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2012-11

昨日の暴風雪で5万6千戸停電中 - 2012.11.28 Wed

 北海道はストーブがないと、寒いこの季節に、昨日暴風雪で、登別の鉄塔が倒壊しました。
 何とか、頑張って欲しいです!



昨夜の登別市P家


昨夜の登別市D家



再度! 手紙 〜親愛なる子どもたちへ〜 - 2012.11.26 Mon

 昨日、樋口了一さんのWebサイトに、簡単な自己紹介をし、この詩と出会った経緯と、紹介させていただきたいことを、私のブログのURLを記し、訂正削除ありましたら連絡下さいとメールしたところ、スタッフの方から、本日早速返信あり、三カ所の訂正があるとのことで、指摘のみ受けましたので、早速修正しまして、再度、掲載させていただきます。早急な対応で、感激しました。
 連絡する際、シンガーソングライターの樋口了一さんのブログを、拝見させていただいていたところ、最新の日記で、お父様が今年の5月に84歳で亡くなられ、「脳梗塞の後遺症で、左半身が麻痺していて、体の自由も利かず、認知症状もかなり進んでいました」との記述があり、私は「ご冥福をお祈りします」と結びました。

 その後、私の友だちの勤労ちゃんが、私の詩の投稿を見て、私のブログの掲示板で、樋口了一さんは、テレビ番組『水曜どうでしょう』で知っていて、現在、パーキンソン病にかかっている、とのことで、今度は樋口さんのブログの過去の日記を拝見させていただいたところ、2009年3月に、パーキンソン病と診断されたとのことでした。公表は、今年の4月のようです。樋口了一さんは、45歳の時に、診断されたということになります。リュウは、パーキンソン病ではなく、パーキンソン病関連疾患になりますが、最初に診断されたのは、49歳です。リュウはもちろんですが、樋口さんも応援したいと思いました。
 スタッフの方より、「12月8日に小樽でライブがある」とのことで、生の歌を聞いて欲しいとのことでした。
 樋口了一さんのブログのアドレスは、 http://www.higuchiryoichi.com/blog です。



