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2015-08

「今日の母を明日からの励みに」 - 2015.08.26 Wed

 夕食を終え、院内散歩に行き、ベッドに横になると、隣の病室から女の人の嬉しそうな悲鳴が聞こえてきました。その悲鳴はずっと続いています。

 どうしたんだろう???

 私は気になりました。廊下に出て、でもやっぱりと、戻ろうとした時、声の主が廊下に出てきて、私の方向に向かってきたので思い切って声をかけました。

「今日調子いいんですか?」
「そうなんです!母が。昼食もたくさん食べて、夕食もたくさん食べたの!ここのところいつもは二口くらいなのですが。最後のゼリーもスプーンを持って、自分で食べたんですよ!今日は、言うこともはっきりしていて。目もパッチリで!」
「そうなんですね!よかったですね!何か治療したんですか?」
「いえ、特に何もしてないの」
「そうですか。特にしてなくても、今日はとてもいいんですね!」
「波があるから。でもね自分でスプーンで口に運ぶなんて、二ヶ月ぶりくらいかな・・・。もう嬉しくて。あまりにも嬉しくて怖いくらい。明日の母の状態が怖い。でも、明日の母の状態が悪くても、今日の母の姿を見れたから、気持ちが違うと思う。今日の母を励みにできる」
「わかります・・・。そのお気持ち。本当に。ずっとずっといい調子が続けばいいですね」

 そう言って別れました。あぁ同じだ。今日は調子がいいな!と思い、リュウの動画を撮った時の私の気持ちと一緒です。今のリュウはこういう能力も秘めているんだ。調子が悪い時にも、あの調子のいい時のリュウもあったと励みにできる。

 家族が調子悪いと自分も悲しい。
 家族が調子いいと自分も嬉しい。

 みなさん同じだ。



↑7月21日撮影の紫陽花。




現場実習先のお祭りに三人で行く。 - 2015.08.23 Sun

 ワタルは先週から卒業後に向けて、福祉施設で現場実習をさせていただいています。
 8月22日はその福祉施設のお祭りがあるとのこと。
 リュウの病院祭は午後から、ワタルの現場実習先のお祭りは10時からということで、私は両方行きました。体が足りないです。
 イブキ、ワタルと駐車場で会場までの送迎車乗り場まで歩いていると、養護学校高等部のT先生が乗り場で送迎車を待っていました。

「あれ!ワタルくん!」
「T先生!」

 一緒に乗った送迎車でお話しましたが、私たちもですが先生も初めて来たようでした。そして降りてから目に入ったお祭りの規模が大きくて先生と私、びっくりしました。
 先生はすぐに卒業生と思われる方々を見つけては、声をかけていました。T先生のお話では、他にも先生が来るそう。ワタルの質問にそう答えていました。先生方は卒業生を気にしてくれ、何かあるごとに都合がつくときは足を運んでは、様子を見てくれています。有難いです。

 市民の方もたくさん来ているようです。また車いすの方もたくさん。ドンドンとテーブルを叩いて一緒に来ている人に注意されていたり、ウーウーと声を出していて、発達に障がいがあると思われる方もたくさん。特に何かトラブルはありません。このような光景が街でも普通になったらいいなぁと思いました。

 先週このお祭りで、現場実習先でワタルも作業をしている椎茸栽培の椎茸が売られていることを聞きました。このお祭りでほとんどの椎茸がなくなるそう。栽培された椎茸がどのように販売され、買われていくのか、また売っている方々(利用者さん)の姿もイブキ、ワタルと見たいなぁと思いました。
 しいたけ売り場に行くと、「ワタルくん」と利用者さんから声を掛けられました。職員の方もいて、挨拶をしました。そして椎茸も買いました。

 ワタルは現場実習先では緊張をしているようで、おしゃべりなのにほとんど話さないよう。朝や帰りの送迎の馴染みのヘルパーさんの前では、ベラベラと話しているみたいです。

 緊張しますよね、知らない人や環境。ワタルあと一週間頑張ろうね。


↑豚串を食べました。


↑車いすの人もたくさんいました。


↑多分、車いすの方のために敷かれたもの。


↑移動販売車もたくさん来ていました。5台以上?


↑ステージでのバンド演奏。このステージ近くで見ると、パレットが何枚も何枚も積まれていました。


↑利用者さんが作った手芸品。陶芸品。この隣の売り場では手作りパンがありました。


↑こちらはクッションです。素敵なバッグもありましたが、ワタルと一緒だとじっくり見られません。


↑これが買ってきた椎茸です。まだ食べていませんが美味しそう。

追記:椎茸とバターのアルミホイル焼きにしました。美味しかったです。





病院祭開催される。 - 2015.08.23 Sun

 今日(8/22)はリュウと私が楽しみにしている病院祭。玄関に屋台などが出、一階のロビーではコンサートが開かれます。今年は幼稚園の子どもたちの歌声とマジックショーが新たに加わっていました。

