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2013-10

三剤療法(3系統神経伝達物質同時補充療法)のお医者さま - 2013.10.31 Thu

 先日、リュウの神経内科の主治医S病院H医師にコンタクトをとる機会があり、日本で、三剤療法をしてくださるお医者さんを教えて欲しいとお尋ねしたところ、学会で共同で研究発表なさっている千葉県のY先生だけではないでしょうか、とのお返事でした。
 昨日、連絡があり、先月おこなわれたパーキンソン病の学会での H医師のポスター発表を見て、三剤療法を行なってみるというお医者様があらわれたとのことです。これにより、3人になりました。
 混乱を避けるため、知りたい方は、メールフォームより、メールしてください。よろしくお願いします。
 進行性核上性麻痺には治療法もないし、治療薬もないというのが主流のなか、患者様に適切な治療をと、貴重なお医者様たちです。ありがとうございます。

 三剤療法(3系統神経伝達物質同時補充療法)のお医者さま

・北海道札幌市S病院H医師
・千葉県K病院Y医師
・神奈川県Y病院T医師

なお、三剤療法(3系統神経伝達物質同時補充療法)につきましては、

「S病院H医師の一年ぶりの受診と、ディサービスGのみなさんと約一年半ぶりの再会!
#リュウ69?-?2013.07.21 Sun」

↑私のブログにだいたいのこと書きました。




今日のパン - 2013.10.29 Tue


お麩の入ったお味噌汁が出ました。また言ってくれるかな?と思い、
「麩がみっつで?」
と聞くと、
「プーさん」
と言い、笑顔になりました。
何気ないこんな会話が、嬉しいです。




10月27日のパンが二個なのは、前日の土曜日のお昼がパン食だったためだと思います。
その日私は、朝食の手助けに来たので。


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私の実家に行く - 2013.10.27 Sun

 10月26日、27日と久~しぶりに私の実家に行きました。父も母も元気で何よりです。イブキもワタルも一緒です。
 私の5月の「いずみ」の投稿が父のスクラップに貼ってありました。そのスクラップブックは初めて見るもので、見させていただくと、たくさんの父の投書の中に、ひとつだけ母の投稿が。私もその投稿は覚えていて、新聞で見て、電話した記憶があります。その母の投稿と、たくさんの父の投稿から一つ紹介したいと思います。


↑『手術の不安消す夫からの贈り物』
テーマ 「新しい服」
2002年4月10日北海道新聞声欄:母の投稿

 それは私の手術前日のことでした。寝ているベッドから不安があふれて病室中に充満しているような精神状態の時です。
 静かに入って来た夫が手際良く用事を片付け、何気なく手にしていた茶色の紙袋を、ロッカーに収めました。夫が帰った後でその袋を開けて見ると、そこには明るいオレンジ色の半袖セーターとカーディガンが入っていました。
 四十年近い二人の生活にプレゼントをし合うようなことはめったになかったのに、灰色の気分の手術前夜、思いがけない贈り物でした。「このアンサンブルに腕を通す日は来るのだろうか」と私は思いました。
 でも、とても幸いなことに術後の経過も良く、日に日に病室から見える空の色も沈うつな冬の色から、早春の薄明かりに転じ、確実に春の扉を開けています。このセーターはきっと退院の日の玄関ガラスをオレンジ色に染めることでしょう。




『「北海道百名山」楽しんで踏破を』
2013年1月5日北海道新聞声欄:父の投稿

 去年夏、胸に秘めていた道外の3山に登った。世界自然遺産に登録されている白神山地の白神岳と、かつて登り損ねた栗駒山、それに年間250万人が訪れるという高尾山だ。
 振り返れば,学生時代に一度、札幌岳に誘われて登ってみたのが登山歴のスタートだったが、この時はさほど感動しなかった。
 その後、空白があり、30代前半に日高山脈最高峰の幌尻岳の山頂に苦労して立った。その素晴らしい展望に感激し、山の魅力にとりつかれた。
 それからほそぼそではあるが登山を継続し、2年前に「日本百名山」を踏破した。道外の山は昨年の3山で一段落と考えている。
 新年からは「北海道百名山」(山と渓谷社刊)全山登頂を目指そうと思う。これまでに70座近く登っているが、その中でも特に、日高山脈のカムイエクウチカウシ山や一八三九峰などは印象に残っている。
 目標を持つことは日常生活にも張りがでる。余裕を持って楽しく登りたい。珍しい高山植物やナキウサギなどに出合うのを今から楽しみにしている。


 父と母は今現在元気で、ちょっと前まで二人で国内外のウォーキング大会にも出かけていました。現地で知り合った知人を訪ねて、昨年は夫婦でイギリスにも行っていました。それから父は、国内の山だけでなく、キリマンジャロも登り、モンブランも二回アタックしています。
 父は、母の短歌や川柳の才能に轢かれて、結婚したそうです。これは、初めて聞きました。

 父からアドバイスがあり、「今回の旅のことを投稿したらぜったいに載るよ」とのことで、私はこう答えました。

「いずみは、担当者の方から半年は載らないと言われ、それを待っていて、先々週旅のこと応募したけど、連絡がないから没になったと思う」

と。
 あと、「初投稿が載って嬉しかったかい?」と聞かれたので、「あまりにも嬉しすぎて、毎日サイン書く練習した!」と言ったら、すごいウケていました。


↑国内外行ったたくさんのウォーキング大会のメダル。



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今日のパン - 2013.10.26 Sat


バターロール。
今日は、朝食の手助けに来て、初めて直接もらいました!






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サッカー少年まーくん・白雪姫プロジェクト - 2013.10.24 Thu

 植物状態と言われる人の回復サイト、白雪姫プロジェクトをこの間知って、ブログで紹介しました。さっそくメルマガも登録したら、サッカー少年まーくんの講演内容が。みなさんにご紹介したいと思い、転載します。少々(?)だいぶ(?)長いですが、最後に私の説明があります。またブログに、「白雪姫プロジェクト」のカテゴリも作りました。

 第1536号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                    2013年10月19日現在 参加者人数6321人
 「10/19昨日の宮ぷー」      
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メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html

今日から三日間、岐阜羽島でのまーくんの言葉をお伝えします。とても長いので三日間に分けて載せさせてくださいね。映画「僕のうしろに道はできる」にも出ておられるサッカー少年まーくんの言葉です。仙台のしげちゃんが文字起こしをしてくださいました。

<引用ここから>・・・・・

まあくん:
僕がうまく書けなかったけれど、僕が本当に書きたかったことは、これから通訳は先生にお願いいたしますが、その前に書きたかったことで、時間がなくなってしまったので、お母さんのやり方で書いたことを、もう一回お母さんが読み上げてください。

まあくんのお母さん:
苦しんでいる人のことを考えると、僕のことを話したらいいと思う。いつも考えているのは、みんなよくなるということです。もういいよ。(と書きました。)

まあくん:
変わって速くやらないと時間が確かになくなるので(笑)お母さんと指だけで少し話してみます。

(お母さんの通訳で)(指談の方法をここで教えてもらったのです:かつこ)
このやり方は楽にできるので、みんなにやってもらえばいいと思うので紹介します。
(拍手)