 手紙 ~親愛なる子供たちへ~

   年老いた私が ある日
   今までの私と
   違っていたとしても
   どうかそのままの

   私のことを
   理解して欲しい

   私が服の上に
   食べ物を
   こぼしても

   靴ひもを
   結び忘れても

   あなたに色んなことを
   教えたように
   見守って欲しい

   あなたと話す時
   同じ話を
   何度も何度も
   繰り返しても

   その結末を
   どうかさえぎらずに
   うなずいて欲しい

   あなたにせがまれて
   繰り返し読んだ
   絵本の
   あたたかな 結末は
   いつも同じでも
   私の心を
   平和にしてくれた

   悲しい事ではないんだ
   消え去ってゆくように
   見える私の心へと
   はげましのまなざしを
   向けて欲しい

   楽しいひと時に
   私が思わず
   下着を濡らして しまったり

   お風呂に入るのを
   いやがるときには
   思い出して欲しい

   あなたを追い回し
   何度も着替えさせたり
   様々な理由をつけて
   いやがるあなたと お風呂に入った
   懐かしい日のことを

   悲しい事ではないんだ
   旅立ちの前の準備をしている私に
   祝福の祈りを 捧げて欲しい

   いずれ歯も弱り
   飲み込む事さえ
   出来なくなるかも知れない

   足も衰えて
   立ち上がる事すら 出来なくなったなら
   あなたが
   か弱い足で立ち上がろうと
   私に助けを求めたように

   よろめく私に
   どうかあなたの手を 握らせて欲しい

   私の姿を見て 悲しんだり
   自分が無力だと 思わないで欲しい

   あなたを
   抱きしめる力がないのを
   知るのはつらい事だけど

   私を理解して 支えてくれる
   心だけを 持っていて欲しい

   きっとそれだけで
   それだけで
   私には勇気がわいて くるのです

   あなたの人生の始まりに
   私がしっかりと 付き添ったように

   私の人生の終わりに
   少しだけ
   付き添って欲しい

   あなたが生まれてくれたことで
   私が受けた多くの喜びと

   あなたに対する変わらぬ愛を持って
   笑顔で答えたい

        私の子供たちへ
             愛する子供たちへ




リュウ、モノマネを見逃す - 2012.11.18 Sun

 8月27日の夕食後、リュウがぼそっと、

「いい加減・・・・」

と、確かに言い、私は、その続きを聞かなくてはならないと覚悟を決め、

「いい加減なに?リュウ、言って」

と、聞くと、

「いい加減・・・、モノマネとか見たい・・・」

と言ったので、その日からずっと、朝のテレビ欄を確認することにしました。
 そして、約一ヶ月後の9月21日の朝!ついに、コロッケとか出る本格的なモノマネ番組が夜の7時からあることが、その日の朝刊のテレビ欄で、わかったのです!

(やった〜!やっと、リュウに本格的なモノマネを見せてあげられる!)

と思い、出社しました。

 ところが、退社時間が近くなってから、会社にワタルの中学校から電話があったのです。出てみると、ワタルの担任の先生で、ワタルが机に突っ伏してグターとなっていて、具合が悪そうだということでした。いま、保健室で寝ているけど、熱が36.9度で、本人が「おなかが重たい」と言っているということでした。

「おなかが重たい?とは、おなかにくるカゼかな〜?」

そう私が言うと、

「なんともわかりませんが、いつもとちがう状態なので、お母さんに連絡することにしました。でも、今のところ、それほど重症でもなさそうで、これから、自力で帰宅させようと思いますが、お母さんかお兄ちゃんが何とか早めに帰宅できれば・・・」

と先生が言います。本人に会い、病院に連れて行くことも頭に入れ、

「私が、早めに帰宅し、場合によっては、病院に連れて行きます」

と言いました。
 そうして、会社に事情を言い、1時間の早帰り制度を利用させていただき、急いで帰宅しました。すると、ワタルは布団の中にうずくまっていました。
 私は、

「ワタル大丈夫かい?」

と言いながら、熱を測りました。私の頭の中では、どの病院に連れて行こうかと、考え中です。
 体温計のブザーが鳴り、見てみると、36.5度と表示されていました。

(あれ、36.5度?学校の時より下がってる・・・)

「ワタル、おなかが重たいの?」

「うん」

「ノドは痛い?あたまは痛い?」

「痛くない」

「他には?どこか具合悪いところは?おなかが重いだけ?」

「ええ〜〜っと、おなかが太くなった」

「太くなった???」

「おなかが太くなって、重たくなった」

「???、それって、給食食べてから?」

「うん」

「それって・・・・・・・、もしかしたら・・・・・・、おかわりした?」

「うん」

 私は、それ以上、ワタルに症状が聞けなくなりました。ひととおりの会話が終わると、ワタルはすくっと立ち上がり、

「お風呂に入ってくる」

と、お風呂場に消えて行きました。
 その姿をぽか〜んと見つめる私がいました。
 
 その後、ワタルが急変することも考え、病院に今日、寄れないことを電話で伝えました。

 そういうわけで、その日リュウは、見たかったモノマネを見逃したのです。
 本当に本当に、残念でした!




