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2020-03

K先生の奥さんのお見舞いに行く。 - 2012.11.04 Sun

 8月14日、短大の哲学の先生で、私のゼミの先生であるK先生の奥さんのお見舞いに、同じゼミ生のけいちゃん、オーちゃんと三人で行きました。

「そういえば・・・、そっか・・・、先生の奥さんも進行性核上性麻痺という病名だった・・・」

と、思い出したのは、私が先生にリュウの病名と入院を伝える近況報告のハガキに対してのK先生から届いたハガキを見た時でした。
 そこには、

「だんなさんも、進行性核上性麻痺でしたか」

と、書かれてあったのです。

 K先生は、19歳の時、第二次世界大戦に学徒出陣をした経験から、『歴史の証人』として、先生の教え子等つながりのある人に、再び戦争が始まらないように警笛を鳴らす内容の通信を不定期で、郵送してくれていました。
 その通信の添え書きかで、奥さんの病名が進行性核上性麻痺と見た覚えがあることを、今年の夏の私の出したハガキへの先生の返信で、やっと思い出したのです。
 先生は、私の短大時代からも病気がちで、私が卒業後も心臓や頭の方の大きな手術をしたり、いま現在もまた病気が発見されたりと、通信も途絶え途絶えでした。いつ何年前の添え書きに、奥さんの病名が載っていたのかも、私の中では、定かではありません。
 ただ、市外の一戸建てから、市内の介護付き有料老人ホームにご夫婦で入られたことは、知っていました。それももう、10年くらい前のことです。
 リュウが、病気になり、入院中で、そしていま、先生の状況が、遅まきながら、わたし自身、わかってきました。
 点と点が、線でつながってきたのです。
 リュウの近況を知らせるハガキを出し、先生から返事が来て、ヨカッタと、思いました。

 何十年かぶりに会うけいちゃん、オーちゃん。オーちゃんと会うのは、卒業式以来です。
 そして、けいちゃん、オーちゃんもそれぞれ、夫とワタルの状況を伝えるハガキを出した友だちのひとりです。
 けいちゃんは、私よりもずっと、K先生と奥さんのことを気にかけてくれていて、一番様子がわかっている友人です。

「先生も病気がちだし、奥さんもそうで、いままでも会う約束もなかなか取れなくて、行ってみないと会えるかどうかわからないからね・・・」

 けいちゃんがそう言いました。

 私は会社はお盆休みで、その日の朝、リュウの病院に行き、食事の手助けをして、その足で先生の住む地下鉄の駅の集合場所に向かい、11時頃、三人が合流しました。
 そこで、もう一度、けーちゃんが先生に電話をし、行って大丈夫か確認しました。

「大丈夫だって。来てって」

 けいちゃんが、私たちの顔を見て、嬉しそうに言いました。

 そこは、私は初めて入る世界でした。

 外観は、大きなマンションで、中に入ると広々としたロビーがありました。
 見渡すと、ホテルの一階のようなソファやテーブルがいくつもあり、入居者と思える人も談笑していました。そしてかなり大きめの売店があり、その隣の奥の方には、コックさんが見え、高級そうなレストランがありました。
 いま、リュウとレストランに行くには、外出許可が必要で、私の車で出かけなくては行けませんが、ここだと、ここに来たら、外食した気持ちになれます。あと、買い物も病院の売店よりかなり大きくて、買い物気分もここに来たら、味わえそうです。いい気分転換になります。
 さりげなくお花等もきれいに飾っていて、私は、一歩なかに入った途端から、

「わ〜〜!すご〜〜い!」

を連発していました。
 そして、けいちゃんがホテルのカウンターみたいなところで、受け付けをしてもらい、首からカードを下げ、そのカードを機械にかざしながら、いくつかのドアを開け、居住空間へ三人で入って行きました。居住空間は、少し、病院に似ていました。でも、病院よりずっと廊下が広かったです。
 エレベーターに乗り、けいちゃんの行く方向にだまってついていくと、

「ここだわ」

と、部屋の前で、けいちゃんが止まりました。ほかのお部屋もそうですが、ドアがなく、ドアの代わりにのれんが下がっています。これだと、車イスも楽に行き来できるし、中で転んだり具合が悪くなって、物音を立てたときに、外部の人にすぐにわかります。

「せんせい〜」

と言いながら、三人で中に入って行きました。

 そこは〜、愛情溢れる空間でした。その一言に尽きます。
 
 お部屋の真ん中に、私はよく見慣れた介護用の電動ベッドが二つ並んでいて、それぞれ、ご夫婦で横になっていました。
 奥さんはもう昼食中です。私は、見てすぐに分かりました。経腸栄養剤をお腹のあたりに、点滴の棒から、落としていたのです。この栄養補給の仕方にしたことは、今年からそうだと、先生のハガキで知っていました。
 リュウは、S病院の4階に入院中、鼻から、栄養剤を点滴で補給して、それが、三回の食事でした。リュウは栄養剤が終わると、今度は、水分をやはり、点滴で補給していました。
 先生が、自分のからだを起こそうとしたので、私は反射的に近寄り、肩に手を回し、起き上がる手助けをしました。そうして、靴を履いてもらい、車イスに移動し、私たちは少しの間、先生とお話しすることができました。