(柴田先生の通訳で)
それと、このやり方について、お母さんの筆談で説明させたかったんですが、うまくいかなかったんで、このまま話しますが、このやり方は普通の人にはできないかもしれないですが、先生ができるので、僕はこのやり方で話をさせていただきたいと思います。なぜならこのやり方のほうがたくさん話せるからですが、誰も信じられないのではないかと思いますが、これは僕の心の声ですが、べつに先生は心を読んでいるわけではなくて、一生懸命音を探したり、予想をしたりして、話しているだけですので安心してください。(笑)違うときは僕は違うと言いますし、先生も違うか違わないかのあたりを丁寧に確かめているので、大丈夫・・今も先生は「確認」と予測したのに、「確認」ではないとわかって、「確かめる」にしましたから、だいたい大丈夫ですが、(笑)ときどき先生が止まりそうになるところが逆に正しさを表しているのでよろしくお願いします。

それではここから、僕が話をさせていただきますが、どうぞみなさん元の席にお戻りください。(爆笑)
ここからは楽に聴けると思うので、どうぞ席でお聴きになったら大丈夫だと思います。ここからは、僕の声もしないし、ひたすら先生の声だけが聞こえると思いますが、これは僕の声ですからよろしくお願いします。
ところで、今日の母の話はやはり幸せ物語というよりは、(お母さんの華ちゃんが、講演されたあとだったのです。:かつこ)これまでの悲しい物語に聞こえてしまったのではないかと心配していますが、僕にとっては、こういうことがあって、今日の僕がいるので、か、欠かすことのできない話ですが、(何か「か」から間がありました。:かつこ)いま少し先生が困ったのは、僕も困ったからでしたが、欠かすことができないという言葉を少し時間がかかったから、先生も時間がかかったので、そういうことだと思ってください。

僕の母さんは、とても強い女だと思う(笑)のですが、僕の母さんは昔はとても優しくて、楽しい母さんだったのに、僕が倒れてから、とても強くなったので、僕は少し申し訳ないと思っているのは、昔は、うちは楽しい母と、面白い父と、和気あいあいとやっていたのに、最近は母はとても強くなってしまったので、(笑)家族のバランスがくずれそうで、(笑)はらはらしているところですが、幸い僕にとっては、良い家族のまま?っていうので、安心していますが、最近妹もだいぶ大人になってきたので、昔のただのかわいいだけの妹はもうどこにもいなくなって、(笑)母に似たのか、父に似たのかわからないけれど、最近はとても強くなってきたので、妹の前ではたじたじになることが(笑)多いですが、妹に一番申し訳ないのは、僕のために自分の人生を変えてしまったのではないかということですが、(妹さんが看護師さんを目指しておられることについて:かつこ)

それも妹は一番言われたくないことのようで、これは私が選んだのだから、僕のせいではないとあっちこっちで言いふらしているみたいなので、僕もそれは、もうそういうことにしたほうがいいかと思っていますが、妹は、僕がいなかったらきっと、もっと違うことをやっていたのは間違いがないので、妹には申し訳ないけれど、妹は兄ちゃんのおかげでとてもいい道が選べたと思っているみたいなので、今のところはそうしておきますが、もしかしたら、あと何十年かたって、妹からあのときやっぱり生意気なことを考えてしまったけれど、本当はほかのことがしたかったと、言われるのではないかと心配です。

ところで妹は、すくすく育ったので、僕がこうなっても全くぐれたりしなかったけれど、ときには僕みたいな兄が生まれてしまったら、ぐれてしまう子もいるのではないかと、途中でとても心配したけれど、むしろ家族が僕のために一丸となったような気がしたので、僕はそれはそれでとてもよかったと思っていますが、今日の話を聴くと、やっぱり改めてとても大変なことが起こったのだなと思いました。僕は自分が張本人なので、大変といっても、どうしようもなかったのですが、両親や妹がおろおろするのを見ると、とても胸がいたんでいました。僕にとっては、生きるか、死ぬかということなのですが、不思議なもので、本人は死ぬということはありえないという感覚があって、絶対に生きるという強い言い方ではないのですが、死ぬはずがないという感覚でいたので、母たちの不安な感情とはずいぶん違っていましたが、いずれにしても、昔出来ていたことが全くできなくなったことは、とても辛かったです。

とても辛かったのは、あと仲間たちが僕に話しかけなくなったことです。あの映画のなかではみんな僕に向かって、一生懸命、歌を歌ってくれましたが、あのときはみんなひとつの気持ちになれて、一生懸命歌ってくれたのですが、そのあと友達は、みんな僕に、なにか申し訳ないような気持ちで接してくれるようになったので、なかなかストレートに昔のように、「おい、くり」とかいうことを言うやつがいなくなってしまったのがとてもさびしかったです。
俺は昔のままなのに、なんでお前たちは変わってしまったのかと、いつも思っていましたが、最近は昔のくりが戻ってきたということになっていて、いつもけんかばかりしていたやつは、あいかわらず喧嘩腰で話をしてくるし、昔の感じが戻ってきたので、とてもうれしいです。

これもこうして自分に言葉があることがわかったからなのですが、べつにくりが戻ってきたわけではなくて、僕はずっと昔のままだったのに、世の中の常識が僕を、いったん僕を別の世界に追いやってしまって、僕にとってはそのあいだは、本当に孤独な日々でした。もちろん毎日、家族が会えるので、ある部分は孤独ではないのですが、自分の言葉が誰にも届かないし、その声をいくら出しても、世の中の人たちは、もうこの人には意識がないと言っているわけですから、その状況の壮絶な感じはやはり、とても辛かったとしか言いようがありませんが、幸い母は、私はこの子に意識があると(思うと)言い続けてくれたので、母は信じてくれていたのですが、さすがに母も、まわりの人があれだけ言うので、私はそう信じるとしか言わなくなって、確信ではなくて、信じるになってしまったのがとても怖い経験でした。母が信じるのをやめた瞬間、僕はこの世の中で、全くひとりぼっちになるのではないかという恐怖が、その頃は自分を襲っていました。

そういうふうにして僕は、ひとりで苦しみと闘っていましたが、当時はやはりまだ、自分は苦しみの意味はよくわかっていなくて、なんとかしてこの苦しみから抜け出したいという気持ちでいっぱいでしたが、いまはこの苦しみの意味を問い直して、僕にできることはなんなのかを考えるようになり始めています。この苦しみは、いまは苦しみではなくて、この状況という言い方をしたほうがよくて、いまはもう苦しみではなくて、もっと自由にはなりたいけれど、不自由ではあるけれど、苦しみの状態はなくなりました。苦しみの状態というのは、やはり抜け出したいという気持ちに駆られているときに湧いてきた気持ちで、いまは一歩ずつ、今よりよくなるということであって、この状態を抜け出したいという気持ちでリハビリには取り組んでいません。今はこの状態を一歩でも前に進めるためのリハビリだから、今のこの状態をとても肯定しているのですが、この状態に留まることも、またひとつの僕の人生の否定になるような気がするので、この人生をきちんとしたものにするためには、やはり前に歩み続けるしかないのだというのが、今の気持ちです。

