていました・・・」

「私は、内科専門です。今までこれこれこういう風に私なりにリュウさんを診ていました」

(わかっています・・・Mドクター。内科医のMドクターからみる視点での先生の言葉が、どれだけ心強かったか)

 旅行に行く時は、喜んで許可出してくださりありがとうございました。

 いつだったか、私がリュウと並んで座っていると、向こうにMドクターの姿が。私と目が合うと、頭の上で両手で丸を描き、

(オーケー?)

とサインしてきたので、私も笑顔でコクンとうなづいた時もありました。

 私は、姿が見えなくてもMドクターの足音がわかるようになり、

(あっ!Mドクターだ!)

とその足音を目でたどっていました。

 ありがとうございます。でも同じ病院内、まったく縁が切れることがないと思いますので、これからもどうかよろしくお願いします。

 あ~、本当に本当に、ありがとうございました。



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M病院に入院して二度目のH医師の受診。#リュウ89 - 2014.05.25 Sun

 リュウはおととしの4月に自宅外で転倒骨折し、整形外科に入院。それから入院生活になりました。

 右の股関節、人工骨とうの置換手術をしてすぐに、神経内科の主治医がいるS病院に転院しました。
 S病院は、急性期型病院ということもあり、三ヶ月経って、療養タイプのM病院に転院になりました。
 いま現在入院しているのは、療養タイプのM病院です。M病院での主治医は内科のMドクター。転院しても神経内科の主治医はS病院のH医師で、なにかあるごとにS病院H医師の受診をします。

 昨年の年明けからだんだん調子を落とし、Mドクターに呼ばれ、S病院H医師の受診をすすめられました。
 今年もやっぱり年明けから調子を落とし、Mドクターに呼ばれ、S病院H医師の受診をすすめられました。
 5月のGWに家族旅行も控えていたので、私も心配でH医師の受診を希望し、ソーシャルワーカーさんのMさんがいろいろやってくれましたが、私の予想通り、H医師の予約はいっぱいで、やっと5月の23日(金)に受診できました。
 M病院入院中のS病院医師の受診は、今回で二度目です。

「リュウさん、車椅子で診察室に入ってくると思ったら、歩いて来られて!びっくりしました。」

とH医師。移動も短い距離なので、車椅子は持って行きせんでした。

「私への受診が8年前でその一年くらい前から症状は出始めていたので、この病気になって約9年ですね!歩いて診察室に入って来られて、びっくりですよ~!」

とH医師。私が、H医師のおかげだと言うと、H医師が、

「一番頑張っているのは、リュウさんですね~」

と。それを聞いて、リュウが、

「・・・イヤ、オクサンデス・・・」

と言うので、H医師も私の方を見て、

「こういうみずみずしい気持ちを・・・」

と言うので、私も深くうなづいて、涙目になってしましました。その後リュウは、H医師に感謝の言葉を述べることもできました。

 今回一番最初に受診を希望したときは、調子を落としてたのでどうにかして欲しいという状況でしたがその後、M病院にコウノメソッドの先生が突然ポコンと登場し、グルタチオン療法も4月からスタートして、調子も取り戻してきたので、今回の受診は、パーキンソン症状を今後も神経内科医のS病院H医師に、認知症状をコウノメソッドのM病院の内科医のT先生に診ていただきたいとのお願いという形になりました。

 MRIも撮ってくださり、進行性核上性麻痺の診断基準の一つの脳の形状、ハミングバードサインもわかりました。今回の画像、2012年の画像、その前の画像と三枚比較し、やはり各部の脳の萎縮が進んでいることもわかりました。

「グルタチオンはいいと思いますよ~」

とH医師。T先生の存在を知る前、S病院でできませんか?と以前H医師に連絡したら、混合診療になるのでできないとのことです。

 それから気になって、

「あの私にメールいただいて受診につながったOさん、どうですか?」

と聞くと、

「えぇ、転倒が多いとのことでしたが、3回の受診終え、押しても足もしっかり床に付いていて、良くなってきましたよ~。三剤療法の処方しました。九州?えぇ、今回九州の学会に行って三剤療法を広めたいと思っていましたが、日本では現状では私と千葉県のY先生お二人ということになりますでしょうか」