9月7日にレインポーピック終わる - 2012.11.18 Sun

  9月7日の金曜日、中3のワタルは、今回で参加が最後のレインボーピックが終わりました。
 レインポーピックとは、札幌市の特別支援学級に通う小中学生の大運動会で、円山競技場で行なわれています。
 以前は、小学校中学校合同だったと思うのですが、だんだん人数が増えてきて、小学校と中学校は、別々の日に行なわれるようになったはずです。
 種目は、短距離走やリレー、組み体操とかもあります。

 このレインボーピック、小学校の時は、親が付き添い、中学校の時は、先生が引率して行ってくれるのですが、私は、なぜか縁がなく、一回も競技を見たことがないのです。
 ワタルが小学校一年生の時は、雨で結局中止になり(確か)、二年生も雨で中止(?)、気が付いたら体調が悪くなり仕事ができなくなったリュウが、私に代わり小学校6年生まで、付き添いをしてくれていたので、私は一度も見たことがありませんでした。
 ちょっと、残念。

 この日に向けて、速く走る練習や、お友達との組体操の練習を真剣にがんばります。
 当日ワタルも、100M走第3組で8名中3位、400M走第1組で40名中10位と健闘したそうです!
 その日に向け、一生懸命練習し、当日本番で頑張り、帰り道、先生に、

「楽しかったねー」

と、しみじみと言っていたそうです。

 今年で最後のレインボーピックですが、今年は児童ディサービスのスタッフの人も、ワタルをふくめて、かかわりのある子の応援に来てくれたそうです。
 ありがとうございます。

 今までも、幼稚園時代のママや、転校前の小学校のママ、転校して行ったお友達、移動した先生方、ヘルパーさん等、

「当日、ワタルに会ったよ〜!」

と、私の方にも何らかの情報が入り、私はそれもとっても嬉しかった!です。

 ワタル、今年で最後のレインポーピックお疲れさま!




始業式の日の反省文 - 2012.11.18 Sun



 ワタルは、一学期の終業式の日の夜に、

「あほがみ〜る〜 ぶたのけぇ〜つ〜!」

と、家で大声で何回も楽しげにうたい、私に、

「誰に教えてもらったのっ!」

と、聞かれると、

「○○○○せんせいっ!」

と即答し、嘘を言ったので、反省文を書いて、二学期の始業式の日に持って行くことになりました。
 その後の私の調べ、というか、私のブログを見た友だちから、

「いま、嘉門達夫がテレビで歌って、流行っているらしいよ」

とメールが届き、ワタルがよく見ているテレビ東京系の「ピラメキーノ」の番組で、流れているということがわかったのです。

 うたを教えてもらったのが先生と嘘を付いたとういことと、うたってはふさわしくない場所(中学校)でうたっていたことがわかり、「嘘を付いてごめんなさい」「もううたいません」という内容の反省文を書いて持って行きました。
 その後、反省したワタルは、もううたを教えてもらったのが先生という嘘もつきませんでしたし、学校でもうたいませんでした。
と、締めくくりたいところですが、
 始業式から10日経った9月6日、その約束をやぶり、教室と保健室で何回もうたっていたと、連絡帳に書かれてあり、担任の先生、私に、がっつり怒られるはめになりました。




私が下剤を飲む #リュウ34 - 2012.11.11 Sun

 10月のある日のちょっとした出来事です。
 リュウは便秘症ではなかったのですが、この病気になってから、便秘になるようになりました。

 便秘がちになり、おかしいおかしいと、二人で言っていたのは、神経内科にかかる何年も前からです。
 平成18年の神経内科にかかり始める前、5年ではきかないと思いますが、

 ・本を読むとき、片目を指で押さえて、もう片方の目だけで、見るようになった
 ・(怒ったような)寝言が、ものすごくなった
 ・便秘症になった

という今までにない変化があり、首をかしげていました。

 寝言はいつからか、なくなりました。
 本は、手に力がなく、持つのが重たいと言って、今は読んでいません。
 でも、便秘とは、ずっと、付き合っています。

 いま、便秘の薬は、錠剤のが二種類出ているのですが、それでも何日か出ないと、夕食後に液体の便秘薬が出されます。
 それは、何に混ぜても味が変わらないそうなので、その時は私は、インスタントのホットカフェオーレに混ぜようと思いました。
 カフェオーレのスティックをやぶり、コップに入れ、給湯室に行き、ポットのお湯を入れました。それから、液体の便秘薬を言われた量、カップに落とします。
 あ、でも・・・、かなり熱そうです・・・。