きっと宮田先生もそういうお気持ちではないのでしょうか。なぜそのことを言うかと言うと、昔の僕はこの状態を否定していましたが、今の自分はこの状態を肯定しているので、この状態を肯定していると言うと、この状態のままでいいということになってしまいかねないのですが、この状態を肯定しているということは、この状態をさらに一歩でも前に進めるという意味なので、きっとそのへんが、なかなかうまく伝わらないのではないかと思っているので、あえて強調しましたが、きっと宮田先生もきっと僕たちのようなというか、生まれつきの障害のある子供たちと長いことつきあってきたので、体の動かない状態にも意味があることはよくご存知のはずなので、この状態を否定するのでもないし、この状態を抜け出すためでもなく、今のこの状態を肯定しつつ、それでも前にいくのが人間だという感じで、日々のリハビリに取り組まれているのではないかと思っていす。

まさかこんな考えにたどり着くなんて、倒れたばかりの僕には考えもつかないことでしたが、最近はいろいろな人と意見を交わすことができるようになったので、こういう考えがきちんとしゃべれるようにもなりました。不思議なもので、僕もこんなことが今日言えるかどうか、夕べからとても不安だったのですが、こうしてみなさんの前に出てくると、自然と考えがきちんとまとまってくるので、やはり誰かに伝えるということが僕たちにはとても大切なのだと思いました。(いま違ったのかな)僕たちにとってはたいへん大切だと思います。

僕たちにとっては、ひとりで考えていると、あるところで考えが止まってしまうのですが、こうして人に伝えていると、考えはさらにその先に進んでいくので、やはりこうして人に伝えるという経験は、とても大事だなと思っています。今日は、僕はどんな話をしようか夕べから考えて眠れなかったのですが、やはり自分のことを話すのだから、いろいろ考えても仕方ないというのが出た結論でした。それはそれとして、今日の山元先生の話を聞いていて、つくづく思うのは、僕たちのような状態にも意味があるということを、やはりきちんと伝えなければいけないということでした。なぜなら、多くの方々は、僕たちのこの存在は、やはりあってはならない存在というか、あってはならない状態という感じがあるようで、先生たちは少し別なのかもしれないけれど、どうしても世の中はそういうふうに僕たちを見ているので、そのことの大きな過ちをきちんと伝えないと、どうしても僕たちのこの状態は間違っていて、間違った状態からどう抜け出すかということになってしまうので、このところをきちんと伝えることが必要なのだなと思いましたが、どんなふうに話していいかわからなかったけれど、こうしてみなさんに伝えていると、どういうふうに伝えればいいのかもなんとなくわかってくるのが、とても不思議なくらいです。

柴田先生の通訳は、昔話しをしていたものからすると、昔ならここであがってしまって困るのに、あがる感覚がなくなってしまうのがとても不思議でした。(笑)あがる部分が出ないぐらい、そのまますらすら話しているので、あがらなくてすむのですが、たぶんあがってしまったら、せっかく考えてきたこともなくなるのでしょうが、この経験がとても不思議なのは、あがって話せなくなるのと反対で、全部考えてきたわけではないのに、話しているうちに、どんどん考えがまとまっていくので、やはり不思議といえば不思議な方法ですが、べつに先生がしゃべっているわけではなくて、自分でしゃべっているので、やはり落ち着いて自分の気持ちをきちんと整理していくということは、誰かとともにやっていくことなのだなということがよくわかりました。

今日の僕の母さんの話も夕べまでは、どう話していいかわからないというか、直前まで頭が真っ白だと言っていたのに、皆さんを前にすると、まるで堂々と話していたので驚くばかりでしたが、やはり昔の母なら、きゃーあがっちゃったとか大きな声で言っていたのに、今はとても強くなったなと思いましたが、母はやはり本当は強くなってほしくなかったので、(笑)申し訳なかったなと思っています。母については、昔はとても可愛い可愛いと言われたそうなのに、最近は、恐い恐いと言われるようになったみたいで、(笑)本当に申し訳ないなと思っていますが、父だけは、あい・・・(柴田先生:お前これ(よく聞こえず)・・・笑)父だけは、あいかわらず可愛い可愛いと言っていますが。(爆笑 拍手)(まーくんもすごく笑っていました:かつこ)

・・・先生の通訳の恐ろしさは、言う前に言うことがわかるということです。やめたのは直感的に何を言うかわかったからでしょう。そのぐらい事前に何かが伝わるのは間違いがないけれど、先生の通訳は、そういうところは不思議なのですが、今まさしく僕が言おうとしたことが、先に伝わったので、先生が言っていいのかなと言いました。(笑)でも面白かったですが。先生のやり方のスピードは、なかなか難しいかもしれないですが、こんなふうにして僕たちも話すことができるので、ぜひ少しずつでも、僕たちのために、少しずつでいいから、なにかコミュニケーションの手助けになるような方法を、それぞれが見つけていただけたらうれしいです。(つづく)
<引用ここまで>・・・・・
まーくんのお話は明日へ続きます。

かつこ

 第1537号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                    2013年10月20日現在 参加者人数6321人
 「10/20昨日の宮ぷー」      
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昨日のまーくんのお話の続きからです。
<引用ここから>・・・・・
僕は筆談をやっていますが、べつに筆談とまでは行かなくても、僕たちに意識があるとわかってくれた瞬間から勘のいいヘルパーさんは、それぞれの聞き方で僕の気持ちを確かめるようになったので、それだけでもぜんぜん違いましたし、筆談は筆談でけっこう面倒くさいところがあるのは、途中までしか書かないと、全く正反対の意味になることがあるからです。今日も先生と食事に入る場面で、僕がカレーライスが食べたいと言ったら、先生はいったんカレーライスが食べたいそうですと言ったのですが、不思議なことに先生は、さっきのは終わってないよねと言って、もう一度駆け
寄ってくれて、カレーライスが食べたいけれど、いまはサンドイッチでいいということが(爆笑)言えたので、とてもよかったのですが、

筆談の前ではカレーライスが食べたいけれどの前で、止められてしまうと、カレーライスが食べたいになって、それはとてもその状況ではわがままな話になってしまうので、ただ僕がわがままになってしまったと思われることがあるのですが、そういうふうに筆談は筆談で面倒くさいところはありますが、これが勘のいいヘルパーさんなら、どっちがいいか聞いて、僕の顔を見て、それで終わりなので、いろいろなコミュニケーションの手段があるなと思っています。
先生でさえ、カレーライスになりかかったから、やっぱり言葉というのは難しいなと思いましたが、(笑)先生の恐ろしさは、なぜ僕が望んでいないかわかったのか不思議で仕方ないのですが、それはなぜだったのかいま説明できますか。

柴田先生:
ああいう質問のときこそは、危ないんで、何回も聞かなければいけないんです。通訳で何度も経験してるので。

まーくん:
わかりました。僕の話のなかというよりは、ああいう話のときはあぶないということがわかっているそうですが、僕にとっては、不思議だったのは、すぐに駆け寄ってきたからですが、きっとそれが言い終わっていない感じが残ったからだと思ったのですが、それは先生は無意識にわかると言っていたので、きっと無意識に伝わったのだなと思いましたが、きっと先生も直感的に、まだ終わっていないと思ったのでしょうね。

