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2016-03

池田まきさんの二連ポスターの看板。 - 2016.03.26 Sat

 そう言うわけで(「その1」「その2」「その3」)、これも何かの縁だと思い、5区民だし全力投球で池田まきさんを応援するあまり、うちの前に二連ポスターの看板も立ててもらいました。こういうことは初めてのことなのですが、この看板は選挙告知前まで(4月12日まで)立てられるそうです。
 期間限定で立ってますので、近所の方は見に来てください〜。
 

↑写真はクリックすると、大きくなります。


児童ディサービスHさんも終わりになりました。 - 2016.03.26 Sat

 ワタルが中学校に入学と同時に利用していた児童ディサービスHさんの利用も昨日3月25日で最後でした。
 6年間!
 小さかったワタルも身長も体重も大きく成長しました。
 長かったけれど、あっという間。
 昨年ワタルの様子を見に行ったのですが、我が家みたいにくつろいで過ごしていました。
 高校時は週に一回、放課後から夕方まで預かってもらっていたところです。夏休み等は午前中から夕方までです。

「今日はどこに行った。今日はどこに行った」

とワタルの口から聞いて、そんな遠くに今日は行ったの?とびっくりしたり。
 夏休みに当別の道民の森にキャンプに参加したのも印象的な体験だったようです。

 うちの生活の一部でしたので、今日で終了かと思うと、胸がいっぱいに。
 最後は私も挨拶に行きました。
 同時に今日でお終いという高校三年生が他に二人いて、ワタルを含めて三人がその日でお別れです。

 そのうちの一人のお友だちも児童ディサービスHの立ち上げ時からの利用者とのこと。ワタルもそうでした。立ち上げ時から通っていました。

 三人の思い出を編集してくれたDVDをプレゼントしてもらい、それをいただき、私たちからみなさんにお別れの挨拶をしました。

 児童ディサービスHさん、今まで本当にありがとうございました。
 色々なところへのお出かけもありがとうございました。
 学校での先生と事業所さんの面談にも来ていただいてありがとうございました。
 卒業式も!

 わが家は助かりました。
 みなさんお世話になりました。
 感謝です。
 

↑ワタルの字?と思いきや、私の字。最終日の連絡帳です。


↑高校三年生の思い出が詰まったDVD。貴重なものをありがとうございました。


↑昨年12月のクリスマスパーティーでみんなでクリスマスケーキを作っている様子。


↑昨年12月の写真。児童ディサービスHの玄関前にかわいい雪だるまが。
 この日、立ち上げ時からのスタッフのHさんとお別れの日でした。ご結婚を機に道北へ。お世話になりました。
 お幸せにって、雪だるまも言っている様でしたよ。



【私と池田まきさん〜その3イケマッキーズ内の共闘】 - 2016.03.20 Sun

 「その1」の続きになりますが、「怒れる女子会札幌」のメンバー内から池田まきさんを応援するグループ(池田まき応援隊イケマッキーズ)を作ろうという話が出、フェイスブックのページもできました。1月のことです。
 ところが、メンバーのみんながそこに参加したわけではありませんでした。なぜかというと、1月の時点で野党の候補者は一本化していなくて、怒れる女子会札幌のメンバーは、色々な考えの人が集まっていたからです。

「野党の候補者が一本化になったら、私もそちらに参加します」

 その人はそうみんなに伝えました。
 私は・・・、このブログに選挙の度にアップしている「政党マッチング」をその度にやっても今まで民主党と出なくて、次々と野党が池田まきさんの推薦を決めていっても、なんか今ひとつ100パーセント応援するという気持ちになかなかならなかったです。でも、野党一本化がなかなか進まないからと言って、そこで滞っていたらスタートが遅くなると思い、池田まきさんと出会ったのも何かの縁だと思い、私も「イケマッキーズ」に参加していました。

 でも、ついにその日が来ました。政党間の話し合いのもと、野党が一本化になったのです。池田まきさんはもう一人の候補者だった橋本みかさんからバトンと渡されました。託した方も託された方も、いっぱいいっぱいの思いだったと思います。

 その日から何日か経ったのち、先ほどのイケマッキーズのメンバーが、「野党の候補者が一本化になったので私もそっちに入れてください」とみんなにメッセージを書き込みました。 

 それを見たとき、私たちも気持ちが一つになったと感じ、私はとても感慨深かったです。

 (イケマッキーズ内も野党共闘できた!)