(熱い!って、なって、口の中をヤケドしたり、反射的に落としたら、手とか足とかお湯がかかったところがヤケドするかも・・・)

 そう思って、温度を確かめるために、ごく少量飲んでみました。

(あ〜、やっぱり熱いわ。失敗した。水を混ぜるんだった。でも、なみなみとお湯を注いじゃった・・・。冷めるまで待つしかないか〜・・・)

 そう思い、しばらくしてから、また、ごく少量飲んでみました。

(いや〜、まだ熱いわ。なかなか冷めない。これで、渡して、さっき想像したとおりになったら困るわ)

 もういいだろうと思って、また、しばらくしてから、ごく少量飲んでみました。

(う〜〜〜ん、まだ、熱い・・・。もう、なかなか冷めないっ!)

と、少量ずつ飲み・・・、そこで、やっと、

(あ!私が下剤飲んでる!)

と、気が付いたのです。
 
 次の日の朝、私のおなかが下ったのは、そういうわけです。




K先生の奥さんのお見舞いに行く。 - 2012.11.04 Sun

 8月14日、短大の哲学の先生で、私のゼミの先生であるK先生の奥さんのお見舞いに、同じゼミ生のけいちゃん、オーちゃんと三人で行きました。

「そういえば・・・、そっか・・・、先生の奥さんも進行性核上性麻痺という病名だった・・・」

と、思い出したのは、私が先生にリュウの病名と入院を伝える近況報告のハガキに対してのK先生から届いたハガキを見た時でした。
 そこには、

「だんなさんも、進行性核上性麻痺でしたか」

と、書かれてあったのです。

 K先生は、19歳の時、第二次世界大戦に学徒出陣をした経験から、『歴史の証人』として、先生の教え子等つながりのある人に、再び戦争が始まらないように警笛を鳴らす内容の通信を不定期で、郵送してくれていました。
 その通信の添え書きかで、奥さんの病名が進行性核上性麻痺と見た覚えがあることを、今年の夏の私の出したハガキへの先生の返信で、やっと思い出したのです。
 先生は、私の短大時代からも病気がちで、私が卒業後も心臓や頭の方の大きな手術をしたり、いま現在もまた病気が発見されたりと、通信も途絶え途絶えでした。いつ何年前の添え書きに、奥さんの病名が載っていたのかも、私の中では、定かではありません。
 ただ、市外の一戸建てから、市内の介護付き有料老人ホームにご夫婦で入られたことは、知っていました。それももう、10年くらい前のことです。
 リュウが、病気になり、入院中で、そしていま、先生の状況が、遅まきながら、わたし自身、わかってきました。
 点と点が、線でつながってきたのです。
 リュウの近況を知らせるハガキを出し、先生から返事が来て、ヨカッタと、思いました。

 何十年かぶりに会うけいちゃん、オーちゃん。オーちゃんと会うのは、卒業式以来です。
 そして、けいちゃん、オーちゃんもそれぞれ、夫とワタルの状況を伝えるハガキを出した友だちのひとりです。
 けいちゃんは、私よりもずっと、K先生と奥さんのことを気にかけてくれていて、一番様子がわかっている友人です。

「先生も病気がちだし、奥さんもそうで、いままでも会う約束もなかなか取れなくて、行ってみないと会えるかどうかわからないからね・・・」

 けいちゃんがそう言いました。

 私は会社はお盆休みで、その日の朝、リュウの病院に行き、食事の手助けをして、その足で先生の住む地下鉄の駅の集合場所に向かい、11時頃、三人が合流しました。
 そこで、もう一度、けーちゃんが先生に電話をし、行って大丈夫か確認しました。