柴田先生:
それは直感的に、ちょっとこれは違うかなと思ったので。

まーくん:
そういうふうに確かめていかないと表面上は、まったく正反対になったりするのが、言葉の恐さですが、今日みたいなときは、自分ひとりでしゃべり続けられるので大丈夫ですが、いつもは会話になるので、途中で終わってしまうことも多く、反対になることがあったり、そんなこと僕が言うはずがないとところで止められてしまうと、とてもわがままな少年になってしまうので、そのへんは、まだまだこれから考えていかなくてはいけないなと思っています。

それはそれとして、やはり意識があると考えられてから大きく変わりましたので、筆談ができるできない以前に、僕たちにはきちっとした考えがあることを認めてほしいと思っています。そうしないといつまでも、とても孤独な牢獄のなかに閉じ込められているようなものなので、牢獄という言葉は、さっき山元先生が使ったから思いついた言葉ですが(講演会で私はマンデラさんのお話をさせていただいたからだと思います:かつこ)、僕たちは牢獄のなかに入れられているのは仕方ないとしても、その牢獄のなかにいる囚人は、じつはもう言葉を失っていると思われたら、本当に誰からも話しかけられなくなってしまうので、それが一番怖いことです。現実にそれを体験してきたので、あのときの怖さは言葉で言いようのないくらいの怖さでした。

どこが怖かったかというと、例えば、これは例えばの話ですが、誰かが突然倒れて、いますぐにでも心臓が必要ということになったら、誰かが僕のところに心臓を取りに来たときに、僕はもう意識がないからそれでいいということになってしまうだろうと思って、とても怖かったことを覚えています。僕には気持ちがあるといくら叫んでも、なんにも届かないというあの怖さは、なかなか経験したものにしかわからないかもしれませんが、べつに僕は、自分の心臓を取られても構わないぐらいの開き直りはじつはあったのですが、なぜなら、僕はもう生きていてもしょうがないという感覚に襲われていたので、最後に自分にできることがあったら、この心臓をひとつ誰かにあげることかぐらいは思っていたのですが、それを同意もなくやられてしまうというか、もう意識がない人間の心臓として取り出されるなら、それほど怖いことはないと思っていました。

自分が、僕はもうこれ以上生きていてもしょうがないから、この心臓あげますと言って死ぬなら本望だったけれど、それもなしに取り出されるとなると、これは大変だとかいうことを考えたりしていましたが、もちろん、あくまでそういうことがあったらという話であって、そんなことばかり考えていたわけではないですが、届かない言葉という言葉が、何度も何度も繰り返し駆け巡って、言葉が届かないという恐ろしさにいつも苛まれていましたが、この先生に突然会って、言葉があまりにも簡単にすらすら読み取られるというのは、逆に驚きを禁じ得なかったのは、なんでこんなやり方があるのに、僕たちのところにこれが届かなかったのかという思いでしたが、それは自分にではなくて、このやり方があれば、僕たちの仲間はいつでも話せるようになるのに、このやり方がまったく認められていないということになるので、本当に怖いことだと思いました。

すぐそこにちゃんとした命綱があるのに、この命綱を誰も掴ませてくれなくて、どんどん崖から人が転落していくようなイメージを思ったり(持ったり)もしました。僕はたまたま偶然その命綱に気づいてもらったので、がけから落ずにすんだけれど、そこに命綱があることすら教えてもらえなかった仲間は、そのまま崖からくだっていくのではないかという思いを今でも持っているので、僕がなぜみんなの前で話たいというかといったら、こういう方法があるのだということを、ひとりでも多くの人に伝えてもらわないと、あの恐怖のなかで生きている人がいると思うと怖くて仕方がないからです。

今、あえて恐怖にこだわったのは、恐怖以外は、案外大丈夫だったのも言わなくてはいけないかと思います。それは、介護される経験もまた、不思議な経験でした。なぜかというと、自分は人の介護をしたことがなかった人間だから、介護をする人の気持ちなど考えたこともなかったのに、僕は倒れて以来、家族は僕のためにかかりっきりだし、多くの仕事として関わっている人たちが、僕の周りにいて、みんな僕のために、駆けずり回るのをみて、人間とはなんと不思議な生き物なのだろうと思いました。

自分のことばかりしていた僕にとっては、人間というのは自分のことのために生きるのが人間だと思っていましたが、こんなにもたくさんの人が、僕のために動くということは、とても不思議な気持ちを僕に与えてくれました。僕にとっては介護されるに値しない人間になってしまったと思っていたのに、それでもあきらめない人がこんなにいるのかということが驚異でした。だから人はとても心がきれいな動物だということも、介護される経験のなかで得たことで、きっとこれは仲間たちもみんな感じているはずです。

だから皆さん、必ず感謝の気持ちをもって生きているのは間違いのないことで、僕も昔ならそんな感謝を持ちきれなかったのに、倒れて以来、ずっと感謝の気持ちが増えていくばかりなので、やはりこの経験にはとても意味があると思っています。だから僕たちはただ恐怖のなかで、打ちのめされていただけではなくて、恐怖の感情と隣り合わせに、感謝の気持ちをたくさん育てていたのも事実です。
だから、こうして話せる人の多くが、感謝の気持ちを語っているのは、僕はとてもわかるような気がします。感謝の気持ちがないと、この状態には、じつは耐えていけなかったのも事実です。僕はひとりで目を覚まして、言葉はとどかないという恐怖とともに、今日もまたみんなは、僕をあたたかく見守ってくれるというふたつの感情のなかで生きていたので、もし温かく見守ってくれなくなったら、ただの恐怖に押しつぶされていたに違いないと思うのですが、少なくとも僕は感謝の気持ちをたくさん持つことができたので、いつも気持ちは暗くはなかったです。

恐怖は大変なものでしたが、感謝の気持ちはまた大変なものだったので、生きていくぞという気持ちがとても湧いてきて、さっき心臓移植をしろと言われたら、こんな命は生きていてもしょうがないので、最後にできることが心臓移植だろうと言いましたが、そういう感情は早いうちになくなって、こんなにみんなが見守ってくれているなら、僕はきちんと生きなくてはいけないというふうに思うようになったので、早いうちから生きようという気持ちが、自分のなかには宿っていました。そういうところまで、考えている自分だったので、もし話すことができたら、そういうことを話したいと思っていたのですが、きっと僕のこの思いは、永遠に人に伝えることはできないだろうとあきらめていたのも事実です。でもこうして話せるようになったので、やはりそのことをきちんと伝えたいと思いました。