 イケマッキーズに参加している人は「その1」で書いたように、色々な立場、考えの女性たちで一般市民です。宗教を信仰している人もいれば、無宗教の人もいます。支持政党も様々なようで、無党派の人もいます。共通していることは、「今の政治や世の中に危機感を抱いていてどうにかしたい」というもの。

 実際にどういう感じの人たちかというと次のような感じです。
 「比較的相手の話を聞こうとする」「思想信条が様々でもそうなんですねと相手を尊重する」「私のような無名の人の主張とかも耳を傾けてくれる」「一人のためにたまに立ち止まってみんなで待っていることがある」「比較的みんなが納得してから物事を進める」「だれかを排除しない」「比較的素直な気持ちを伝えられる人たちである」「どこかのタイミングで決断する人がいる」「行き過ぎをセーブしてくれる人がいる」。

 それから「お節介」であると思います。
 デモに何か行かなくても、怒れる女子会を札幌でわざわざ開かなくても、福島をいつまでも覚えていようとしたりしなくても、普通に生きていけると思うのに、そんなことをしているので。
 自分や自分の家族だけのことを考えて、政治や世の中のことは専門家にお任せしていたら生活できると思うのですが、かなり遠い子孫のことまで考えたり、食べることがじゅうぶんじゃない知らない子どものことを考えたり、普段食べているものの危険性をみんなに知らせようとしたり、若いお母さんが色々抱えて大変だとか、老老介護をしている人が大変だとか、集団的自衛権で戦場に行く若者が大変だとか、立憲主義がどうのとか、憲法変わったら大変だとか伝えようとしたりで、それはそれはお節介なことだと思います。
 そのお節介はその人の性格なのか、それとも途中でそうなったのかわかりません。
 いずれにしてもいてもたぶん、みんな一緒に前に進みたくて、何かできないかとそれぞれが自分のできる範囲で行動しています。

 池田まきさんはそんな仲間の一人です。

 池田まきさんの応援もそんな私たちがしています。みんな凄い!器用!池田まきさんがかけているタスキを作ったり、選挙対策事務所に行ってチラシを折ったり、差し入れしたり、きれいにしたり。またプラカード作ったり、応援ツアーを企画したりです。私は怒れる女子会札幌のお手伝いでもそうですが、時間がなくてなかなか参加できません。

 そして他の市民のみなさんもそれぞれが私たちよりももっともっと早くからたくさん応援しています。いまみんなひとつになっていると思います。そういう風に感じます。


↑2月27日に行われた「怒れる女子会札幌」のイベントスタッフとして来た池田まきさん。私撮影。



【私と池田まきさん〜その2マキさんの思い】 - 2016.03.20 Sun

 わたくし池田まきは 4月24日に行われます補欠選挙におきまして、誰一人置いていきぼりをつくらない日本をつくる。そして二度と戦争する国をつくらない、そのことを皆さんにまずはお伝え申し上げます。そのために全身全霊をもってこの選挙に挑まさせていただきます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 わたくし池田まきは43歳です。この20年間は福祉や介護、そして人生の中で様々なハプニングに出会う方々のお仕事をさせていただきました。それはわたしの幼少期にあります。池田まきは家庭の事情で本当に毎日毎日、生きることに必死でした。
 小学校、思いっきり笑ったことがありません。
 中学校、「高校進学?」考えたこともありません。
 そして大学や職業についてもまったく考えたことがありませんでした。日々生きていることが奇跡である、そんな人生を歩んでおりました。
 そして二十歳になり、その時には二人の子どもがおりました。しかし残念ながら、温かい家庭を築きたい、そう思いながらも、シングルマザーです。その中で本当に生きづらさを抱えながら、ここまで(いま現在まで)きました。