とH医師。

「よかった~~!Oさんもよろしくお願いします!」

と私。リュウの言葉がなかなかなかなか出て来なくて、H先生は根気よく根気よく待って下さり、リュウがやっと、

「ビエイノペンションニイッタ」

と言うことができました。

「昨年は奥さんと二人で伊勢へ、今年は家族四人で美瑛のペンションに行けて、良かったですね~!」

とH医師も本当に喜んでくれ、診察室に笑顔のお花が咲きました。

 先生もお元気で。何もなければ一年に一回程度の受診、またよろしくお願いします。

 ※H医師の行なっている三剤療法の動きも今後ともここでお伝えできればと思います。
 ※尚、M病院でのグルタチオン点滴療法もできなくて、私の希望で非公開場所で受けています。



診察を終えた後、カレー屋さんにリュウと入り、昼食を。左が私のカレードリア。右がリュウのコロッケが乗ったオムカレー。真ん中が病院でリュウが朝食に残してくれたパン。
カレーというメニューは非常に助かります。刻みにしてくださいと言う必要がないし、カレーの匂いとかで、食欲も増すのです。
いつも使っているスプーンを持って行くと、自分でも口に運ぶことができました。後半、私も手伝いました。



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無事に着き、お風呂も入りました。 - 2014.05.03 Sat

美瑛のペンション、「うねうね畑とくもの月」に午後三時に着き、リュウは手動式リフトでお風呂に入ってもらいました。リュウは今は、ちょっと横になっています。子どもたちもまだお風呂。私は美瑛の丘の景色を眺めながら、缶ビール!







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M病院でのブログ公開について。 - 2014.04.29 Tue

 M病院で日々お世話になっている先生方、看護師さんに、私がブログを書いていますと過去に伝えたかというと、伝えていません。伝えることによって、お互いが気を遣うことになったらお互い大変だなぁと思ったからです。それに、ブログを公開しているリュウさんバニラさんには、(万が一ですが)特別な医療、特別なお世話をしようと少しでもなったら、同じ病気の患者さんは、私たちと同じ治療を受けられないことになります。それならブログで公開する意味がないと思いました。
 昨年の私の誕生日にマユミナースが企画してくれた院長先生始め主治医の先生、看護師長さん、二階のたくさんの看護師さんの私への「お誕生日おめでとう」の寄せ書きのプレゼントは、本当のプレゼントです。今でも信じられません。S看護師さんのディスペースでのリュウのカレンダー係任命、満月を鏡に写して一生懸命患者さんに見せようとしている看護師さん、私たちにさよならと声をかけてくれた看護師さんたち、リュウのお誕生日に私たちの写真付きのカードを作成してくれたS看護師さん、院内コンサートでのこと、病院祭でのこと等々は、普通の患者家族が体験してきたこととしてそのまま書きました。
 でも、ブログを書いていることを病院の方に伝えないのもおかしいなぁと思い、昨年の5月に北海道新聞のいずみに「夫が残してくれたパン」が載った時に、その新聞記事が載っているブログのアドレスを添えて、本部(←M病院はいくつか病院があります)の方に、何々病院に入院している何々という者ですと伝えました。ブログを書いていますよということをアドレスを添えたことによってお知らせしたつもりで、何かお返事があるかと思っていたのですが、ずっと連絡がなく・・・。やっぱり気持ち悪いなぁと思い、今年に入ってから、M病院のソーシャルワーカーMさんに、「これこれこうで去年本部の方にメールしたのですが何も連絡がなくて、私こういうブログ書いています、何か問題あるところとかあったら教えてください」とやっと伝えました。
 それから間もなくして、4月からコウノメソッドのT先生がM病院に誕生したことを知りました。すごい偶然です。それに私も毎週見ている河野先生の認知症のブログをT先生も毎回読んでいることを知りました。私のブログが4月の河野先生のブログに掲載されたので先生も目にすることに。T先生のこの病院での実践報告も3月に河野先生のブログに。
 こうなったら家庭(病棟)天秤法でフェルガードをリュウに飲んでもらっているリュウの様子は、先生、看護師さんで共有することがベストではないかと、みなさんにもお知らせする方向にしました。気を遣う遣わないは二の次です。それに、みなさん信念を持ってお仕事なさっているので、ブログの件を知っても、プロフェッショルな変わらないお仕事なさいます。ずっと入院して過ごしてそう思いました。
 ソーシャルワーカーさんとよくよく相談しながらですが。
 今後のリュウの診察ですが、T先生やソーシャルワーカーさんと話し合い、私の希望もあり、今後神経内科のS病院H医師にリュウのパーキンソン症状の部分を、認知症状の部分をM病院のT先生に診ていただきたいです。まだ、H医師の受診かなっていませんが(←先生人気があり何ヶ月も予約でびっしりなんです)、そういう風にお願いするつもりです。
 コウノメソッドを入院中の病院の先生がなさり、看護師さんや他のスタッフの方が院内の勉強会に出席して、フェルガードやグルタチオンやニコリンのこととかを誰に話しても通じる、という突然あらわれた4月からの環境に本当に、ただただびっくりしてます。