「一日に一回、コニュニケーションが取れたらいい方かな。あとは、コンコンと眠っているよ」

 そう、心配そうに先生が奥さんのことを言いました。
 久しぶりに見る先生は、少し痩せたように思いましたが、世界の平和をねがう信念を持つ目の輝きは同じでした。

 そして・・・、ベッドのまわり、お部屋の中は、今まで暮らしていた私物があり、そこはあきらかに、先生と奥さんの歴史があり、「HOME」であり、乱雑に置かれたようなものもひとつひとつすべてが、先生の愛情の証しであると、私は感じました。先生の選択は、奥さんも幸せだし、そして先生も幸せだと、そう確信しました。
 それを奥さんと同じ病名を持つ夫がいる私に、そして、私同様、先生を尊敬して止まないけいちゃんとオーちゃんに、ご夫婦のすべてを見せてくれた・・・。 
 先生は、教え子の私たちにも、当時と同じくいまも、愛情を注いでくれていました。

 いま、リュウは病院にいますが、病院に家族で暮らせる居住空間があるイメージです。ここなら、私もリュウと一緒に暮らせそうだと、思いました。でも!、イブキとワタルがいるから、やっぱり、無理だ・・・。と、思いました。

 「食事です〜!」

と、看護師さんのような人が、トレイに乗せた病院で出されるような先生の食事を運んでくれたので、

「スミマセンが、写真を写してくれませんか?」

と頼み、奥さんを囲み、全員の写真を写してもらいました。

 その後、わかれの時間が来たので、みんなで奥さんの名前を呼びました。K先生が、

「けいちゃんの名前だとよくわかっているから、言ってみて」

と言い、けいちゃんも一生懸命、自分の名前を言いながら、奥さんの名前を呼びました。すると、目尻にうっすらと、涙がたまりました。

(あ、奥さんは、けいちゃんの声が聞こえて、喜んでくださっている)

と、私は感じました。

 K先生、ありがとうございました。けいちゃんもオーちゃんもありがとう。また、先生と奥さんに会いに行こうね。
 先生も奥さんも待っていてね。


 先生とわかれた後、市内の大きな病院に足の手術をして入院しているやはりゼミの仲間のSちゃんのところへ、三人でお見舞いに行きました。
 Sちゃんは、何年も前から、股関節の手術で入院したり、退院したりで、家での日常生活も、外出の際だけは、車イスを使っています。
 短大時代の四人で、病院の一階にあるスターバックスでお茶をしながら、なつかしい短大時代のことを話題にしました。もちろん、K先生ご夫妻のこともです。
 みんな若くて、楽しい時代で、当時の話しを、何時間もたくさん話しました。楽しかったです。

 私は・・・、夫が、進行性核上性麻痺という難しい病気になり、夫が外出する際は、車イスのお世話になり、それらと通して、K先生、Sちゃんの気持ちが、今更ながら少し理解できるようになってきました。
 本当に、のんびりしてました。
 それまでは、理解しようにも、ピンと来なかったかもしれません。

 すべてのことに、感謝ですね。




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プロフィール

vanilla

Author:vanilla
「やさしいまなざし」は「Vanilla Web Site」の日記の部分です。

登場人物(平成28年11月現在)
 
佐藤リュウ(59歳)←夫
佐藤バニラ(永遠の20歳)←私
佐藤イブキ(社会人)←長男
佐藤ワタル(福祉施設通所)←次男

 夫佐藤リュウは、平成17年頃(48歳)より、物が二重に見える、手に力が入らない、全身が重苦しく感じる症状があり、会社勤務ができなくなりました。
 若年性のパーキンソン病の疑いとのことで、平成18年(49歳)より神経内科に通院し、平成19年にはパーキンソン病関連疾患と診断名が付きました。
 その後、平成22年 (52歳)、診断名が若年性の「進行性核上性麻痺」に変わりました。
 ずっと自宅より通院していましたが、平成24年4月に自宅外で転倒骨折し、手術入院となってしまいました。入院時、誤嚥性と思われる肺炎も併発していて、現在も入院中です。平成26年11月19日に胃瘻造設しました。
 夫が仕事ができなくなった平成17年時、上の子が小学校6年生、下の子が小学校2年生(多動と自閉で特別支援学級在籍)でした。
 私は、平成19年より、平日フルタイムで仕事しています。たくさんの方のお力をお借りし、生活しています。
 北海道在住です。

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