 幼少期はただ単に家庭の事情により、なんとなく命があるということしか考えていませんでしたが、しかしながら二人の子どもをもった以上、私はこの法律や制度や、この社会の体験から、不条理な現実をなんとか変えていかなければならない、そしてこの子どもたちを守らなければならない、その思いで必死でした。
 だからこそ、当事者目線、当事者よりの福祉の仕事(ソーシャルワーカー)を選んだわけです。

 しかしながら20年前、社会福祉や社会保障はどんどん財源を理由に削られてきました。そして、市場原理に基づくサービスにゆだねられ、本当に必要な人に、必要なものが行き届かなくなってきました。そのことに憤りを感じ、一生懸命働きながら、子どもを抱えながら、通信教育を、そして一つ一つ積み重ねて福祉の資格を取ってまいりました。今現在は北海道大学公共政策大学院修了となっていますが、実はわたくし、中卒です。その直前までは中卒です。

  だからこそ、子どもたちにはどんな家庭環境であろうと、学びの保障は国がやるべきものだと思っています。民主党政権時代、高校の授業料の無償化は本当に希望が持てました。わたくしはその当時、地方公務員として、地域の中でいろいろな手法で子どもたちへ生きる希望へつなげてまいりましたが、これは国の法律や制度でなければ行き届かないものでした。
それこそが政治の力であり、政治の役割であると、思っております。

 わたくし池田まき、ここに来るまで、本当に政治とはかけ離れた生活でした。政治というものは、声の大きい者、強い者、お金持ちの者だけに委ねられているものだと思っていました。しかし戦後、政府をはじめ、政治といったものは、国民の生活や命を真剣に考えてくれていたと思っています。今はこの政策のメニューはないかもしれません。しかしながら大事なものは、そこにはあったと思います。

 いま、戦後70年間の平和の歴史がなくなろうとしています。そのことはぜったいに守らなければならないこと。そして、声をあげられないまま、犠牲者を生み出すような、そんな国にしてはぜったいならない、強く池田まきはそのように思っております。
 一人を大事にする政治、一人を大切にする国こそが、本当に強い国ではないでしょうか。

 福祉というのは、国政の中ではないがしろにされてきました。軽率に扱われてきました。その結果が、昨年の9月ではなかったでしょうか。強い者だけの、声の大きい者だけの政治ではいけません。権力に立ち向かう今回の4月の補選は、まさに国民の声を聞かない安倍政権、そして政党の枠を超え、連帯し声を上げ、そして声をあげられない国民の思いもすべて受け止めて、この北海道五区を超えて、日本の未来を築いていかなければいけません。

 わたくし池田まきはその責任を負い、全身全霊をもって、この選挙に挑んでまいりたいと思います。
 どうか皆さま、お力添えをお願いいたします。
 そして一緒になって、私たちのための、私たちの政治を、私たちの国を、作ろうではありませんか。

 ー3月13日街宣 at 厚別新札幌

【私と池田まきさん〜その3イケマッキーズ内の共闘】


↑写真撮影イケマッキーズNさん。動画撮影イケマッキーズSさん。書き起こし私。



【私と池田まきさん〜その1出会い】 - 2016.03.20 Sun

 札幌で、今の世の中に危機感を抱く女性が集まって何かしよう!という思想、信条や、支持政党あるなしを問わない市民の集まり(怒れる女子会札幌)が立ち上がりました。フェイスブックでの呼びかけです。2014年12月のことでした。キックオフ&忘年会するからと私も狸小路のそのお店に行きました。初対面の人ばかりです。それにこういう市民の集まりに参加するのも初めてのことです。私の隣に座っていたのが、池田まきさんでした。背中をピンと伸ばして眼力も強く、何かこう自分の意志がしっかりとしていそうな人だなあというのが第一印象でした。

 その集まりを機に、イベントを企画するためのメッセンジャーが立ち上がり、福島から避難してきた方のお話を聞いたりの一回目の企画が持ち上がりました。時間も場所も決まり、受付けや会計のことも決まっていきました。そんな中、私は漠然と思っていたことがありました。

