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2012-07

転院の日 #リュウ13 - 2012.07.16 Mon

 今日(7月10日)はS病院から、M病院への転院の日。

 前日に看護師さんから、9時半から女医で主治医H先生の病状説明があり、10時にS病院のワゴン車でM病院に向かうと、説明がありました。
 その日、親戚のT夫妻も手助けに来てくれました。看護師さんに呼ばれたので、9時半すぎにT夫妻と別室に入りました。そこにはH先生がいました。リュウは病室で待機していました。

 H先生、平成18年の最初の受診から今日までずっと、リュウの主治医をしてくれました。私は、「お医者さんに何でもお任せした方がいい」と当初思っていて、あえて、自分から情報は収集しないで、病気の知識も身につけないで、先生の指示に、従っていました。
 そのうち、私の中で、だんだんと先生に疑問や不信を感じるようになってしまい、ある日、「旅に出ます」と受け付け窓口に手紙を置き、S病院を離れてしまいました。でも、旅には出ましたが、結局、S病院に戻ってくることになりました。
 その時、「疑問質問は伝えよう、病気や薬のこともある程度調べよう」と決心しました。
 それからは、最初はリュウは一人で通院していたので、連絡ノートを作り、リュウの一ヶ月の様子を記し、リュウに持っていってもらいました。薬も処方されなくなった薬があったら、どうしてなくなったのかと、ノートに書きました。これをこの量、飲ませると調子が悪い、とか、以前飲んでいたこの薬を復活させて欲しいとか、思っていることを書きました。
 先生もひとつひとつ対応してくださり、だんだんと私が先生を信頼するようになっていきました。
 今思うと、不信に思うようになった原因は、私が質問をしなかったり、自分の考えや要望を言わなかったことだと思います。病気になって受診する際、ある程度の病気や薬に対する知識を持ち、疑問に思うことがあったら、伝えた方がいいと感じました。
 H先生は、いつも同じ態度でリュウに接してくれていました。リュウに、ゆっくりとはっきりと話してくれ、「前より今の方がいいですね」とリュウに外来診察室で言ってくれます。そう言われるとリュウは嬉しそうな顔をします。
 入院中の回診の時に、今現在のリュウにも、きっとそういう風に、リュウに言ってくれていたのだろうと思います。私はリュウに時々質問していました。
「H先生に回診で会った?」と。でも、「会わなかった」と言ったり、「それが、気が付いたら、どこにでも登場していて、びっくりするんだよ」と言ったりしていました。「どこでもって、リハビリの時とか?」「そう、リハビリの時」とリュウが答えました。

 転院の日の病状説明の冒頭で、「今日で佐藤リュウさんは私の手を離れますが」とH先生は言いました。
 まさに、その通りでした。今までの受診の際の色々なシーンが頭の中をめぐります。
 トーマスやトイストーリー、ドラえもんのそれぞれの映画のリュウの理解度を先生に真剣に伝えると、いつもと変わらぬ態度で、先生の意見を伝えてくれました。
 リュウの主治医がH先生でよかったと思いました。

 病状説明が終わり、リュウを迎えに病室に行き、病室から出ると、H先生がいました。
 H先生は、リュウにニッコリと笑い、「佐藤さんお元気でね」と声をかけてくれました。
 そして、自ら、エレベーターの前まで私たちを導いてくれ、エレベーターのボタンを押してくれました。
 そして、エレベーターのドアがあき、私たちが乗り込むと、リュウに「さようなら、お元気でね」と車イスに乗っているリュウの目の高さで笑顔で挨拶してくれました。
 外来診察が終わって、最後に先生が挨拶する、私たちが見慣れたいつもの笑顔です。

 H先生、リュウを一生懸命診察して下さり、私にも対応して下さり、ありがとうございました。
 感謝の気持ちでいっぱいです。

 それから、リュウにかかわったS病院の看護師さん、介護福祉士さん、作業療法士さん、理学療法士さん、言語療法士さん、スタッフの方々、そしてソーシャルワーカーさん、ありがとうございました。