 今日のリュウの様子はどうかな???
 やや前傾姿勢で、反応はあまりよくはなく、歩くのも今ひとつです。
 昼食後お祭り会場の一階に支えて歩いて行きましたが、途中から車イスに乗りました。
 今日はいいお天気。外でかき氷を食べていると、女の人に話しかけられました。

「同じ病室のTの家族の者です。最初、リュウさんが胃ろうで寝たきりだと思っていたのですが、奥さんと一緒に歩いたり、食事を摂っているのでびっくりしました」
「はい。寝たきりだと思われていて、歩いたらびっくりされる時があります。朝食と昼食は栄養ですが、私が介助する夕食は口から食事を摂っています」
「父なんですが、もうすぐ胃ろうの手術をするので。リュウさんは胃ろうの手術後も食べられるってびっくりして」
「はい。うちに外泊の時は、ビール飲んで、3食とも好きなもの食べてました・・・主治医の許可をいただいて」
「そうなんですね、だから、リュウさんが目標なんです」
「そうですか~。目標・・・。今はTさんは口から食べていないようですけど、様子をみて相談してゼリーとかは?とにかくお医者さんとよくお話ししてみることだと思います」
「はい。相談しています~」

 あぁよかった。

 最近入院してきたTさんは、鼻からの栄養です。何回も家族親戚と思われる方々がTさんを囲み、何かこう、ちょっと重たい空気をかもし出しているような場面を何回も見かけました。でも、今日その娘さんと思われる方にお祭りの場で話しかけられて、娘さんが何かこう、ご本人も含めみなさんで色々考え、納得して方向を探しているのかと思いました。
 車イスに乗ったTさんを見ているとしっかりとお祭りの様子を見ています。目が生き生きとしているよう。娘さんの他の家族親戚の方もお祭りの雰囲気に、またTさんの様子に、いつもより明るい感じです。
 その後のマジックショー、コンサートも皆さんにまじって見ていました。
 胃ろうの選択も、みんな違っていい、そういう風に思います。

 リュウはというと、目で見て楽しむマジックショーはちょっと厳しかったです。今日の調子では対象物を見ることができませんし、理解も難しいです。でも今までの経験からマジックショーの雰囲気は少しは味わっていたと思います。私はというと目の前で見る手品が楽しかったです。こんなに近くでマジックは見たことがありません。
 その後のコンサートでは少し反応があり、一曲終わる毎の拍手に合わせて、手が少し動いていました。最後は拍手しようと一番大きく手が動いていました。
「楽しかった?」
と聞くと、
「マアマアダ」
との反応がありました。

 M病院で四回目の院内コンサート。
 今年もありがとうございました。


↑開会の挨拶をする院長先生。うたを歌ってくれた幼稚園の子どもたちの姿が。この日、リュウの主治医のT先生もチラッと見かけたような。


↑屋台の様子。


↑フリーマーケット。私たちは病院祭は4回目ですが、必ずお手伝いでS看護師さんの姿があります。この日もこの場所で売り子さんをしていました。


↑浴衣が新品で200円!


↑かき氷もありました。


↑「リュウ、かき氷だよ」


↑昼間は北大で研究、プライベートではボランティアなどでマジックを披露しているというスウェーデン人のヨーナスさん。浴衣姿。楽しかったです。※写真掲載許可済み。


↑音楽グループ「あみゅぜ。」さん。一番最後の東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」が印象的でした。




きんさん、さよなら。 - 2015.08.23 Sun

 今月に入って間もないその日私が病院に行くと、きんさんの家族親戚の方がたくさんいらっしゃいました。私が病院に行った時間の少し前にきんさんが亡くなったそう。

 きんさんは、リュウよりも先に入院していて、ディスペースで食事をしていました。そのうち姿勢の保持が難しくなり、ベッド上で摂るようになりました。ずっと二人の娘さんが毎日のように食事の介助に来ていました。最近、食べられなくなってきていたようでした。

 七夕の短冊のお願いに「大金持ちになる」と書いたきんさん。
 食事の介助で、特定の男性の介護福祉士さんだとよく笑顔を見せていたきんさん。
 私が車いすに乗っているきんさんの前をすり抜けて通ると、「あんた、ジーパン似合うねぇ」とほめてくれたきんさん。
 うちへの外泊では「たらこを食べるのが楽しみ」と言っていたきんさん。
 食事が隣同士でぎんさんと仲良くなり、ぎんさんが病院からいなくなる時に「さみしい」と涙を流していたきんさん(『届いたひよこのお菓子と、さよならぎんさん-2012.12.04Thu』)。

 私は毎日のように食事の介助に来ていた二人の娘さんと、顔を合わせる度に挨拶をしていました。

 亡くなったその日、二人の娘さんがそれぞれ、ディスペースで食事を摂っている私たちに声をかけてくれました。入院している患者の元に毎日通う家族として、私と同じ立場のお二人です。何とも言えない気持ちがわき起こり、涙が出てきました。
 きんさんが亡くなったと同時に、きんさんの家族親戚の方ともお別れの時が来ました。