「祈り」ーリュウと私の院内散歩。 #リュウ88 - 2014.04.19 Sat

 リュウの手の指は五本あり、その手の動きの役割は色々ありました。でも病気になり役割がだんだん減ってきました。今は、なかなか自分でご飯が食べられません。ディスペースでのカレンダー係もできません。
 リュウの足は二本あり、今現在も歩行が可能です。その役割はおもに、トイレに行ったり、ディスペースでの食事への移動です。

 私は考えました。リュウは歩ける、その役割は自分のためだけ?

 リュウ、夕食後に院内散歩に行こう。そこでリュウは歩行のリハビリして。それで精一杯だよね?私は、お祈りしながらリュウと一緒に散歩するよ。

 それから夕食後にリュウと私、お祈りをしながらの院内散歩が始まりました。コースは、リュウが入院している二階と、他の方が入院している三階です。M病院はエレベーターが各階の端っこに二つあり、一筆書きのようにぐるっとまわって来れるのです。


 「ここの病室の入院患者さんも、いいようになりますように。ここの病室の入院患者さんもいいようになりますように」


 私はリュウと一緒に院内散歩して、ずっと祈っていました。ホスピス病棟も含まれます。もう一年以上経つのでしょうか。

 そんな今月4月のある日のことです。入院費を払いに一階の窓口に行くと、院長先生の通信が目に入りました。そこに、「コウノメソッドも実践する先生が4月1日に誕生した」というような内容のことが書かれていたのです。びっくりしてソーシャルワーカーMさんに連絡し、実践医のT先生と面談することができました。
 T先生が言いました。

「二階の患者さん1人、三階の患者さん1人に、コウノメソッドを御家族の同意のもと試して、歩けなかった患者さんが歩けるように、ほぼ植物状態だった患者さんが、食べられるようになりました」

と。私たちの目の前にコウノメソッドの実践医の先生が突然あらわれたことにもびっくりしましたが、二階と三階の患者さんがよくなったことを知り、

 (リュウとの院内散歩のお祈りが効いた)

と、ただただびっくりしました。まだ驚いていて、なにがなんだかわからない状態です。T先生は、

「この病院の地域の方々が、認知症で困っている方がたくさんいすぎて、どうにかしようと思い、一年かけてコウノメソッドを勉強しました」

とおっしゃいました。

 私は、私たちの目の前に突然あらわれコウノメソッドも実践するT先生に、ぽかーんと口を開けている状態です。 





決めたよ、リュウ。美瑛のペンションに行こう! #リュウ87 - 2014.04.15 Tue

 今年になって一回目の尿路感染症があり、落ち着いたかと思ったら、二回目の尿路感染症になって、また高熱が出たね。
 それとは別に、年を開けてから食事も完食は難しく、言葉もなかなか出てこなくなったね。
 S看護師さんが任命してくれたカレンダー係もしばらくしていない。
 主治医Mドクターに呼ばれ、ゴールデンウィークの美瑛のペンション一泊行けるかどうか、S病院のH医師の受診言われ、これからだよね。