(赤ちゃん連れの参加者の対応はいいのかな?誰も言い出さない。イベントは夜だし来ないのかな。私はこういうの初めてだけど、他の方はイベント企画の経験者がいるし、きっとこの話題はいいんだ。)

 私は勝手にそう思い、気になりながらも当日を迎えました。事前に申し込みがあり、車いすの方も参加してくれました。私は受付けの端の方にいましたが、たくさんの参加者が来てくれて嬉しかったです。イベントが始まる時間も迫り、参加者の受付けも落ち着いたという時のことです。

(赤ちゃん連れの方が来た!!!それも赤ちゃんともう一人ちっちゃい子も連れている!!!)

 私はまずその母子を見て思わず涙が出そうになりました。小さなお子さん二人連れて、夜に来るお母さんの気持ち。すごく大変なのに子供たちのためにもいてもたってもいられなかったのだという風に思われて。

(それにしてもど、ど、どうしよう!)

 私がその母子の姿を見て感動したり動揺したりしているわずかな時間に、会場内にいた白いブレザーを着た池田まきさんがやってきて、お母さんと何か話し赤ちゃんを抱っこして連れて行ってしまいました。池田まきさんは終始笑顔です。真っ白いブレザー、もしかしたらよだれで汚れるかもしれないのにまったく気にしていません。私はすぐに池田まきさんの行動が理解できました。池田まきさんはその方が他の方のように一緒に参加して欲しかったのです。

 その後赤ちゃんはお腹が空いたのかぐずってきて、お母さんのもとに戻されました。お母さんはその場で授乳していましたがその後途中で帰ってしまいました。

 そのことが後悔とともに私の心に残りました。

 (やっぱり小さいお子さんや赤ちゃん連れの方の対応をするべきだった。最後までいて欲しかった。)

 第2回目の企画がメッセンジャーで持ち上がった時のこと、私は「小さいお子さんと赤ちゃんを連れのお母さんが途中で帰ってしまい、授乳スペースやキッズコーナーは設けられないだろうか?」と相談しました。

「そのようなスペースは残念ながらない」とも返信がある中、池田まきさんが、

「スペースなくても授乳ケープのようなものを利用してできますよ!またスカーフでもできて、その場でも授乳できます!」

とコメントしてくれました。その後すぐに次のような写真がアップされました。肩掛けカバンにぬいぐるみを乗せたものを赤ちゃんに見立て、それをかぶせるようにスカーフでおおった池田まきさんの姿のものです。

「こうしたら大丈夫ですよ!」と実演してくれたのです。

 そうなんだ。赤ちゃん連れの方がイベントに参加したいと思うとして、諦める方向じゃなくて、参加できる方法を考えてくれたんだ。私もどんな人も参加できるのがいい。

 ありがとう池田まきさん。

 私の提案、池田まきさんの「できますよ!」の発言を機に、第2回目から授乳コーナーとキッズスペースが設けられることになりました。2回目以降もやっぱり、赤ちゃんや小さいお子さんを連れて参加してくれるお母さんが来ました。

 (よかった〜。)

 車いすの方は1回目と4回目に参加してくれました。車いすの方が参加できるかどうかは、まずそのイベント会場がバリアフリーかどうかです。

 その次に気にすることは車いすの方が会場で何か不都合なことが起こらないかどうかです。池田まこさんはそれを気にしているようで比較的車いすの人のそばにいました。そしてやっぱり笑顔で話しかけていました。それも車いすの人の目線でです。

 毎回イベント会場で池田さんは、「誰か何か困ってはいないか」それに目を配らせていました。それもその時は常に笑顔で。

 私は街で車いすの方や、重い荷物を持ったお年寄りの方を見かけ、何かできることはないかと思っても、行動に起こすまでには、なかなか勇気が出ません。

 池田まきさんは、「あの人が困っている」と気がついた瞬間にもう迷わず行動を起こす方なんですね。

「誰一人、置いてきぼりにしない」

 この言葉は池田まきさんが考えた素敵なフレーズです。

 そうですね!誰一人置いてきぼりにしない。池田まきさんは、高齢者施設、障がい者施設、在宅介護などの福祉の現場で働いたあと、東京都板橋区役所の福祉の職員として14年間勤務した福祉の専門家です。現場で声もあげられない人とたくさん出会ったそう。「こうして欲しい」、あるいは「こうしたい」とかさえも、声もあげらない状況にある人を。