 たくさんの思い出をありがとうございました。
 きんさんの笑顔を忘れませんん。
 きんさんのご冥福をお祈りします。

 きんさん、きんさんから教えてもらったお孫さんがやっているラーメン屋さん、教えてもらってすぐ、イブキとワタルと三人で一度行ったけど、また今度行きますね。その時餃子サービスしてくれたんだよ。



↑後日ベッドサイドに置いてありました。娘さんより。


病室でNさんと二人だけのコンサートの思い出。 - 2015.08.23 Sun

 リュウがM病院で一昨年ノロウィルスにかかった時のことです。
 その日病室に行くとノートにこんなことが書かれていました。

「Nさんがリュウさんに断りハーモニカを吹いたら、それに合わせてリュウさんが歌っていました」

 この二人だけのコンサートは偶然の産物です。
 ノロウィルスにかかった患者がいる病室はドアを閉める。その時病室に人が少なく、Nさんとリュウしかいなかった。そこで、Nさんはハーモニカを吹いても大丈夫かとリュウに断り、吹いたのです。

 Nさんは窓側のベッド。リュウは対角線上の廊下側のベッド。

 曲は「故郷」だったよう。

 その時リュウは大声で歌っていたんじゃないだろうか。Nさんのハーモニカの伴奏で。どんな気持ちだったかな。Nさんは歌うと思わなかっただろうリュウが歌ったから嬉しかったかな。リュウも久しぶりに歌えて嬉しかったんじゃ。

 その年、こんなこともありました。

ー ー ー ー ー

『中秋の名月 #リュウ73』 - 2013.09.19 Thu

 今日、病院に行くと「十五夜」のイラストのカードが、リュウのテレビ台に貼ってありました。
 季節を感じさせてくれる病院のこうしたお心遣いはうれしくて、ありがたくて、私はそのカードをはがし、ディスペースのふたりの目に入るテーブルの上に持って行き、ふたりでそれを見ながら、リュウが夕食を、私はリュウが残してくれたパンを食べました。
 夕食を食べ終わり、病室に戻ると、窓ぎわの患者さんのNさんと看護師さんの会話が聞こえてきました。

「あ、見える!満月のお月様。Nさん、教えてくれてありがと!」と看護師さん。
 その言葉を聞き、「お月様、見えるんですか?」と私。
「見えますよ!」とNさんが言い、続けて、「みなさんにも見せて上げてください」と看護師さんに言いました。
 その言葉で、「リュウ、見せてもらおう」と言って、ふたりで窓ぎわへ。

 電気を消して、Nさん、当直の看護師さん、リュウと私で、雲のあいだから見えている満月を見ました。
 私は、この瞬間をこのメンバーで共有し、見ていることが、何ものにもかえがたい貴重なものであるような気がして、月のかたちの満月のように気持ちもまん丸くなりました。

 でも、Nさんの向かいの窓ぎわの患者さんは、そのお月様が見えないようで、ベッドをずらそうか、と看護師さんが言うと、そこまではいい、と患者さん。看護師さんが鏡を取り出し、お月様を写して見えるようにと努力したのですが、見えない、とのこと。そこで私は、さっき携帯電話で写した写真をお見せしました。
 少しでもお役に立てたでしょうか。

 今夜はお月様、ありがとう。

 ー ー ー ー ー

 リュウよりずっと前からM病院に入院していた同室のNさんは今年になってから、今ひとつ調子が悪そうでした。だんだん食べられなくなり、私たちともやりとりがあったのですが、夏の初めにお亡くなりになりました。私はショックを受けています。リュウがこの病院に入院してから、Nさんとご縁ができ、嬉しかったです。

 在宅時はご自身も車いすで、その上車いすの親御さんを介護していたNさん。
 書道の先生だったNさん。
 いろいろありがとうございました。
 安らかにお眠りください。



↑2013年9月19日撮影。みんなで病室から見た満月。




江口優子さんの「幸せな人生」。 - 2015.08.21 Fri



8月19日付け北海道新聞朝刊第三社会面「朝の食卓」です。
写真をクリックすると大きくなります。

 今までの記事は、カテゴリ「つながり」に入っています。

新聞読むなら、北海道新聞。  新聞読むなら、北海道新聞。




進行性核上性麻痺(PSP-P)9年目、リュウのいい日の動画。 - 2015.08.18 Tue

 リュウの動画は二回目です。一回目は昨年の10月の歩行の様子をアップしました
 今日は何だかリュウの調子が良くて、動画を撮りました。


↑体の傾きもないし(ここのところは右と前が多いです)、今日は自立歩行できそう〜!と思い、ちょっとだけ自立歩行をしてもらいました。でもソファーが出てきてリュウがそこに座ろうとして、写すのをやめました。自立歩行は今年になってからないんじゃ???いつもは私が手を引いたり、脇を支えています。歩いているところ(自立歩行)は他にも何本か写しました。