 転院先のM病院は、S病院と連携しているので、また、お世話になる時があるかと思いますが、それぞれのプロの方たちが自分の使命を遂行している姿は、素敵でした。




明日転院します #リュウ12 - 2012.07.16 Mon

 S病院の3階での食事の際の食堂のテーブルは、大きい一つのテーブルで、そこにぐるっと患者さんが囲みます。
 そのまわりを看護師さんや付き添いの家族の方が食事の手助けをするので、結構にぎやかです。
 私は仕事が終わってから、毎日リュウの夕食の手助けに行っていました。
 私が行く頃には、もう食事が始まっています。
 毎日行くので、患者さんも付き添いの家族の方も、顔見知りになってきました。

「ホラ!奥さん来たよ〜!よかったね〜!」

と女性の患者さん。私が行くと、いつも大声でリュウに教えてくれます。
 年配の患者さんCさんの奥さんと思われる女性も毎日のように、旦那さんの食事の手助けに来ていました。
 ある日、Cさんの奥さんが、その大きなテーブル越しに私に向かって、

「あんた毎日、親孝行だね〜!」

と言いました。私は、

「ハイ」

と言いましたが、リュウは父ではなく、夫なので、私を娘と間違っているんだなと思いました。
 リュウと私はちょっと歳が離れていて、今までも医療関係の人や福祉関係の人に、「お嫁さん」「娘さん」と呼ばれることがたまにあったので、慣れています。
 リュウより年上に見られた場合だけ本当のことを言おうと思っていて、特に否定もしませんでした。
 そのCさんの奥さんが私のすぐ後ろにあった台所に寄りたいらしく、向かいから歩いてきました。そして、私にまた何か話しかけて来たので、間近で対面すると、

「あっ!」

と目を大きくして言い、そしてすぐ、

「あんた!この人はご主人かい?」

と大きな声で言ってきました。
 私は、遠目だと「娘」で、間近だと「奥さん」って、それってどういうことだろうとぼんやり考えながら、「ハイそうです」と答えました。

「そっかい、お父さんだと思っていたら、旦那さんかい?まあ、大変だねぇ〜!うちもね、主人なんだけどね」

と年配のCさんの奥さんは、色々なことをしゃべりはじめ、最後は「まぁお互いがんばりましょうね!」と言いました。

もう一人、年配の患者さんの奥さんが、やはり、毎日のように旦那さんの夕食の手助けに来ていていました。

 リュウのM病院への転院が決まった最後の夕食のあと、私はCさんの奥さんに「明日転院します」と告げました。Cさんの奥さんは、ちょっと驚きながら、

「あ〜そうかい火曜日?うちも木曜日にK市のJ病院に転院するの。どこに転院するの?そうかいそうかい、K市のAスーパーで娘と買い物してるから、会ったら声かけてね!くれぐれもお大事にね」

と言ってくれました。

 そして、もう一人の年配の患者さんの奥さんにも挨拶しました。顔見知りですが、会話するのは初めてです。すると、

「娘さんかい?」

と質問系で聞いてきたので、この時は「違う」と言いました。それからまた、お互いに話しをし、最後は「お大事に」と別れました。

 私は、「明日転院します」と、素直に口から出てくる相手は、やはり、自分と同じ立場の人に何だなと思いました。




友人Sさんのお見舞い2ー登山 #リュウ11 - 2012.07.16 Mon

 Sさんとは、若かりし頃、私も含めて、登山やキャンプをしたことがあります。

「・・・登山で遭難しかかったことあった・・・」

か細い声で、リュウが言いました。

「え?」

と、Sさんと私。

 私は記憶をたどっていきました。すると、Sさんが計画した男女6人の日帰りの縦走登山で、途中濃霧に遭遇し、道がわからなくなり、下山時間が何時間も遅くなったことを思い出しました。
 ドライバーとして待機していた友だちが、私たちの到着があまりに遅くて心配になり、入り口に戻っているのではないかと、その日の縦走登山の入り口と出口までを車で行ったり来たりしていたのです。携帯電話もない時代でした。そしてついに警察に通報しようとしていたその時に、私たちが無事、下山してきたのです。心配のあまり、いら立っていた友だちに、私たちは一生懸命理由を話し、あやまりました。友だちもわかってくれ、やっとひと息つけます。