 でもねリュウ。今日の夕食時、私の台詞に笑ったね。
 こういうこと何ヶ月ぶりだろう。
 リュウは札幌っ子だから、わかるかな?と思って言ってみたの。
 今朝の新聞の一面に載っていた、狸小路にからくり時計「ライオン男爵」が25年ぶりに復活したことを。

「リュウ、狸小路のからくり時計のライオン男爵って知ってる?25年ぶりにお目覚めっ!したんだって!」

と言うと、笑った!さすがは札幌っ子。

「知ってるの?」

と言うと、コクンとうなづいた。私は札幌っ子じゃないからわからなかった。

 リュウの久しぶりの笑顔見て決めたよ。

 私は、昨年の式年遷宮の伊勢神宮の旅行で心残りのことが二つあったの。
 ひとつは、ドクターと支店長さんのサポートがあり、リュウが大浴場に入れるはずが恐怖心のため入れなかったこと(これは仕方がないことです。リュウは病院で、寝たまま入るお風呂に慣れているためです)。

 ゴールデンウィークに予約している美瑛のペンションは、入浴のためのリフトがあるよ。
 今はもうリュウより背が高くなったイブキとワタルと、そして私で協力して、お風呂に座ったままの姿勢で入れてあげるよ。

 リュウの笑顔も見て、今日その思いが強くなってリュウに、

「ゴールデンウィークの美瑛のペンション行こうね?」

と言うと、

 ウン、と頷いた。そして、

「クマニアウカモ・・・」

と、ドキドキして言った。

 美瑛のペンションの話は、一回も否定したりしないよね、リュウ。

 楽しみにしているね!リュウ。私も楽しみだよ。

 行こう!

 リュウと私、イブキ、ワタルと。

 私は決めたよ。



尿路感染症 #リュウ86 - 2014.02.12 Wed

 2月8日からの発熱の原因がわかりました。
 今日、いろいろ検査したら、尿からばい菌が検出。
 尿路感染症です。

 どこかが崩れると、全身の状態が悪化しますね。

 早く良くなるといいです。





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リュウのイエスとノー #リュウ85 - 2014.02.01 Sat

 今週のことです。私がリュウに二つの提案をしました。

 ひとつ目は「また道立近代美術館に行かないかい?」ということと、ふたつ目は「ゴールデンウィークに、美瑛のペンションに行かないかい?」ということ。
 二つの提案は、「リュウも喜んでくれる!」と私は自信満々でした。

 最近私は、近代美術館で栗谷川健一展が開かれると知り、心を躍らせました。
 栗谷川健一さん(明治44年生~平成11年没)は、リュウの尊敬する人物です。全国的に、北海道的にどこまで有名かはわかりませんが、栗谷川健一さんは、さっぽろ雪まつりのポスターも手がけた北海道岩見沢生まれのグラフィックデザイナー。仕事としてはまず、映画看板などの宣伝美術の制作にかかわりました。
 リュウのお父さんは映画のセールスマン。リュウはお父さんの仕事を通して、映画の看板等のデザインに興味を持ち、栗谷川健一さんを知りました。その後、栗谷川健一さんが設立したデザイン専門学校に入りたいと思い、その夢を果たし二年間デザインの勉強をしました。
 ですから!私は125%の自信を持ってリュウに提案したのです。グラフィックデザインは私も興味があり、今までもリュウと色々な展示会に行っています。

「リュウ、栗谷川健一さんの美術展が近代美術館で開かれるから行かないかい?去年、シャガール展に行ったでしょ?また同じように行かない?」

と。でもリュウは、私には意外な返事をしました。

「シリアイニ・・・アウ・・カモシレナイカラ・・・」

「知り合い?あ~、そっか!専門学校時代の?」

「ウン・・・」

 専門学校時代に一緒に学んだ人とは、現在リュウは交流はありません。交流がないということは、今現在のリュウの状態を当然知らないわけです。シャガール展は知っている人に会う可能性はほとんどなかったのですが、栗谷川健一展では、知り合いに会う可能性は大だと思ったようです。