↑スプーンを口に運ぶことが困難で、ここのところほぼ私が手伝っていますが、今日はスプーン運びも自ら頑張っています。ところが、すくえても、口に入れることができません。私は今までずっと見ているのでわかるのですが、すくえても口の中に入れれても、くちびる等でスプーンをこすらないと、そのまま出てくるのです。プリン等を手ですくう動作と、口の中で食べ物をスプーンから移動する動作は、また違う動作で、それぞれが難しいです。


↑スプーンの高さがあまりないもの(平べったいもの)と交換してみると、口の中に入れれました。やった。S病院で作業療法士さんに教えて貰ったスプーンです。

 実は今日この日は週に一回のグルタチオン点滴(3000mg)の前日なんです。今までも点滴の前日、前々日がいい日があって、T先生と、???。

 いずれにしても、嬉しかったなぁ〜。

 ずっと頑張ってくれていてありがとう、リュウ。

 T先生をはじめ支えてくださっているみなさんにも感謝します。




ワタル、私と一人で地下鉄を乗る練習をする。 - 2015.08.14 Fri

 ワタルは夏休み中。私もお盆休み中。
 ワタルは今日、私と一人で乗る地下鉄の練習に出かけました。携帯電話を身に付けてもらいました。
 とりあえず、札幌市営交通東西線だけ。
 ワタルに聞くと、今回は「宮の沢駅」と「豊平川を見れる駅」とのこと。まずは、東西線終点の「宮の沢駅」へ。宮の沢駅に隣接している「ちえりあ」に行きたいとのこと。「ちえりあ」(札幌市生涯活動センター)の建物が好きで、ヘルパーさんにお願いしてやはり地下鉄で、一緒に見に行ったりもしています。


↑一人で乗る練習なので、私と離れて座りました。終点の宮の沢駅付近です。お客さんはあまりいません。写真に写っているのがワタル。横を向いていますが、知らない人に話しかけてはいません。


↑地下鉄駅を降りると、どんどん「ちえりあ」の方へ。ヘルパーさんとも来ているので、迷いません。


↑「ちえりあ」内です。ここには「幼児教育センター」があり、ワタルは幼稚園入る前から知っている建物です。ワタルは「ちえりあ」の建物が好きです。季節柄、お祭りの提灯がありますね。

「建物を出ていい?」
 ワタルにふいに聞かれました。
「いいよ!」
と私。


↑次に向かったのが、石屋製菓の「白い恋人パーク」。喜ぶワタル。ここは「ちえりあ」から徒歩ですぐで、「親の会の関係」でやはり幼児の時から来ています。また学校の校外学習でも来ています。


↑「白い恋人パーク」は無料ゾーンと有料ゾーンがあります。今日は一人でもまた来れるように「無料」で経験してみようか!


↑ところが・・・、「白い恋人鉄道に乗りたい!」のワタルの一声で、私がお金を払い「無料」の計画があっという間に崩れました・・・。写真は「ミニSL弁慶号」です。「弁慶号」と同じようなのが小樽の総合博物館にあります(「しづか号」)。北海道初の鉄道で走ったアメリカから輸入されたSLの型だそう。


↑初めて乗りましたが、トンネルとか入り、私はちょっぴりディズニーランド気分に。


↑降りてから、「ソフトクリーム食べたい!」のワタルの一声で、またまた「無料」の計画が崩れ、私がお金を出して買いました・・・。SLもそうでしたが、券売機で券を買うシステムは難しいです。


↑「宮の沢駅」から「バスセンター前駅」で降り、豊平川河川敷へ。
 途中、自動販売機でジュースを買う練習をしました。自動販売機のジュースも小学校の時からヘルパーさんとも練習しているのですが、お金はなかなか難しいです。とりあえずお金を販売機に入れ、購入可能のランプが点いたら購入し、おつりのレバーを倒して、おつりを財布に入れる感じでしょうか。

 ワタルは福祉割引のサピカ(ICカード)で乗りました。私は気が付かなくて結局最後まで普通の料金(自分のサピカ)で乗ってしまったのですが(正確には途中で気が付いたのですが)、介護人用の福祉割引サピカ(特定介護人用、不特定介護人用)があるんですね。今度窓口で聞いてみます。ヘルパーさんには券売機で買ってもらっていました。

「楽しかった!」とワタル。

 また機会をみて、練習しようか。



お墓参りに行きました。 - 2015.08.14 Fri

 ちょっと早かったのですが、8月2日の日曜日に病院に外出届けを出しお墓参りに行ってきました。私たちは四人で参加。
 リュウは毎年お墓参りで親戚の人に会うのを楽しみにしています。親戚の方も日にちが合えばその日にし、お墓参りの後は食事に行きます。
 今年は、ちょっと誤算(←嬉しい誤算です)がありました。リュウの認識している「親戚」から「新メンバーが親戚」になっていて、私は説明したのですが、リュウは理解できたのかどうか・・・。
 甥っ子のパートナーは結婚後、数年前から参加してくれているのですが、わかっている?そして、赤ちゃんが生まれ、その子が大きくなっていっていて、見てわかってる?昨年は顔は合わせていません。
 それから、姪っ子のパートナーが結婚して今回初顔合わせでした。
 みなさん、お幸せに〜。


↑お墓参りの後、食事へ。バイキング形式で、食べられそうなものを私が持ってきて、私の手助けで食べました。


↑食事の後、道路を走っていると、牧草ロールが運ばれていました。信号待ちにて。

 牧草ロールって、こ、こういう風にも運ぶんだ〜!