 それから、下山場所近くにある露天風呂に、缶ビールを持ってみんなで入りました。
 その温泉施設のまわりには、何にもなく、大自然の中で、みんなで露天風呂に入りました。
 もう日が暮れていて、真上には、たくさんの星があります。最高です。

 今思うと、登山した後の露天風呂、その組み合わせは、計画を立てたSさんのみんなへのさりげない心遣いでした。年数が経つほど、その気持ちが強くなります。その組み合わせだけでも印象的なのに、濃霧で遭難しかかったというハプニングもあり、私も強く印象に残っています。

「あ!霧で道がわからなくなった!」

と私がすぐ思い出して、言いました。

「うん・・・、露天風呂も入った・・・」

「そういうこともあったな〜」

と笑顔のSさん。

「・・・キャンプもした・・・」

「うん、そうだったね」

とSさんと私。

「あの頃が一番楽しかったなぁ」

とSさん。

「うん」

とリュウと私。

「・・・また、キャンプ行きたい・・・」

とリュウ。

Sさんと私は、ちょっと返答に困りました。

「いきなりは、キャンプは無理だよ、リュウ。まずは、昨日みたいに公園にお散歩とかからだよ。あとはさ、お花見とか。それくらいから始めよう。病院から外出許可もらって」

私が言いました。

「・・・そうだな」

とリュウ。

 他にもたくさん、むかし話しをしました。
 しばし三人は、時間を共有し、独身時代にタイムスリップしました。

 楽しいことで同じ体験をすることって、後で思い出しても楽しい。
 楽しみをその時共有できるのはその場にいた人たちで、後から思い出しても語ることもできるのも、その時一緒に体験した人なんですね。
 若い時の記憶って、最後まで残っているそうだし、若い時に、うんとたくさん経験することって、大切だな〜と思いました。
 それも楽しいこと!
 「遊ぶ」ってこと!




友人Sさんのお見舞い1ーケーキ #リュウ10 - 2012.07.16 Mon

 8日の日曜日、リュウの古い友人Sさんがお見舞いに来てくれました。
 会うのは、約15年ぶりです。ケーキとプリンを持参してくれていましたので、さっそく食堂で三人でいただきながら、むかし話をしようと思い、三人で病室を出て、食堂に移動しました。
 リュウを真ん中にして、三人がテーブルに並んで座り、リュウの目の前で、ケーキの箱を明けると、種類の違う四つのケーキがあらわれました。その中の一つ、私がちょっぴり苦手で、リュウが好きなモンブランのケーキがありました。他の三つのケーキは、私は好きです。私はリュウに、

「あ!リュウ!モンブランあるよ!モンブランいただく?」

と言いましたが、しばらく待ってもリュウは「うん」とも言わないし、首をたてにもふりません。根気よく質問を繰り返し、どのケーキがいいのか決めてもらおうと、また、リュウに質問しました。

「リュウ!モンブランだよ!モンブランいただく?」

やはり、今回も無反応です。しつこく、三回目です。

「リュウ?モンブランだよっ!」

目の前の箱の中のケーキをじっと見つめているのですが、反応がありません。

(もしかしたら、違うケーキが食べたいのかな?でも、うん、と言われたらイヤだ)