 私もそれはよくわかります。自分の状況をよくしようとするには、その余裕がなければならないのですが、その余裕がないのです。私もそうです。

 発達の障がいがある次男が小学生の時、一人で登校できなくて病気の夫が付き添って歩いていましたが、病気が進行し夫の具合が悪い状態が出てくるようになり、付き添える人がいなく、小学校に通えない寸前までいったことがあります。夫の障がい者年金も適用にならない時期で収入も少なく、私は働かないといけないと思っていたので、どうしていいのかわかりませんでした。助けてくれたのは担任の先生方。朝家まで来てくれ、次男に一人で登校できるように訓練してくれたのです。

 でも当時本気で「次男に義務教育を受けさせてあげることができない」と思いました。夫の障がい者年金まで届かない、その時通学時の移動支援は認められていなく、自分は制度と制度のすき間にいたのか、他にどういう方法があるのか、誰に何を言えばいいのか、考える余裕もありませんでした。

 来月4月24日(日)に衆院北海道五区補欠選挙があります。補選は町村信孝前衆院議長の死去に亡くなったことにより行われることになったものです。

 その選挙に池田まきさんは出馬を表明しています。最初にそのことを知ったのは、昨年12月のこと。みんなでイベントを作り上げたり、打ち上げで盛り上がったりしていた仲間の一人が出馬を表明〜〜〜!

 池田まきさんは福祉の現場にいて、制度に限界を感じていて、政治に関わりたいと思うようになっていったそうです。

 池田まきさんの思いは「その2」の3月13日の街頭演説の内容をぜひお読みになってください。
 【私と池田まきさん〜その2マキさんの思い】


↑2月10日札幌厚別エミシアホテル「つながろう池田まきネットワーク集会」。プラカードの後ろに「誰一人おいてきぼりにしない」と書いてあります。薄くて文字を重ねました。撮影私。



無事に養護学校高等部卒業式終わりました。 - 2016.03.12 Sat

 3月9日養護学校高等部の卒業式で、イブキと参加しました。
 ワタルは担任の先生に名前を呼ばれ、壇上に。そして向かい合って校長先生と礼をして卒業証書を受け取りました。

 珍しいスーツ姿のイブキとワタル。式が終わってそのまま病院に行き、そのスーツ姿の子どもの姿といただいたばかりの卒業証書をリュウに見てもらいました。
 そこで家族の写真を写してもらったのですが、写真を見てみるとベッド上のリュウは大きなアクビをしているもの。その時間は眠たかったのかな。

 リュウ、今日ワタルの高校の卒業式を無事に終え三人で病院に来たよ。
 幼稚園入園卒業、小学校、中学校と入学卒業することができて、ついに学生生活最後の高校の卒業式も終えることができた。
 よく私たちも頑張ったね。
 先生やヘルパーさん、スクールバスの運転手さん、保護者の方たち、クラスメイトのみなさんに本当にお世話になったね。


↑ステージ上で校長先生から卒業証書を受け取るワタル。在校生も式に参加してくれています。


↑廊下の壁の装飾。


↑学校全体が手作りの装飾品できれいになっていました。みんなで祝福してくれている気持ちが伝わってきます。


↑一年間の出来事の写真が玄関に。


↑3年2組の教室。式を終えて、これから最後のホームルームが始まります。担任の先生は二人で副担の先生が一人。写真は担任の先生のひとりの0先生。この日のために袴をはいてきてくれていました。素敵です。


↑手前が0先生とワタル。奥がもう一人の担任の先生のH先生。ひとりひとりに最後の語りかけをしてくれています。
 O先生は、初めての卒業生だそうで、「学校に来ても、もう明日からみなさんとお話しすることができないと思うと涙が出ます」と目からポロポロ涙が。