↑まだ早いから解散後ドライブに。ここは、札幌清田区の白旗山のふもとにある「ふれあいの森」。「熊出没注意」。

 ワタル、熊出たらやっつけてね。いや、逃げるのか。逃げようね〜。



↑小川が流れているすぐ近くの木陰で自然を楽しみました。小さな子どもたちが賑やかな声を出しながら、水に入って遊んでいました。


 自立歩行は危なっかしくて、歩くときは私が脇を支えて歩いているのですが、何だか突進までいきませんが、歩き出したら止まらないようなことがたまに。このお出かけの時もそれがありました。

 まぁ、何事もなく無事にお墓参りが終わり、よかったよね。

 来年もまた行こうね。



社会福祉系学会会長共同声明「戦後70年目の8月15日によせて」        - 2015.08.14 Fri

 社会福祉系学会会長共同声明「戦後70年目の8月15日によせて」というものが出されているのを知りましたので、ここに転載します。日本福祉学会のサイトはこちらです

ー ー ー ー ー

社会福祉系学会会長共同声明「戦後70年目の8月15日によせて」       

日本社会福祉学会会長           岩田正美

日本医療社会福祉学会会長         岡本民夫

社会事業史学会会長            大友昌子

日本ソーシャルワーク学会会長       川廷宗之

日本看護福祉学会会長           岡崎美智子

日本仏教社会福祉学会代表理事       長谷川匡俊

日本福祉教育・ボランティア学習学会会長  松岡広路

貧困研究会代表              布川日佐史  
             

1 戦後70年の節目にあたる本年、自衛隊法、PKO協力法、周辺事態法、船舶検査活動法、特定公共施設利用法、国家安全保障会議設置法、武力攻撃事態法、米軍行動関連措置法、海上輸送規制法、捕虜取扱い法の10の法律改正をその内容とする「平和安全法制整備法案」および新たな「国際平和支援法案」の審議が進められている。これらはすでに昨年の集団的自衛権についての閣議決定に沿ったものであるが、従来の自国防衛から、「存立危機事態」へも対応でき、外国軍の後方支援も可能な「積極的防衛」への経路が、国民の安全や他国からの脅威を理由に広げられつつあるといえる。湾岸戦争時に「カネは出すが血は流さない」と国際社会から非難されたともいわれたが、今回の法案は「血を流す貢献」を可能にする環境を整えるものと考えられよう。だがこうした「積極的貢献」が、ある国をめぐる脅威の抑止力になりえるかどうかは、世界の各地で、今日も続けられてきている戦争の実態から、冷静な判断が必要である。

これらの法案が現行憲法に反し、法治主義をゆがめることについては、憲法学者を中心とした批判がある。ここでは社会福祉学の立場から次のような危惧を表明したい。1.どのような正義の名の下においても、いったん始められた軍事活動は、それが「後方」支援であろうと、同盟国への支援であろうと、そこに巻き込まれた国々の人びとの命と日常生活を一瞬にして奪い、孤児や傷病・障害者を増やすだけでなく、それらの深い傷跡が、人びとの生活に長い影響を与え、しばしば世代を超えて受け継がれていく実態がある。2.子ども、障害者・病者など「血を流す貢献」ができない人びとが、こうした事態の中で最も弱い立場に追いやられる。また民族や性別、階層の分断や排除が強められ、テロ等の温床にもなる悪循環が作られていく。3.これらから生ずる「犠牲者」への援護施策とそのための財政その他の社会的コストは一時的なものではなく長期に要請されることに特に留意したい。戦後70年経ってなお、戦争犠牲者への援護行政が続けられ、またそれを巡ってアジアの諸国との対立が続いていることがその一端を示している。4.財政再建を理由に社会保障・社会福祉費の削減が続いている今日、もし「積極的貢献」の負担増がこれに優先するようになれば、少子高齢化が深まる日本の社会福祉の未来は、更に暗いものとなろう。