僕のうちには、ほんとうにたくさんの人が来てくれます。みんな自分の好きなことをしないのかと不思議な気持ちになるのですが、僕にとっては、倒れる前は、サッカー三昧の少年だったので、サッカーをしているときが一番充実していたから、ひとはやはり一番好きなことをやるのが大切だと思うのに、なぜか僕の家に来る人たちは、自分の好きなことをあまりしていないかのように見えるので、不思議だったのですが、最近だんだんわかってきたのは、僕に会わない時間はみんな好きなことをやっている(笑)ということがわかってきたからです。柴田先生がうちでギターを弾きだしたときにはとても驚いてしまいました。なぜなら突然うちで、僕が歌を作ってないかと言い出して、僕が作っていると言ったら、突然詩を聞き取って、そのあと詩だけしか伝わらないだろうと思っていたら、歌も聞き取るので、これから僕がドレミファソラシドというので、同じところが来たら合図を送ってくださいと言われたので、本当に伝わるのかと思って、伝えてみたら、ほとんどメロディはきちんと伝わったので驚いてしまいました。

僕も初めての経験だったので、ところどころ間違えてしまったのですが、あとでまた家に来てどこが違ってるか言ってくださいと言って、また訂正していって、このあいだはまだ歌として収まらなかったけれど、今度は収まりましたと言って、きちんと楽譜が届いた時には、驚いてしまいましたが、そのあとうちに来たら、今度は妹はとてもノリがいい子なので、先生がギターを弾くというのを聞きつけた瞬間に、部屋からギターを持って降りて、僕の家で突然ギターを弾き始めて、妹と楽しげに歌い始めた時には(笑)先生は好きなことを今やっているんだということが(爆笑)よくわかりました。

先生はもともと、うちに来る人たちのなかではちょっと変わっているのは、僕と付き合うのも好きなことをやっているという感じにしか見えないところですが、ほかの人たちは僕に対して、べつに嫌なことをやっているというわけではなくて、僕の痛みに対して共感しているという面がとてもよく伝わってくるのですが、柴田先生夫妻は、いたみに共感しているという感覚が全くなくて、付き合うのがたのしくて仕方がないという感覚で、話をしてくるので、とても面白くて仕方がないのですが、きっと先生は、僕たちと付き合うのも面白くて仕方ないし、ギターも面白くて仕方がないのだと思いましたから、先生は結局僕がサッカーをやっていたときと同じように、好きなことだけやっていた(笑)ということがよくわかりましたが、そういう人もいたりすると、逆に本当に痛みがわかってくれる人の心の凄さもわかるようになりました。

(その2に続く) 


 第1537号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                    2013年10月20日現在 参加者人数6321人
 「10/20昨日の宮ぷー」      
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(その1からの続きです)
べつに先生が、痛みがわからないという(笑)感じではないのですが、先生は好きなことをやっているという感覚が前面に出ているので、きっと苦痛みたいなことはあまり関係がないのだと思うのですが、痛みがわかってくれる人は、少しぐらい辛いことがあっても我慢するということが、ときどき顔に出るので、本当に申し訳ないなと思うのですが、それをものともせずにやってくださるので、本当にそういう人に会うと、人というのは、人のためになんでもできるんだなというふうに思っています。先生のことをべつに悪く言っているつもりはないけれど、先生はほとんど好きなことしかやっていないという(笑)ノリなので、僕はとても楽ですが、山元先生も若干そういうノリがあって、そのへんはもしかしたらそういう人の方が、どんどん前に進めるのかもしれませんね。

痛みに敏感な人は、僕の前に出ることは絶対にないので、前になかなか行けないですけれど、柴田先生や山元先生は、自分の好きなことと一致しているので、それを追求することが、すぐに生きがいになるので、前に行くというか、どんどん一緒に前に行ってしまう感じがしますが、先生も山元先生も、本当に楽しげに僕たちと会ってくださるので、そういう人がいると、とても気が楽なのは、やはり僕も人間なので、僕の前で、痛みに敏感な人が、少しでも辛い目をすると、僕はとても辛い思いがするのですが、少なくても柴田先生夫妻、山元先生に関しては、そういう感覚が全くわかないので、安心して適当なことを言って、遊んだ感じになれるので、とても面白いです。

今日もこんなふうに話をしていると、楽しくて楽しくて仕方がないのですが、(笑)本当は僕の話はとても深刻な話なので(笑)、先生みたいに笑いながら話せるものなのか(笑)〜、先生は本当に笑いながら、平気で僕のこの深刻な体験を(笑)すらすらと通訳しているので、おかしくて仕方ありません。本当に深刻なことを笑いながら話せる日が来るとは思いませんでした。
僕にとってはやはり、昔のあの調子者のくりが戻ってきたほうが、僕も僕らしく生きれるので、こういう昔の感じが戻ってきたのは、嬉しくて仕方ありませんでした。今日、新幹線のなかで、富山の中島さんの話が出てきたのですが、(以前北日本新聞にも紹介されていた中島さんです:かつこ)中島さんとこのあいだ、富山で会ったときに、うちでお酒を飲んで、先生がどんどんこのやり方で通訳したら、となりにいた高校時代の高校生が、目の前に中島が戻ってきたと言って号泣したと聞きましたが、その感覚が僕はとてもよくわかります。

仲間は昔の僕と会いたくて来ているのですが、なかなか昔の僕には会えなくて、とても困った顔をしているのですが、その高校時代の親友も、目の前にいるのが確かに昔の中島だけれど、話を聞いている限りでは、昔の中島はどこに行ったのかみたいになっているときに、先生がお酒に酔っ払ったこともあったのでしょうが、昔のざっくばらんな中島さんのままで通訳したら、目の前に昔の中島がいると言って、泣き出したというのは僕はとても心が打たれました。僕も早く仲間の前で先生に通訳してもらって、昔のあの調子で話をしてみたいなと思っています。昔の連中は、僕をみると、「くり!くり!」といって、大騒ぎをしていたので、そんな感じでまた話せる日が来たらなと思っています。

今日は、僕は、どんなふうに話すのか、よくわからなかったけれど、先生と新幹線で会ったとき、きっと講演の打ち合わせをするだろうと思っていたら、先生はぜんせんそんな話にならなくて(笑)、まったく今日の打ち合わせをしないまま、ここに来てしまいましたが、先生の呑気さには呆れてしまいますが、(笑)直前まで、なんだかよくわかっていない感じで、先生は僕に任せたっていう感じで、いまもいつ終わるのかが(笑)先生はもしかしたら、全部話してくれとでも思っているのかなと思うぐらいですが、こんなに好きなことをやっている人は珍しいなと思っています。僕も昔なら、このノリで生きていたので、こんなノリで今日は話ができてよかったです。
最後に恐ろしいことに、僕の歌を歌うということで、僕は少し悲しい歌を作ったのですが、最初にすいませんが、先生、朗読してくれませんか。

柴田先生:
歌詞を朗読します。

ぎらぎら光る太陽が
僕を笑って過ぎていく
ぶかぶかのズボンに詰め込んだ
僕の夢は消えないのに
小さい僕をぼろぼろの良い風が
笑ってすぎていく
みんなが僕を忘れないように
僕はつぶれた帽子に
息を吹きかけ旅に出る