 H先生をワタルは「お父さんみたいだ」とも言っていました。帰りのスクールバスが来るまでの間、学校内を一緒に散歩してくれてありがとうございました。建物が好きで、小中学部の音楽室や視聴覚室に行きたがり、そんな気持ちを汲みしてくれてのことです。

 0先生も「ワタル君がビーズクッションにゴロンと横になるのですが、私もその景色を見たくてゴロンと横になってみたんです。あ~、ワタル君はこういう景色を見ているんだ~と思いました」とある時の懇談で言ってくれていましたね。

 いつもワタルの心はどうなのかとワタルの立場に立って理解してくれようとしていた先生方の姿勢に感謝感謝でした。お陰様で心身ともに大きく成長することができ、ワタルも前より他の人の立場を理解してくれるようになったと思います。

 本当に本当にありがとうございました。





「あさのヘルパーさんありがとう」 - 2016.03.08 Tue

 今日3月7日(月)で高校に入学してからお願いしていた自宅からの朝の移動支援の活動が終了しました。
 養護学校高等部に入ってあっという間の3年間。3月9日(水)が卒業式です。
 高校に入ってからというもの、登校時のスクールバスに乗るのに、ヘルバーさんが家に来てバス停まで付き添ってくれていました。私はワタルより先に出勤するので。
 雨の日も風の日も雪の日も、何人かのヘルパーさんが交代で、ワタルをサポートしてくれました。
 ワタルがトイレから出てこないでバスに乗り遅れたり、直前までお風呂に入っていて全裸でいたり、色々なことがありました。

 今日ワタルはお手紙書き、最後のヘルパーさんに渡しました。

「あさのヘルパーさんありがとう」

 事業所Wさんのスタッフさん、3年間ありがとうございました。
 お陰さまで無事に3年間、学校に通うことができました。

 本当にありがとうございました。






3月3日にリュウと一緒に見たもの。 - 2016.03.08 Tue

 ディスペースに飾ってあったお雛様の前に、フェルトでできた桜餅が。
 私が気付いてその時、手に取ってみました。手作りのように見えました。

 これはどなたが作ってくださったんだろう?

 そう思い、S看護師さんに聞いてみました。

「かわいいでしょ!手作りの桜餅。一階の窓口にいる事務の◯◯さんが、夜なべして作ったのと言って持ってきてくれたんだよ!」

 夜なべして作って持ってきてくれたものが、ここに。患者さんに対する気持ちが込められた手作りの桜餅だ。


 今日は3月3日ひな祭り。

「リュウ、お雛様の前にかわいい桜餅があるよ、見て見て!かわいいね、手作りだよ」

 リュウも目で見て、ウンとうなづいたように見えました。

 








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プロフィール

vanilla

Author:vanilla
「やさしいまなざし」は「Vanilla Web Site」の日記の部分です。

登場人物(平成28年11月現在)
 
佐藤リュウ(59歳)←夫
佐藤バニラ(永遠の20歳)←私
佐藤イブキ(社会人)←長男
佐藤ワタル(福祉施設通所)←次男

 夫佐藤リュウは、平成17年頃(48歳)より、物が二重に見える、手に力が入らない、全身が重苦しく感じる症状があり、会社勤務ができなくなりました。
 若年性のパーキンソン病の疑いとのことで、平成18年(49歳)より神経内科に通院し、平成19年にはパーキンソン病関連疾患と診断名が付きました。
 その後、平成22年 (52歳)、診断名が若年性の「進行性核上性麻痺」に変わりました。
 ずっと自宅より通院していましたが、平成24年4月に自宅外で転倒骨折し、手術入院となってしまいました。入院時、誤嚥性と思われる肺炎も併発していて、現在も入院中です。平成26年11月19日に胃瘻造設しました。
 夫が仕事ができなくなった平成17年時、上の子が小学校6年生、下の子が小学校2年生(多動と自閉で特別支援学級在籍)でした。
 私は、平成19年より、平日フルタイムで仕事しています。たくさんの方のお力をお借りし、生活しています。
 北海道在住です。

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