2 他方で、日本社会福祉学会『社会福祉学研究の50年―日本社会福祉学会のあゆみ』(2004)所収の論文「戦後社会福祉の総括」において、著者阿部志郎氏は、戦後社会福祉が「戦時の「万民翼賛体制」のもとでの厚生事業との断絶があり、国家主義の否定の上に、戦後の民主的な社会福祉が到来したと認識しがちである」とし、自らも含めて日本の社会福祉が戦争責任を自覚してこなかったし、「アジアの国々はもちろん、沖縄さえ視野におさめていなかった」ことを深く恥じていると率直に告白されている(p7~8)。その点が、ボランティア運動でさえ「罪責感」を基礎に再出発した戦後ドイツの社会福祉との「決定的相違」だとも強調されている(p8)。私たちは、この阿部氏の告白をあらためて真摯に受け止める必要がある。社会福祉は、一方で一人ひとりの生活に寄り添いながら、同時に「多数の正義」の名の下での支配体制に容易に組み込まれる危険を孕んでいる。このことに社会福祉研究者は常に自覚的でありたい。

3 日本社会福祉関連の各学会は、90年代より国際交流を活発化させ、特に東アジア3カ国ネットワークの実現に向けて努力してきた。また留学生への支援も強化しようとしている。こうした交流の中で、社会福祉の今日的課題の共通性とともに、文化・歴史的背景の違いについての理解も深められている。「戸締まり」に気を配るだけでなく、国を超えた共同研究や実践交流の積み重ねの中で、相互理解を深めていくプロセスをむしろ大事にしたい。残念ながら、最近の政治的「緊張」が、こうした地道な相互理解の努力に水をさすことがある。しかし、回り道のようでも、緊張を回避していく別の回路を模索することが、学会や研究者の役割であり、国際的な社会福祉研究の水準を高める上でも意味があると考える。

戦後70年目の8月15日を迎えるにあたって、社会福祉研究者・実践者として私たちは、「血」ではなく「智」による、「抑止力」ではなく「協力」による未来社会を展望する努力を続けることを誓い合いたい。



幼稚園年少時代のN先生がワタルの歌った「世界中のこどもたちが」のことを。 - 2015.08.13 Thu

「幼稚園年少時代のN先生より」

この歌は!!!

この「世界中のこどもたちが」は、ワタルが幼稚園時代にクラスで歌っていた歌です。
私も大好きな歌で、私が担任の時は必ず保育で歌っているので、お兄ちゃんのイブキも、
幼稚園時代に歌っていると思います。

学校で歌う機会があったか、どこかで覚えてきたのでしょうけれど、ワタルは幼稚園時代から聞いているはず。
この歌を小さいころに聞いていて、頭の隅に覚えていたのかな??不思議です。

とにかく、私の好きな歌、幼稚園時代に歌っていた歌をワタルも好きになってくれたことが
嬉しくて、感動しています。

ワタル!世界中の子どもたちと一緒にワタルも笑おう!

ー ー ー ー ー

「世界中のこどもたちが」

作詞:新沢としひこ

作曲:中川ひろたか

歌詞:

世界中の こどもたちが

いちどに 笑ったら

空も 笑うだろう

ラララ 海も 笑うだろう

世界中の こどもたちが

いちどに 泣いたら

空も 泣くだろう

ラララ 海も 泣くだろう

ひろげよう ぼくらの夢を

とどけよう ぼくらの声を

さかせよう ぼくらの花を

世界に 虹を かけよう

世界中の こどもたちが

いちどに 歌ったら

空も 歌うだろう

ラララ 海も 歌うだろう

(歌詞は「I Love 歌詞」というサイトより)


昨日幼稚園年少時代のN先生より、有難くもメールいただきました!歌詞も再掲しました。
ワタルは小学校卒業と同時に、子どもっぽいものを嫌っていて、そのようなグッズや歌も批判的でした。
でも、なぜか自らこの歌を、8月8日の夜大声で歌い始めたんです。幼稚園の時に教えてもらっていたんですね!
それもN先生が大好きな歌!
一回きりでもう歌ってませんが、歌詞も覚えているようで、しっかり歌っていました。
私は今が大変なご時世だな〜と思っていて、ワタルの歌声に、ウルウル来てました。。。
先生、ありがとうございます〜!

nyuen.jpg

幼稚園の入園式。ワタルは特別枠。抱っこしているのがN先生。抱っこしてもらっているのがワタル。初めての集団生活。多動で入園式は無理〜!と思っていたのですが、特別枠の担任のN先生がずっと抱っこしてくれました。私たちの不安な表情に、N先生の「大丈夫」という目が忘れられません。本当に心強かったです。そして嬉しかった。この日が本格的な集団生活第1日目。集団も経験させていただいて今につながっています。それと今は無きらいらっく幼稚園は、のびのび保育。ワタルは玄関入る時裸足に。毎日泥んこ。ポケットの中に入っていたのは、砂利。洗濯する時、何回「ポケットの入り口をミシン掛けしてふさぎたい」と思ったことか。