と思いましたが、聞こうと思いました。そしてリュウの視線の先にあるようにも見えたモンブランの奥にあるケーキをすすめてみました。

「リュウ!イチゴのケーキもあるよ!イチゴのケーキいただく?」

と指をさして聞きましたが、うんと言われては困ると思い、すぐ、

「それともやっぱり、リュウの好きなモンブラン?」

と、質問し直しました。でも、やっぱり、反応がありません。私は、ちょっと困ってしまいました。そして、

「イチゴのケーキ?」

と質問した後、今度はしばらく待ってみました。すると、

「うん」

とリュウがコクンとうなずき、言いました。

(あ、イチゴのケーキが食べたかったんだ)

と思いました。
 ここで、「これは私が食べる」とケンカするわけにもいかないと思い、リュウにイチゴのケーキをお皿に取ってあげました。Sさんも私もそれぞれケーキをお皿に取りました。
 そして、ケーキを、私がリュウの口にフォークで運んであげながら、三人で、むかし話しをし始めました。

 私が「暑いね」と言って、窓を開けると、七月のさわやかな風が、三人しかいない食堂に流れ込んで来ました。




病院で冷蔵庫を借りていなくて、持ち帰ったモンブラン。プリンはSさんの奥さんから。持って行ってリュウに食べてもらいました。ありがとうございました。




手をしばるヒモとふんどし #リュウ9 - 2012.07.16 Mon

 入院の時、生命の危険を回避するためにからだを拘束することがあるという説明があり、了承しました。家族が面会に来た時は、外していいそうです。
 リュウは、鼻からくだを付けていて、流動食をする時は、かならず、白いヒモで手がベッドに固定されていました。誤ってくだをさわってしまって、肺に流動食が流れたら、肺炎になってしまいます。肺炎を治療しているのに、本末転倒です。
 入院して最初の二ヶ月くらい、私が会社帰り、お見舞いに行くと、ちょうど夕飯の流動食の時間で、白いヒモで固定されているので、行くとすぐ外しました。
 部屋に看護師さんがいても、構わず黙々と外します。ちょっと複雑なしばり方で、しばるのに時間がかかっていて、今しばったばかりかもしれませんが、病室に入って行ったら、黙々と外しました。
 納得していても、自分の家族が、白いヒモで固定されている姿を見て、喜ぶ人はいないのではないかと思いました。
 でも、看護する人は、家族に嫌と思われようが、生命の危険から患者を守らなければなりません。
 白いヒモをめぐって、家族と看護する側に、見えないわだかまりがあるように、感じました。
 ある日、いつものように病室に入って行って、いつものように黙々とヒモを外していると、病室にいた看護師さんが、私の行動に気づいて、

「あ、外していただいて、ありがとうございます!」

と、明るい口調で、感謝されました。

(あれ?感謝されちゃった)

と、ちょっと驚き、黙礼をしました。

 そして、なぜ感謝されたのだろうと考えました。
 行き着いたところは、病院側は、患者の家族の気持ちは、もうじゅうにぶんにわかっているということです。
 1対1で看ているわけにもいかないし、他に方法はないし、その上でしばらなくてはならない。しばらなくてもいい状況であればしばらいでいてあげたい、ということ。
 そして、いつも、そういう気持ちで、患者や家族に、接しているということです。
 その看護師さんに明るく感謝されたことに、私はまたひとつ、気づかされたような気持ちがしました。

 さて、リュウは、3階に移ってからというもの、3食食堂で食べてるし、白いヒモのお世話になることはありませんでした。ある日、病室にいると、リュウのテレビ台の上に、4階で見た手をしばる白いヒモが乗っているではありませんか。私は、