まーくん:
とても暗い詞だと思いませんか。僕のなかでは本当に誰も僕を振り返らなくなった気持ちをなんとか言葉でとどめておきたくて、一生懸命作った詞ですが、歌にできるとは思わなかったけれど、やはり不思議なもので、一人でこの歌詞を繰り返し考えていると、やはり音楽にしたいという思いが湧いてきて、メロディがだんだんついてきたのですが、まさかその歌をこんなふうに人に伝えられるとは思いませんでした。

僕はスポーツばかりやってきた少年なので、べつに楽譜が読めるわけでもないし、歌も妹は大好きですが、僕は、歌は嫌いではなかったけれど、先生みたいに楽譜をすぐに書いたりするような感じではなかったので、本当に不思議でしょうがないのですが、今日は、僕の音楽療法の先生まで来てくださっていて、いっしょに歌ってくださるそうなのですが、先生は、僕は下手だからと言っていましたが、先生は、下手だと思っているはずがないと思います。(笑)なぜならうちに来て、平気で歌っているからです。自分で下手だと思っている人はあんなに歌わないので、(笑)先生は自分でもけっこううまいと思っているのではないでしょうか。(笑)

こんなふうに話していたら、これがまさか先生が自分で言っているとは誰も思わないと思うので、(笑)先生も通訳は大変だなと思うのは、これは、言わせたくないと言ったって、言わなくても、言ってしまいますが、これも平気で言える不思議な通訳のやり方だと思います。もしこの通訳がとても真面目な人だったら、こんなこと言えないですね。先生はこういう話は大好きなので、言ったほうがいいかと思って言いましたが、僕は、とても楽しく今日は、話をさせていただいてよかったです。

最後にもう一度繰り返しになりますが、どこかに必ず僕と同じような状態の人がいるので、ぜひさっきの比喩で言ったら、命綱はたくさん、本当はたくさん用意されているのに、その命綱があることさえ、みなさん知らないので、そこに命綱があるよと言ってあげてくれれば、みんなその命綱につかまって、新しい世界を開けると思うので、ぜひこういう状態にいる仲間の人をみたら、きっといつかあなたも話ができるようになるとか、あなたもよくわかっているということを分かっているとか言ってあげてほしいと思います。
そうすると、いつかその人も話せる日が来るのだと思うだけで希望がわくと思います。僕は先生に会うまで、ほとんど誰もこんなことはありえないと思っていたので、会うまで信じられなかったけれど、もし仮に先生に会えなくても、必ずしゃべれるとわかっていたら、あの日の、あの恐怖はもっと和らいでいたのではないかと思います。でも、今日はスムーズに自分の考えを話させていただいて、とても感謝しています。

きっとこういうやり方の不思議なところなので、もしかしたら、みなさんも先生にこうやって通訳してもらえれば、上手に(爆笑 拍手)話せるのではないでしょうか。それはなんだか難しいようなのですが、理由はよくわかっています。なぜなら、気楽に話しているように思えるかもしれませんが、先生の言葉にじっと、ずっと耳を傾けながら、少しでも違うところがあったら、違うと言わなければならないし、そもそも一生懸命伝えようと思わない限りは、先生には伝わらないので、先生の声に集中して、ものすごいエネルギーを使っているのですが、そのエネルギーは体を使うのと違うので、あまり体は使いませんが、じつは頭のなかはクタクタになっています。そのぐらい一生懸命やらなくてはいけないことなので、普通の人は自分でしゃべれるから、わざわざこんな面倒くさいことはしないのだなと思いますが、きっといつか自分でうまく言えなくなったときには、こういうやり方で話せるようになるのではないでしょうか。

そういう気がしているのは、じつは少しまた話が長くなってしまいますが、自分の地域で、こういう、みんなで集まって話をしているのですが、僕が一番驚いたのは、僕たちのようにしゃべれない人たちではなくて、ある程度しゃべれる子供たちが、うまくしゃべれなくて、先生の通訳でしゃべったときに、小学生が、ぼろぼろと涙を流しながら、長い話をして、その子は、私は今日から生まれ変わりますと言って、本当に次にあったときには、別人みたいになっていたので、話ができていても、うまく話せない人たちもいて、あの子は本当に先生の話を聞いてもらったというか、先生の通訳で自分の気持ちを語ってから、別人になったので、いろんな形で、話せないという状態はあるんだと実感しましたが、僕はこうして話せるようになったので、本当にかんしゃしていますので、ぜひみなさんも、話さなくてけっこうですので、必ずあなたには意識があるとか、あなたはきちんと考えているとかいうことを伝えていただけたら嬉しいと思います。
それでは僕も十分に話ができたので、これで話を終えたいと思いますが、それでは僕の作った歌を聞いてください。(笑 拍手)

柴田先生:
あとひとことある?

まーくん:
自分でうまいと思っている先生の声をぜひきいてあげてください。(笑 拍手)

(歌)(先生がギターを弾いてくださいました。私がたくらんで、先生にギターを演奏をしていただこうと持って行ったのでした:かつこ)

マーくん:
やっぱり先生は、自分で陶酔して歌っていましたね。(爆笑 拍手)
先生はやっぱり自分でうまいと思っているはずなので白状したほうがいいと思います。(爆笑)
先生はとても透明な声をしているので、望月先生(まーくんの音楽療法の先生です:かつこ)の声ととてもハモっていましたね。不思議な気がしました。男と女の声はもう少し違う声だと思ったのに、そっくりな声がふたつなっていたので面白かったですが、本当に今日は、僕のこの話にお付き合いをしていただいてありがとうございました。これでまた僕も新しい一歩を踏み出した気がするので、また色々な人と、いろいろな気持ちの交流をしながら、僕たちの仲間が必ずあちこちにいるはずだから、その仲間たちに声を届かせたいと思うので、これからもどうぞよろしくお願いします。それでは僕の話はここで終わりにさせていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)(続く)
<引用ここまで>・・・・・

講演はこれでおしまいですが、このあとれのあちゃんとのお話に進みます。それはまた明日にさせてくださいね。

かつこ

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http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html
(関連ページ)
宮ぷー レッツチャットで、今日もおはなし http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/
おはなしだいすき http://ohanashi-daisuki.com/
白雪姫プロジェクト http://shirayukihime-project.net/
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 以上が、私バニラが引用させていただいたまーくんの講演内容です。このあとも、まーくんとれのあちゃんの会話が続くのですが、さらに長くなるので、興味を持たれた方は、メルマガの登録をお勧めします。

 私は、白雪姫プロジェクトを知ったばかりで、映画も見ていないし、何が何だかわからなくて、このメルマガが来た時に、「ブログに紹介したいので、まーくんの生い立ちと、柴田先生がどういう風に通訳しているのか教えてください」と、メールしました。すると、山元加津子さんから、返信があったのです。以下、一部抜粋です。
「まーくんの発症の理由は、サッカーをしていて、その後具合が悪くなられたとのことでした。でも、はっきりとはわかっていません。ただ後天的だということです。
そして、コミュニケーションの方法は、白雪姫プロジェクトにも載っていますが、指談の方法と、もうひとつは柴田先生がつかわれる方法で、これは、私にも上手に説明できない不思議さがあります。
あかさたなと口の中で言っておられたりもしますが、だんだん高速になると手をおくだけだからです。
上手に答えられなくてごめんなさい。ただひとつ言えることは本当のことだということです。
でも、指談の方法はみんな練習できます。だからみんなでしていければなあと思っています。」
とのことです。