「大丈夫だって。来てって」

 けいちゃんが、私たちの顔を見て、嬉しそうに言いました。

 そこは、私は初めて入る世界でした。

 外観は、大きなマンションで、中に入ると広々としたロビーがありました。
 見渡すと、ホテルの一階のようなソファやテーブルがいくつもあり、入居者と思える人も談笑していました。そしてかなり大きめの売店があり、その隣の奥の方には、コックさんが見え、高級そうなレストランがありました。
 いま、リュウとレストランに行くには、外出許可が必要で、私の車で出かけなくては行けませんが、ここだと、ここに来たら、外食した気持ちになれます。あと、買い物も病院の売店よりかなり大きくて、買い物気分もここに来たら、味わえそうです。いい気分転換になります。
 さりげなくお花等もきれいに飾っていて、私は、一歩なかに入った途端から、

「わ〜〜!すご〜〜い!」

を連発していました。
 そして、けいちゃんがホテルのカウンターみたいなところで、受け付けをしてもらい、首からカードを下げ、そのカードを機械にかざしながら、いくつかのドアを開け、居住空間へ三人で入って行きました。居住空間は、少し、病院に似ていました。でも、病院よりずっと廊下が広かったです。
 エレベーターに乗り、けいちゃんの行く方向にだまってついていくと、

「ここだわ」

と、部屋の前で、けいちゃんが止まりました。ほかのお部屋もそうですが、ドアがなく、ドアの代わりにのれんが下がっています。これだと、車イスも楽に行き来できるし、中で転んだり具合が悪くなって、物音を立てたときに、外部の人にすぐにわかります。

「せんせい〜」

と言いながら、三人で中に入って行きました。

 そこは〜、愛情溢れる空間でした。その一言に尽きます。
 
 お部屋の真ん中に、私はよく見慣れた介護用の電動ベッドが二つ並んでいて、それぞれ、ご夫婦で横になっていました。
 奥さんはもう昼食中です。私は、見てすぐに分かりました。経腸栄養剤をお腹のあたりに、点滴の棒から、落としていたのです。この栄養補給の仕方にしたことは、今年からそうだと、先生のハガキで知っていました。
 リュウは、S病院の4階に入院中、鼻から、栄養剤を点滴で補給して、それが、三回の食事でした。リュウは栄養剤が終わると、今度は、水分をやはり、点滴で補給していました。
 先生が、自分のからだを起こそうとしたので、私は反射的に近寄り、肩に手を回し、起き上がる手助けをしました。そうして、靴を履いてもらい、車イスに移動し、私たちは少しの間、先生とお話しすることができました。

「一日に一回、コニュニケーションが取れたらいい方かな。あとは、コンコンと眠っているよ」

 そう、心配そうに先生が奥さんのことを言いました。
 久しぶりに見る先生は、少し痩せたように思いましたが、世界の平和をねがう信念を持つ目の輝きは同じでした。

 そして・・・、ベッドのまわり、お部屋の中は、今まで暮らしていた私物があり、そこはあきらかに、先生と奥さんの歴史があり、「HOME」であり、乱雑に置かれたようなものもひとつひとつすべてが、先生の愛情の証しであると、私は感じました。先生の選択は、奥さんも幸せだし、そして先生も幸せだと、そう確信しました。
 それを奥さんと同じ病名を持つ夫がいる私に、そして、私同様、先生を尊敬して止まないけいちゃんとオーちゃんに、ご夫婦のすべてを見せてくれた・・・。 
 先生は、教え子の私たちにも、当時と同じくいまも、愛情を注いでくれていました。

 いま、リュウは病院にいますが、病院に家族で暮らせる居住空間があるイメージです。ここなら、私もリュウと一緒に暮らせそうだと、思いました。でも!、イブキとワタルがいるから、やっぱり、無理だ・・・。と、思いました。