 Y!ニュース『認知症薬「アリセプト」に重篤副作用』河野先生・長尾先生 - 2015.08.10 Mon

8月5日配信のヤフーニュースに『認知症薬「アリセプト」に重篤副作用』が。内容は河野先生や長尾先生がずっと問題を指摘している内容です。

長尾先生の箇所(抜粋)→

在宅医療の第一人者で、毎日、数多くの認知症患者を診察し認知症に関する著書もある「長尾クリニック」の長尾和宏院長はこう語る。

「一日中、認知症の人が家の中で怒鳴っている生活を想像して下さい。悲惨ですよ。認知症治療では、まず家庭破壊につながる暴言などの生活障害を取り除くべきです。ところが多くの医療機関は記憶障害の治療が最優先で、生活障害は二の次、三の次。しかも、薬の効き方や副作用には個人差があるのに、それを無視した投薬が行われ、多くの患者と家族が薬の副作用による徘徊や暴力に苦しんでいます。医療が原因で作られる病気を『医原病』と言いますが、間違った認知症医療が医原病を作りだしている部分も大きいと思います」

河野先生の箇所(抜粋)→

日本で認知症の学問的研究が始まって、まだ30年足らず。「認知症の診断と治療法は確立しておらず、正しい診断と治療ができる医師は少ない」と河野氏は語る。

「レビーはアルツハイマーやパーキンソン病と、またピック病(前頭側頭葉変性症の一つ)は精神病とよく誤診されます。レビーについては医者ですら、原因や症状についてよく知らない人が多い。しかも、初めはアルツハイマーだったのに途中からレビーに移行するケースも多く、レビーとピック、あるいはアルツハイマーと脳血管性の混合型など、さまざまなタイプがある。複雑怪奇で一筋縄ではいかない病気なのです」(河野氏)

こんな複雑な病気が相手なのに、日本の治療は極めて画一的だ。象徴的なのが認知症の治療薬として一般的に知られているアリセプトという記憶障害の薬の扱い。日本では、アリセプトを機械的に処方する医師が大変多いのだ。

アリセプトの過剰投与が新たな認知症を作り出しているのなら、アリセプトの処方量を減らせばいいように思うが、それを実施する医療機関はほとんどない。経営上の問題があるからだ。

エーザイのHPにはアリセプトの用法・用量として3㎎から始め1、2週間後から5㎎に増量、さらに病状の進行に合わせて10㎎に増量すると書かれていて、医療機関はこの使用規定を守らねばならない。仮に医師が過剰投与と判断して、用量を減らして処方した場合、薬のレセプト(診療報酬明細書)審査が通らず、健保組合から医療費の支払いを受けられない仕組みになっているからだ。そうなると、患者に処方した薬代を医療機関が負担せねばならない。それが嫌なら、医療機関側は、過剰投与と分かっていても使用規定通りに処方するしかない。あるいは薬を止めるかだ。河野氏が言う。

「増量規定のある薬は極めて珍しい。厚生労働省に何度も改善を要請しているが無視されています。私は過剰投与にならないよう、薬の量を調整して処方していますが、一部の処方が認められず、昨年9月―11月だけで400万円の損失を余儀なくされました」



「世界中のこどもたちが」をいきなり歌い出すワタル。 - 2015.08.09 Sun

 昨日の夜「世界中のこどもたちが」をとつぜん、歩きながらワタルが歌い出しました。歌詞は以下で、今初めてこの歌をワタルにより知りました。今日、リュウにもワタルが歌っている動画(一番下にあります)を見てもらいました。

「世界中のこどもたちが」

作詞:新沢としひこ

作曲:中川ひろたか

歌詞:

世界中の こどもたちが

いちどに 笑ったら

空も 笑うだろう

ラララ 海も 笑うだろう

世界中の こどもたちが

いちどに 泣いたら

空も 泣くだろう

ラララ 海も 泣くだろう

ひろげよう ぼくらの夢を

とどけよう ぼくらの声を

さかせよう ぼくらの花を

世界に 虹を かけよう

世界中の こどもたちが

いちどに 歌ったら

空も 歌うだろう

ラララ 海も 歌うだろう

(歌詞は「I Love 歌詞」というサイトより)


↑部屋を行ったり来たりしながら歌うワタル。



平成27年 長崎平和宣言 - 2015.08.09 Sun

長 崎 平 和 宣 言



 昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟と化しました。

 大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4千人が亡くなり、7万5千人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを1日たりとも忘れることはできません。



 原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。

 原子爆弾の凄まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と戦争の反省のなかから生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。

 今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。

 70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。

 原爆や戦争を体験した日本そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。

 若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。

 世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。

 私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。



 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。

 NPT加盟国の首脳に訴えます。

 今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。

 また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。

 改めて、長崎から呼びかけます。

 オバマ大統領、そして核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。

 日本政府に訴えます。

 国の安全保障を核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。



 この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。

 11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。

 「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔き続けます。

また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。



 現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。

 被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。

 原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

                

2015年(平成27年)8月9日

長崎市長  田上 富久




平和宣言【平成27年(2015年)】広島 - 2015.08.09 Sun

私たちの故郷(ふるさと)には、温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、季節を彩る祭り、歴史に育まれた伝統文化や建物、子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。1945年8月6日午前8時15分、その全てが一発の原子爆弾で破壊されました。きのこ雲の下には、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた建物。幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われ、その中には朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜なども含まれていました。

辛うじて生き延びた人々も人生を大きく歪められ、深刻な心身の後遺症や差別・偏見に苦しめられてきました。生きるために盗みと喧嘩を繰り返した子どもたち、幼くして原爆孤児となり今も一人で暮らす男性、被爆が分かり離婚させられた女性など――苦しみは続いたのです。

「広島をまどうてくれ!」これは、故郷(ふるさと)や家族、そして身も心も元通りにしてほしいという被爆者の悲痛な叫びです。

広島県物産陳列館として開館し100年、被爆から70年。歴史の証人として、今も広島を見つめ続ける原爆ドームを前に、皆さんと共に、改めて原爆被害の実相を受け止め、被爆者の思いを噛みしめたいと思います。

しかし、世界には、いまだに1万5千発を超える核兵器が存在し、核保有国等の為政者は、自国中心的な考えに陥ったまま、核による威嚇にこだわる言動を繰り返しています。また、核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。

核兵器が存在する限り、いつ誰が被爆者になるか分かりません。ひとたび発生した被害は国境を越え無差別に広がります。世界中の皆さん、被爆者の言葉とヒロシマの心をしっかり受け止め、自らの問題として真剣に考えてください。

当時16歳の女性は「家族、友人、隣人などの和を膨らませ、大きな和に育てていくことが世界平和につながる。思いやり、やさしさ、連帯。理屈ではなく体で感じなければならない。」と訴えます。当時12歳の男性は「戦争は大人も子どもも同じ悲惨を味わう。思いやり、いたわり、他人や自分を愛することが平和の原点だ。」と強調します。

辛く悲しい境遇の中で思い悩み、「憎しみ」や「拒絶」を乗り越え、紡ぎ出した悲痛なメッセージです。その心には、人類の未来を見据えた「人類愛」と「寛容」があります。

人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。私たちは「共に生きる」ために、「非人道性の極み」、「絶対悪」である核兵器の廃絶を目指さなければなりません。そのための行動を始めるのは今です。既に若い人々による署名や投稿、行進など様々な取組も始まっています。共に大きなうねりを創りましょう。

被爆70年という節目の今年、被爆者の平均年齢は80歳を超えました。広島市は、被爆の実相を守り、世界中に広め、次世代に伝えるための取組を強化するとともに、加盟都市が6,700を超えた平和首長会議の会長として、2020年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた世界的な流れを加速させるために、強い決意を持って全力で取り組みます。

今、各国の為政者に求められているのは、「人類愛」と「寛容」を基にした国民の幸福の追求ではないでしょうか。為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。

来年、日本の伊勢志摩で開催される主要国首脳会議、それに先立つ広島での外相会合は、核兵器廃絶に向けたメッセージを発信する絶好の機会です。オバマ大統領をはじめとする各国の為政者の皆さん、被爆地を訪れて、被爆者の思いを直接聴き、被爆の実相に触れてください。核兵器禁止条約を含む法的枠組みの議論を始めなければならないという確信につながるはずです。

日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、議論の開始を主導するよう期待するとともに、広島を議論と発信の場とすることを提案します。また、高齢となった被爆者をはじめ、今この時も放射線の影響に苦しんでいる多くの人々の苦悩に寄り添い、支援策を充実すること、とりわけ「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

私たちは、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、被爆者をはじめ先人が、これまで核兵器廃絶と広島の復興に生涯をかけ尽くしてきたことに感謝します。そして、世界の人々に対し、決意を新たに、共に核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすよう訴えます。



平成27年(2015年)8月6日

広島市長 松井 一實




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vanilla

Author:vanilla
「やさしいまなざし」は「Vanilla Web Site」の日記の部分です。

登場人物(平成28年11月現在)
 
佐藤リュウ(59歳)←夫
佐藤バニラ(永遠の20歳)←私
佐藤イブキ(社会人)←長男
佐藤ワタル(福祉施設通所)←次男

 夫佐藤リュウは、平成17年頃(48歳)より、物が二重に見える、手に力が入らない、全身が重苦しく感じる症状があり、会社勤務ができなくなりました。
 若年性のパーキンソン病の疑いとのことで、平成18年(49歳)より神経内科に通院し、平成19年にはパーキンソン病関連疾患と診断名が付きました。
 その後、平成22年 (52歳)、診断名が若年性の「進行性核上性麻痺」に変わりました。
 ずっと自宅より通院していましたが、平成24年4月に自宅外で転倒骨折し、手術入院となってしまいました。入院時、誤嚥性と思われる肺炎も併発していて、現在も入院中です。平成26年11月19日に胃瘻造設しました。
 夫が仕事ができなくなった平成17年時、上の子が小学校6年生、下の子が小学校2年生(多動と自閉で特別支援学級在籍)でした。
 私は、平成19年より、平日フルタイムで仕事しています。たくさんの方のお力をお借りし、生活しています。
 北海道在住です。

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