 私は、リュウが入院して、私のように毎日のように病院に行かれるご家族の方を知りました。ご家族の方は、配偶者の方、お子さんの方、そして親御さんでもありました。それから、昨年患者家族の会に入ったり、ブログを書き始めたりして、戸惑いながらも献身的に介護されている人たちの存在を知りました。今回のメルマガのまーくんの講演内容は、私にとって驚きでした。いや、メルマガは毎回びっくりした内容ばかりです。ブログを読んでくださっているみなさんにもお伝えしたいと思い、紹介させていただきました。
 今回の内容は、柴田先生の不思議な(?)方法ですが、白雪姫プロジェクトでは、ご本人に合わせて、意思伝達の方法が様々です。宮田さんは、レッツチャットという器械です。筆談、指談を利用される方もいます。まばたきで意思を表明する人もいます。言語習得以前と思われるお子さんは、絵カードという方法があるそうです。

 でも、自分の人生を決めるのは自分で、自分でなければ家族です。
 患者家族の会でよく出てくる言葉は、金子みすずさんの

「みんなちがって、みんないい」

です。それはまた、素敵なことなんです。


 今後もサッカー少年まーくんの更なる充実した人生を望みます。
 通訳していました柴田保之先生(国学院大学人間開発学部初等教育学科教授)の紹介をします。

◆柴田保之先生の著書
「みんな言葉を持っていた―障害の重い人たちの心の世界 」柴田 保之 オクムラ書店 (単行本 - 2012/2) ¥ 2,520
◆柴田保之先生のホームページ http://www2.kokugakuin.ac.jp/~yshibata/

◆柴田保之先生のブログ「関わり合いの場から」http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/

 私のメールに返信してくれましたかっこちゃんこと山元加津子さん、文字起こしをしてくれました仙台のしげちゃん、メルマガを配信してくださっている星野ひとつさんにも感謝します。
 


 

今日のパン - 2013.10.22 Tue


↑クロワッサン。
ここのところのディスペースでの食事メンバーは、私たち以外に、美女四人です。


↑リュウ、毎日パンありがとう~!



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今日のパン - 2013.10.17 Thu

 日曜日病院に行くとリュウがベッドで寝ていて、枕元に私の連絡ノートが開いた状態でありました。
 ちょっとびっくりして看護師さんに聞くと、最近テレビ台が入れ替えになり、新しいテレビ台は、私が置く連絡ノートがリュウの視界に入る位置にあり、食事やトイレに行った後、手に取るようになった、とのこと。
 連絡ノートは、S病院時代から私が用意しもう何冊目にもなります。
 リュウの状態のいいも悪いもすべて書いているので、何か気になる記述でもなかったかと気になり、リュウに確かめてみることにしました。

「連絡ノート見るようになったの?」
と私。
「ウン・・・、でも、ナニが書いてあるのか、ワカラナイ・・・」
と苦笑いするリュウ。

 漢字クイズの字は読めるので、私の字が汚くて読めないんだ、とわかり、私も苦笑しました。

 でも、読める箇所があり、気になるところがあったら、きちんと説明します。


↑ちなみに今日の連絡ノート。これはわりときれいな方。



↑リュウ、パンありがとう。
 上みっつが、クロワッ3。一番下の10月14日のパンは、バターロール。

※「今日のパン」の投稿に関しては、下書きがその日、公開が翌日になる場合があります。



_

ワタルと街なか散策。 - 2013.10.13 Sun

 ワタルが最近、「時計台に行きたい」と何回も言うので、「天気もいいし行こうか!」と私が言い、9月29日の日曜日に、地下鉄で出かけました。

 ワタルは、大好きなものがたくさんあります。その中に「時計」「建物」もあり、その二つが合体した札幌時計台は、ワタルの気になるものの一つ。ワタルと時計台の中に入るのは、今日が初めてではないのですが、久しぶり~。
 時計台は札幌中心部にあり、その辺にお出かけの時は、丸井今井デパートのファミリーレストランでお昼ご飯を食べます。
 私にとっても楽しいひととき。


↑ファミリーレストランに着き、ワタルが頼んだものは、味噌ラーメンの大盛り。
 わたるの好きな食べ方は「手づかみ」。
 なのですが、私や先生方の声がけで、箸が使えるようになりました。
 でもあまり上手ではなく、食べるのに時間がかかります。
 私は、その時間差を利用して、食後のデザートをいただきました。
 ワタルはデザートはいつも頼みません。


↑デパート「丸井さん」のファミリーレストランは10階にあり、窓側の席からは、眼下に大通公園、目の前にさっぽろテレビ塔が見えます。
 私がふと、ワタル!テレビ塔も行こうか!と提案すると、行く!とワタルも即答。展望台に上がることにしました。


↑丸井さんからテレビ塔に向かって大通公園を歩いていると、放射線量を測る器械が設置されていました。


↑地上約90メートルのさっぽろテレビ塔展望台から外を眺めるワタル。
「大通り公園って、長いねぇ~!」
と感想を言っていました。びみょうに腰が引けてるので、どんっと押すと、
「もう~やめてってばっ!」
と怒られました。
 ワタルは高所恐怖症ではないですが、ここまで高いと、怖いみたいです。


↑右側の茶色いビルが札幌市役所。
 その奥の黒く見える窓がたくさんあって、白い建物が、北海道新聞本社。
 時計台に行った後、思いがけず、この北海道新聞本社に寄ることに。


↑今日の目的地、札幌時計台に着き、中に入りました(撮影許可済)。
 私は最初、時計台の中は、巨大な歯車だらけで、人間が入るスペースがあるのかなと思っていたのですが、一階は展示場、二階が写真の様にホールになっていて、拍子抜けした記憶があります。けっこう、私のように思っている人がいるみたいです。
 ステージがあり、「演武場」と書かれた額が(この建物はもともと旧札幌農学校演武場)。


↑この写真の中央部の四角いスペースに時計を動かす装置が入っています。

 時計台でワタルは、自分が行きたいところに行き、見たいものを見て、ウロウロしていました。
 本当は入ってはいけないところも全部入り、自分の目で建物全部を見たいのですが、そういうわけにもいきません。
 二階の「管理室」と書かれたドアをどうしてもどうしても開けたくて、私に何回も聞きましたが、私の答えは「ノー」です。そのうち、係の人が来て、その人も「ノー」だったので、ワタルは我慢しようと努力していました。
 でもやっぱり、ドアの前をウロウロ。
 誰も見ていない隙に、開けるかな?と思って見ていると、開けませんでした。
 私は心の中で、偉いね~とほめました。
 このとき、ワタルのことを後からでもほめてあげたらよかったと後悔しました。

 帰路のことです。
 時計台も見、信号を渡って地下鉄駅に向かって歩いていると、前を歩いている人の何人かが目の前のドアに吸い込まれていきます。あれ?ここは何だろう?と思って見てみると、「道新ぎゃらりー」となっていて、北海道新聞本社の一階が日曜日でも開いていたのです。
 何となく、前の人に続いて私たちも入ってみると、写真や絵画が展示してあり、奥の部屋には過去の新聞が閲覧できるようになっていました。けっこうの人がいて、へぇ~!と思いました。
 円いテーブルとイスがあり、自動販売機もあったので、喉が渇いたからジュースを飲んでひと休みしてから帰ろうと私が言い、ちょっとの時間、休みました。
 ジュースを飲んでいると、向こうから、警備員の人がコツコツコツと歩いてきました。私は気にも留めてませんでした。

 コツコツコツ、コツコツコツ・・・。
 コツコツコツ、コツコツコツ・・・。

 警備の人が真っすぐこちらに向かって歩いてきて、私たちに最接近したその時のことです。 

(あれっ!ワタルが、逃・げ・たぁ~!)