 「食事です〜!」

と、看護師さんのような人が、トレイに乗せた病院で出されるような先生の食事を運んでくれたので、

「スミマセンが、写真を写してくれませんか?」

と頼み、奥さんを囲み、全員の写真を写してもらいました。

 その後、わかれの時間が来たので、みんなで奥さんの名前を呼びました。K先生が、

「けいちゃんの名前だとよくわかっているから、言ってみて」

と言い、けいちゃんも一生懸命、自分の名前を言いながら、奥さんの名前を呼びました。すると、目尻にうっすらと、涙がたまりました。

(あ、奥さんは、けいちゃんの声が聞こえて、喜んでくださっている)

と、私は感じました。

 K先生、ありがとうございました。けいちゃんもオーちゃんもありがとう。また、先生と奥さんに会いに行こうね。
 先生も奥さんも待っていてね。


 先生とわかれた後、市内の大きな病院に足の手術をして入院しているやはりゼミの仲間のSちゃんのところへ、三人でお見舞いに行きました。
 Sちゃんは、何年も前から、股関節の手術で入院したり、退院したりで、家での日常生活も、外出の際だけは、車イスを使っています。
 短大時代の四人で、病院の一階にあるスターバックスでお茶をしながら、なつかしい短大時代のことを話題にしました。もちろん、K先生ご夫妻のこともです。
 みんな若くて、楽しい時代で、当時の話しを、何時間もたくさん話しました。楽しかったです。

 私は・・・、夫が、進行性核上性麻痺という難しい病気になり、夫が外出する際は、車イスのお世話になり、それらと通して、K先生、Sちゃんの気持ちが、今更ながら少し理解できるようになってきました。
 本当に、のんびりしてました。
 それまでは、理解しようにも、ピンと来なかったかもしれません。

 すべてのことに、感謝ですね。




日本シリーズ野球観戦 #リュウ33 - 2012.11.03 Sat


今日は、日本シリーズの第6戦、巨人が勝ったら、日ハムを制し、優勝する日です。
リュウは、もともとスポーツ観戦が大好き。
私はその面白さがよくわからなくて、どうして面白いのか、リュウにずっと聞いていました。
でも、リュウと一緒に楽しみたい!と思い、試合結果を伝えて、毎日一緒に、リュウの夕食時に観戦しています。
北海道の日ハムなので、看護師さん、患者さん、ご家族の方も観戦に加わります。
みんなで、一喜一憂。
私も詳しい方に、解説してもらいながら、熱くなっています。
巨人ファンの人と、アンチ巨人の人の解説がまったく同じで、可笑しいです。






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プロフィール

vanilla

Author:vanilla
「やさしいまなざし」は「Vanilla Web Site」の日記の部分です。

登場人物(平成28年11月現在)
 
佐藤リュウ(59歳)←夫
佐藤バニラ(永遠の20歳)←私
佐藤イブキ(社会人)←長男
佐藤ワタル(福祉施設通所)←次男

 夫佐藤リュウは、平成17年頃(48歳)より、物が二重に見える、手に力が入らない、全身が重苦しく感じる症状があり、会社勤務ができなくなりました。
 若年性のパーキンソン病の疑いとのことで、平成18年(49歳)より神経内科に通院し、平成19年にはパーキンソン病関連疾患と診断名が付きました。
 その後、平成22年 (52歳)、診断名が若年性の「進行性核上性麻痺」に変わりました。
 ずっと自宅より通院していましたが、平成24年4月に自宅外で転倒骨折し、手術入院となってしまいました。入院時、誤嚥性と思われる肺炎も併発していて、現在も入院中です。平成26年11月19日に胃瘻造設しました。
 夫が仕事ができなくなった平成17年時、上の子が小学校6年生、下の子が小学校2年生(多動と自閉で特別支援学級在籍)でした。
 私は、平成19年より、平日フルタイムで仕事しています。たくさんの方のお力をお借りし、生活しています。
 北海道在住です。

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