「気が進まない?」

「・・・ウン・・・」

 私は正直がっかりしました。そして、

「パン君は堂々としているよ。髪の毛がないけど、制服着て仕事もしているし、私たちの前でも当然髪の毛ないし・・・」

と言いました。でも、それがリュウの気持ちを変えることとはまた別の話しだったようです。私はこれ以上勧めない方がいいと判断し、次の提案をしました。

「リュウわかったよ。もうひとつ提案があるの。ゴールデンウィークに一家で美瑛のペンションに行かない?去年、GWに一家で温泉一泊でもできないかな?って、私が道内の福祉浴室付きのところを探していたの。でも、発見できないままでいたら、療養中の旅というのを知ったからそのタイミングで伊勢神宮に二人で行ったんだよね。今年は発見できたよ!健康な人はもちろん、車イスの人も病気や障がいのある人も泊まれるようになってるし、お風呂は温泉じゃないけど手動式リフトも利用できるし、去年できたばっかりだよ、イブキもワタルも一緒にさ!」

と言うと、リュウは、

「イキタイ」

と答えました。

「行こう!リュウ」

と私は答えました。するとリュウが、

「ゴメンネ」

と言いました。このゴメンネは、栗谷川健一展をことわったことです。私が喜ぶだろうと思って言ったのに、断ったから私ががっかりしたと思って言ったのです。

「イヤいいよ!リュウ。私こそ、わからなくてゴメンネ!」

と言いました。

 私はがっかりしたけれども、リュウは嫌なことは嫌だときちんと意思表示すると再確認した瞬間でもありました。リュウの話すことも聞き取れないこともあり、自分の意思表示もできるような、できないような状態のこともあります。去年の伊勢神宮の旅も、リュウは無理に付き合ってくれてはいないか?思ったことがあり、そんなことはなかったんだと思うことができたリュウのイエスとノーでした。

 その後さっそく送ってもらった美瑛のペンションのパンフレットを看護師長さんに見てもらいました。師長さんは、

「去年伊勢に行ったから、全然問題ないと思いますよ、先生にも聞いてみますね」

と言って下さり、昨日の連絡ノートに師長さんの書き込みがありました。

「先生も『素晴らしい!』と言っていました」

と。今度は簡潔な一つの単語を先生が述べられました!嬉しい。
 リュウも、

「・・・エンソク・・・」

と言ってペンション一泊のことを楽しみにしているので、病室の壁にペンションのパンフレットを貼りました。

 リュウ、四人で美瑛のペンションに行けるといいね!



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プロフィール

vanilla

Author:vanilla
「やさしいまなざし」は「Vanilla Web Site」の日記の部分です。

登場人物(平成28年11月現在)
 
佐藤リュウ(59歳)←夫
佐藤バニラ(永遠の20歳)←私
佐藤イブキ(社会人)←長男
佐藤ワタル(福祉施設通所)←次男

 夫佐藤リュウは、平成17年頃(48歳)より、物が二重に見える、手に力が入らない、全身が重苦しく感じる症状があり、会社勤務ができなくなりました。
 若年性のパーキンソン病の疑いとのことで、平成18年(49歳)より神経内科に通院し、平成19年にはパーキンソン病関連疾患と診断名が付きました。
 その後、平成22年 (52歳)、診断名が若年性の「進行性核上性麻痺」に変わりました。
 ずっと自宅より通院していましたが、平成24年4月に自宅外で転倒骨折し、手術入院となってしまいました。入院時、誤嚥性と思われる肺炎も併発していて、現在も入院中です。平成26年11月19日に胃瘻造設しました。
 夫が仕事ができなくなった平成17年時、上の子が小学校6年生、下の子が小学校2年生(多動と自閉で特別支援学級在籍)でした。
 私は、平成19年より、平日フルタイムで仕事しています。たくさんの方のお力をお借りし、生活しています。
 北海道在住です。

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