 ワタルが逃げました・・・。

 あとで聞いたら、捕まえられると思ったそうです。



_

今日のパン - 2013.10.12 Sat

 私は会社の慰安旅行で、11日(金)、12日(土)と登別温泉に一泊してきました。
 帰り、バスが札幌駅に到着したので、大丸札幌店で、チラシで見て欲しかったキティちゃんのケーキを買ってきて、リュウに。

↑顔は白いムース。リボンはピンクのチョコレート。


↑からだは、堂島ロールだそうです。堂島ロールで有名なモンシェールの姉妹ブランド、ベビーモンシェールがサンリオとコラボレーションして作った期間限定のキティちゃんのケーキ(←説明が長い)。
 リュウもかたちがキティちゃんだとわかり、美味しい美味しいと言って食べました。


↑高速道路の登別の出入り口にある巨大赤鬼像。今日の10時過ぎ撮影。今日はお天気。


↑会社の人と、さっぽろテレビ塔から観光バスに乗り、そこから出発し、中山峠→洞爺湖→有珠山→オロフレ峠→登別温泉へ。昨日はあいにくのお天気で、予定していた有珠山ロープウェーが中止になってしまいました。
 写真は登別の地獄谷。久しぶりに来ました。硫黄のにおいがすごいです。地球が活動していることを再確認しました。
 私は、美味しいビールと食事と気持ちがいい温泉に入り、リフレッシュでき、嬉しかったです。
 リュウにも写してきた写真を見てもらいました。


↑こちらは、ワタルの作品。今週学校の職場見学で、イシヤチョコレートファクトリーに行き、作ってきたクッキー。
 お父さんにあげてもいいの?と聞くと、ダメというので、見るだけのために持ってきました。
 でも、ちょこっと食べました。


↑上が今日のパンのクロワッサンと昨日のパンの食パン。
 下が一昨日のパンのバターロール。

 リュウにも言っていたし、ノートにも旅行に行くと書いていたのですが、毎日パンを残しておいてくれました。
 ありがとう、リュウ。

 それから、入退院を繰り返すIさんの奥さまにも、余計な心配をかけてはと思い、その日の夜私がいないと言いいました。
 帰ってから奥さまに行ってきたと言い、今回の旅行のお話しすると、パパの前はおじいちゃんおばあちゃんの介護で、もう何年も温泉には行っていないと言っていて、考えさせられました。



_

今日のパン - 2013.10.09 Wed

 10月10日は、目の日。
 明日が何の日か、夕食の後のカレンダー交換でリュウに尋ねると、

「タイイクの日。オリンピック・・・」

と言うので、

「それもあるかもしれないけど、これ!見て!目の日だよ!」

と言って、10月10日の「10」の二枚のカードを私が横にしました。

「このままイタズラして、明日一日このままにしておこうか」

と私が言うと、しばらく考えて、

「シンケンに見テル人もイルからやめよう・・・」

と言いました。

「わかった、じゃあ、元に戻すね。二人だけの楽しみにしようね」

と言うと、リュウはコクンとうなづきました。

 リュウは真面目に使命感いっぱいでカレンダー係がんばっています。


↑口も写真におさめたくて、水色の紙を置きました。


↑上が今日のパンのクロワッサン。下が昨日のパンのバターロール。



_

今日のパン - 2013.10.07 Mon


クロワッサン。
昨日、一昨日もクロワッサン。
これで本当に、クロワッ3。




_

今日のパン - 2013.10.04 Fri


クロワッサン。

↑上が昨日のパンのバターロール。下が一昨日のパンのクロワッサン。



クマのプーさん #リュウ75 - 2013.10.01 Tue

 昨日、今日と夕食時、リュウの反応も動きも今ひとつでした。
 スプーンを持ったまま動かないので、助ける?と聞くと、

「デキルトコロマデヤル・・・」

とかすかな声で言いました。
 今日はあきらめないんだ、その気持ちがすごいと思ったのですが、やっぱり動かないようです。見かねて、手伝うからねと言って、私がスプーンを持ちました。

「あ、今日はお味噌汁じゃなくて、お吸い物で、麩が浮かんでるわ!」

と私。続けて、

「麩が三つで?」

とリュウに聞きました。私の答えは、ただ単に「フ、フ、フ」です。するとリュウが、急に笑顔になりながら、

「プーサン」

と言いました。

「え?プーサン?あのクマのプーさん?」

 私が意外な答えにちょっと驚いて聞き返すと、コクンとうなずきました。

「へ~!自分でもうまいこと言ったと思ってるしょ!」

と私も笑いながら言いました。
 そのリュウの笑顔がとってもうれしかったです。 
 
 食事の後は、二巡目の漢字クイズをしました。
 その後は、カレンダーの交換です。カードを抜くのは、速くなってきました。入れるのも何とかできました。


↑明日の日付。病院のディスペースのカレンダー。リュウのために、S看護師さんが作ってくれました。

↑今日のパンのクロワッサン。

↑昨日のパンのバターロール。



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プロフィール

vanilla

Author:vanilla
「やさしいまなざし」は「Vanilla Web Site」の日記の部分です。

登場人物(平成28年11月現在)
 
佐藤リュウ(59歳)←夫
佐藤バニラ(永遠の20歳)←私
佐藤イブキ(社会人)←長男
佐藤ワタル(福祉施設通所)←次男

 夫佐藤リュウは、平成17年頃(48歳)より、物が二重に見える、手に力が入らない、全身が重苦しく感じる症状があり、会社勤務ができなくなりました。
 若年性のパーキンソン病の疑いとのことで、平成18年(49歳)より神経内科に通院し、平成19年にはパーキンソン病関連疾患と診断名が付きました。
 その後、平成22年 (52歳)、診断名が若年性の「進行性核上性麻痺」に変わりました。
 ずっと自宅より通院していましたが、平成24年4月に自宅外で転倒骨折し、手術入院となってしまいました。入院時、誤嚥性と思われる肺炎も併発していて、現在も入院中です。平成26年11月19日に胃瘻造設しました。
 夫が仕事ができなくなった平成17年時、上の子が小学校6年生、下の子が小学校2年生(多動と自閉で特別支援学級在籍)でした。
 私は、平成19年より、平日フルタイムで仕事しています。たくさんの方のお力をお借りし、生活しています。
 北海道在住です。

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