「あれ!どうしてここに、このヒモがあるんだろう!」

と、びっくりして、手に持ち、リュウにも見せました。リュウは、何も言いません。

「このヒモ、なにかわかる?リュウ?」

と、リュウの顔の前に持って行って、あらためて聞くと、

「・・・。ふんどしにみえる・・・」

と、言いました。私は、それを聞いて、急にからだの力が抜け、可笑しくなりました。

「フンドシ?リュウ、真面目に言ってるの?」

「・・・うん・・・」

 4階での大部屋で、必要な患者がみな手をしばられてる光景が目に浮かび、あれは、実はフンドシだったかと思うと、可笑しくて笑いました。
 あまりに可笑しくて、この時リュウの表情が、キョトンとしていたのか、ほほ笑んでいたのか、確認できませんでした。
 でも、次に、そういう時があっても、リュウのせりふを思い出し、心が軽くなることは、間違いありません。
 ありがとう、リュウ。




怪獣マリンコング #リュウ8 - 2012.07.16 Mon

 入院して最初二ヶ月ぐらい三食とも流動食で、私が会社帰りに行ったとき、食事の手助けをするわけでもないので、時間がありました。
 その時は、新聞に週に一回、掲載されているクロスワードを持っていって、一緒に解いたり、新聞を持っていって、最近のニュースや出来事を新聞を見せながら、話したりもしました。
 5月20日の金環日食の写真や、5月22日のスカイツリーオープンの写真も見てもらいました。
 ある時ふと、iPhonの「You Tube」で、何か見たい動画はないか?と訪ねたことがあります。
 すると、リュウは、

「・・・かいじゅう、まりん・・・こんぐ」

と答えました。

「かいじゅうまりんこんぐ?私、知らない」

と言いました。
 そして、リュウのベッドを起こし、ベッドに引っ掛けるテーブルをセットして、100円ショップで買ったiPhone専用スタンドを置き、映像を見てもらいました。私も一緒に見ました。
「怪獣マリンコング」は、初めてリュウの口から聞いたように思えます。見てみると、白黒の映像で、うなり声をあげながら、怪獣が手足を動かして、暴れていました。その映像は、ストーリーはなく、ただひたすら、怪獣が暴れている、という風に見えました。
 リュウは、その怪獣を、「・・・コワイ、コワイ」と言いながら見ていました。
 私は、「大丈夫?夜、出てくるんじゃない?」と言いました。
 夜が怖いと言っていたのに、こんな恐ろしい怪獣の動画を見たら、余計怖くなるんじゃないかと思ったのです。
 そう言って、リュウの横顔を見てみると、怖いと言いながらも、目が生き生きとしていて、楽しそうでした。

(リュウって、怪獣マリンコングも好きだったんだ〜)

まだまだ、リュウの知らない一面がある、と思いました。




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プロフィール

vanilla

Author:vanilla
「やさしいまなざし」は「Vanilla Web Site」の日記の部分です。

登場人物(平成28年11月現在)
 
佐藤リュウ(59歳)←夫
佐藤バニラ(永遠の20歳)←私
佐藤イブキ(社会人)←長男
佐藤ワタル(福祉施設通所)←次男

 夫佐藤リュウは、平成17年頃(48歳)より、物が二重に見える、手に力が入らない、全身が重苦しく感じる症状があり、会社勤務ができなくなりました。
 若年性のパーキンソン病の疑いとのことで、平成18年(49歳)より神経内科に通院し、平成19年にはパーキンソン病関連疾患と診断名が付きました。
 その後、平成22年 (52歳)、診断名が若年性の「進行性核上性麻痺」に変わりました。
 ずっと自宅より通院していましたが、平成24年4月に自宅外で転倒骨折し、手術入院となってしまいました。入院時、誤嚥性と思われる肺炎も併発していて、現在も入院中です。平成26年11月19日に胃瘻造設しました。
 夫が仕事ができなくなった平成17年時、上の子が小学校6年生、下の子が小学校2年生(多動と自閉で特別支援学級在籍)でした。
 私は、平成19年より、平日フルタイムで仕事しています。たくさんの方のお力をお借りし、生活しています。
 北海道在住です。

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